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ESSAY ON MIZOGUCHI'S UGETSU MONOGATARI

夢の目撃 〜溝口健二「雨月物語」についてのエッセイ〜

イーデン・コーキル

家に帰ると、毎日あの田中絹代が待っている生活を望まない男がいるだろうか?
1953年の『雨月物語』で、溝口健二監督は田中絹代という女優を理想的な妻へと仕立て上げた。

田中絹代扮する宮木が夫の望みや言いつけに全て従順であったからということではない。16世紀の無法な戦国時代に、そんな余裕はなかった。妻、宮木というキャラクターの魅力は、夫の源十郎(森雅之)と並んでロクロを回し、焼物に上薬を塗るなど一緒に汗して絆を深める姿にある。宮木は毎日着物の袖をたすきで括り、源十郎に負けず劣らずの重労働をこなし、陶芸知識を持っている。更に、物事の優先順位については彼より数段上の見識をもっている。

源十郎や宮木のような村人は、侍たちが兵隊として役に立ちそうな男衆を捕えに、村を襲いに来ることに怯えながら生活を送っている。だからこそ宮木は源十郎から美しい着物を貰ったときに、感謝の言葉をすぐに改め「あなたさえいてくだされば、私はもう何にも欲しくありません」と言うのだ。源十郎も同じ考えであれば良かったのだが。

雨月物語の力強さは、お金や出世を求めるというごくごく平凡な欲望でさえ人を破滅に導くことを描いている点にある。最も純粋な意味での悲劇だ。焼物を売るために町を目指したり、妻子を比較的安全な村に残して出かけたりする源十郎の行動は間違ってはいない。ましてやミステリアスな姫君が現れて大金を払うとなっては、焼物を屋敷まで届ける源十郎を責めることはできない。いや、彼に罪があるとしたら、それは姫君のいるただ広く荒廃した屋敷が、足を踏み入れた途端にかつての荘厳な雰囲気を魔法のように取り戻す不自然な様に気がつかなかった点につきる。これはただの女ではない、官能的な出会いが危険な結果につながること、そこに気がつくべきだった。 しかし、この現実と幻想への移り変わりを表現した溝口の繊細さ、廊下から部屋までの、微妙に方向感覚を失わせるパンやカットには、私たち観客さえも巧みに騙されてしまう。

宮木と過ごす源十郎の長閑な生活を描いておいてから、それが崩れて行く段階への種をちりばめた後、家族の顛末を嬉々と畳み掛ける。 これが、『雨月物語』をその他の悲劇映画とは一線を画すものにした溝口のやり方なのだ。見捨てられた宮木が殺されて終わるのでもなく、よろめいて地面に倒れる宮木の首にすがりついている赤ん坊を見て泣く者がいるわけでもない。物語は、妻の死と、自らの愚行が招いた結果を悟る源十郎をたっぷりと映し出して終わる。

ここでも監督は、ほぼ察知不能な、巧みに現実味を織り交ぜた夢のシークエンスを再度投入する。まず、源十郎が朽ち果て空っぽな家に帰ってくる。困惑し、呆然とした源十郎が家の裏をふらふらと廻り戻ってくると、そこには彼の想像通りに設えられた情景が復元されている。宮木は料理をしており、息子はぐっすりと寝ている。ここまでがワンカットの長回し。「おお、帰って来たぞ、帰って来たぞ」とため息をつく源十郎。発する言葉の1つひとつの音節からは、純然たる安心感が溢れ出す。源十郎の夢の目撃者である私たちも、宮木が生きていればどんなに良かったかを思わされる。感傷趣味の観客に希望さえも甦る(宮木は結局生きたのか!と)。

だが、違うのだ。翌朝、源十郎は何もない家で目を覚ます。 宮木の亡霊はもう天国へ帰ってしまい、そこには子供と共に残された源十郎が独り、楽園の喪失を嘆くばかりである。

(翻訳:親盛ちかよ)







『雨月物語』

監督:溝口健二
製作:永田雅一
企画:辻久一
原作:上田秋成
脚本:川口松太郎、依田義賢
撮影:宮川一夫
美術:伊藤熹朔
編集:宮田味津三
作詞:吉井勇
音楽:早坂文雄
録音:大谷巖
助監督:田中徳三
出演:京マチ子、水戸光子、田中絹代、森雅之、小沢栄太郎他

1953年/日本/97分/大映