OUTSIDE IN TOKYO
The Coen Brothers INTERVIEW

ジョエル&イーサン・コーエン『シリアスマン』オフィシャル・インタヴュー

2. 脚本を書き始めた時は、大人と子供の視点が同じボリュームだったが、
 書いているうちに、大人の方に引き寄せられていった

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──あなた方の子ども時代のことを描いているのに、なぜ息子のダニーではなくて、親のラリーに焦点を当てたのですか?
イーサン:それは、いい質問だね。取り組み始めたときには、大人の視点と子供の視点がもっと等分に分かれていたと思うんだけど、脚本を書いているうちに、大人の方に引き寄せられていったんだ。なぜなのかはわからないが。でも、僕らはこの作品を自伝的なものだとは思っていない。舞台となっているのは確かに僕らが育った場所なんだけど…。
ジョエル:その当時、僕らはダニーの年齢だった。でも僕らはダニーのキャラクターがなんらかの形で僕らを代弁するような存在だと思っていなかった。この設定の外側のストーリーの出来事は作り上げられたものだ。僕らはヘブライ学校に通い、バーミツバーの儀式(13歳で行うユダヤ教の成人式)をし、同じようなコミュニティーのなかで暮らし、父親は大学の教師だった。でも、ラリーとダニー親子に起こったことは、すべてフィクションだ。映画のなかでは音楽を聞いていたとしても、現実の僕らは授業中に音楽は聞かなかった。実際、ヘンドリックスとか、何曲かは1967年より後のものだから。

──この作品があなた方の私的な映画だと言われていることについては、どう思いますか?
イーサン:ある意味ではそうだと思う。なぜ全部肯定しないかって?この映画で描いているのは、僕らが育った場所であり、時代だけど、起こることについては、自伝的なものではないから・・・。でも設定は大きいよね。それが物語の全体の感じを決めるから、だから、その意味では、他の映画とは違って、僕ら個人につながるものはあるかもしれない。
ジョエル:僕らがここで描いていることが僕らの他の映画とは違っているように感じられるってこと?僕はそう思わないな。設定だけじゃないよね。“私的”ってどういう意味なのかな?僕らはユダヤ人だ。僕らがどこで育っていようが、それが僕らのアイデンディティーの重要な部分を占めている。僕らはミネソタで育ち、ミッドウェスタンの感性に特徴づけられている。それが、僕らは何者かということだ。でも、映画を作る過程で、自分が何者かということが影響することは確かなことだ。月に猿を送ることの映画だったとしてもね。まあ、皆がそんな風に言うのは理解できるけど。

──あなた方がこれまで作った映画のどれかで、あなた方のどちらかに近い作品はありますか?
ジョエル:いいや、僕らの映画のどれも、僕らのどちらかに近いなんてことは思ったことはないな。

──なぜあなた方は、自分たちの映画の登場人物をいじめるのが好きなんですか?
ジョエル:イーサンがさっき言ったように、良いことより、悪いことが起きるほうが、より面白いストーリーのネタになるんだよ。悪いことの方が、別のことにつながっていくよね。7月にクリスマス映画を撮るようなものだ。宝くじに当たると何か悪いことが起きる。そのほうが、ストーリーがダイナミックになる。僕らはそのことを愉しんでいるんだ。
イーサン:誰かに悪いことが起きるというのがコメディの常套手段だ。誰かの不幸っていうのは他人にとっては滑稽だからね。


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