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ESSAY ON KON ICHIKAWA'S NOBI

『野火』
〜市川崑が冷静に描いたキリスト教的信仰心とカニバリズム〜

イーデン・コーキル

多くの太平洋戦争の「記録」によると、フィリピンのレイテ島における戦いは1944年12月31日に終了した。しかし、その戦闘の惨憺たる結末を描いた市川崑監督の『野火』(英題:Fires on the Plain/1959年 )は、冒頭に告げられる字幕によれば、「レイテ島、1945年2月」とその2ヶ月後の物語である。

この戦いは何を持って「終了」することになるだろう?市川監督の映画が教えてくれるのは、その過程が1日という時間軸に凝縮できる類のものではないこと。監督が追う日本兵たちは未だ逃走中。いや、日本海軍が迎えに来ているという、まことしやかな噂が流れているパロンポンビーチまで、飢えに苦しみながら痛々しいほどおぼつかない足取りで彷徨うさまに、「逃走」という表現はエネルギッシュ過ぎるかもしれない。食糧も弾薬もなく、島外の上官とも完全に切り離され、万が一降伏したとしてもアメリカ兵に殺されてしまう恐れもある。

この凄惨たる状況下では、兵士たち(まだ兵士と呼べるのであれば)が究極の手段に駆られるのも仕方がないと思える。ある者は降伏に生き残りを賭け、また別の者は自決を選ぶ。ただ地面に崩れ落ちて餓死する者も既に出ている。この絶望的な状況で、この映画の核を成す2人の人物は両極端の選択をとる事になる。一人はキリスト教的信仰心、もう一人はカニバリズムである。

このような重苦しい命題や感情の波に押しつぶされんばかりの決断を、鑑賞に耐えうるどころか、むしろ観る者を惹きつけてやまない映画として構築してみせたのは、一重に市川監督の功績だ。成功の秘訣は、一貫して感傷に訴える手法を貫いた点にある。上空を飛ぶ戦闘機に機銃掃射されていることにさえ気がつかずゾンビのように彷徨い歩く場面など、飢餓と絶望の乾いたイメージを、監督は執拗に描き続ける。目を背けたい場面が続くため、やがて、永松(ミッキー・カーティス)が、生き残るために肉を求めて戦友を狩っている場面まで達すると、つい許容してしまいそうにもなる。その行為を知った田村(船越英二)が、永松に立ち向かうための道徳心を持ち直すのに時間が必要であることも、無論理解できる。

この映画は、太平洋戦争に出征し、レイテ島で米軍の捕虜になった経験を持つ、大岡昇平の小説「野火」に極めて忠実に製作されてはいるものの、小説における田村の一人称の文語的な叙述のほとんどは、市川監督の手で純粋に視覚的イメージやシンボルに置き換えられている。監督は田村が徐々にキリスト教への信仰心、(少なくとも根源的道徳心)を深めていくさまを表現するのに特に優れた手腕を発揮している。田村が彷徨う最中で教会を見つけた後、市川のキャメラは風景の中に偶然のごとく十字架を映し出す。交差した二本の枝に説教じみたものは何も無いが、地獄と化したこの島で起こる度重なる喪失の中、それでも失われず存続し続ける人間の品性というものがこの世には存在するのではないか、ということを田村同様、観客にも静かに感じさせてくれる。

(翻訳:親盛ちかよ)







『野火』

監督:市川崑
製作:永田雅一
原作:大岡昇平
脚本:和田夏十
企画:藤井浩明
撮影:小林節雄
美術:柴田篤二
編集:中静達治
音楽:芥川也寸志
録音:西井憲一
照明:米山勇
出演:船越英二、ミッキー・カーチス、月田昌也、杉田康、浜口喜博 、滝沢修、佐野浅夫、山茶花究 他

1959年/日本/108分/大映