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スペインの名匠ホセ・ルイス・ゲリン監督の『シルビアのいる街で』(2007)が日本のシネフィルを沸かしたのは2010年のこと(※1)だから、あれから早くも16年もの歳月が過ぎ去ったことになる。その後もゲリン監督は、2012年に開催された「ホセ・ルイス・ゲリン映画祭」のために来日(※2)、4年後の2016年にも『ミューズ・アカデミー』(2015)の公開に合わせて来日(※3)しており、2010年代のミニシアター界隈はホセ・ルイス・ゲリンの映画とともにあったと言っても過言ではない。そのゲリン監督が、10年ぶりに撮り上げた長編映画『よき谷の物語』(2025)を携えて、久しぶりの来日を果たした。かつて監督は、映画と観客との関係は神聖なものだから、自らの作品について語ることで観客の自由な想像力を奪いたくないと語った。その「映画」と向き合う純粋な姿勢を未だ失わず、それでも観客からの質問には誠実に応えてみせる、そんなゲリン監督の勇姿は、混迷を極める今のような時代にあって一陣の涼風のように感ぜられる。
バルセロナの郊外バルボナ地区に位置する“よき谷”と呼ばれる土地は、川と線路に挟まれた場所という立地条件によって、開発から取り残されたまま、20世紀半ばから多様な出自を持つ人々が移り住み続けている場所だ。『よき谷の物語』は、この“よき谷”に住む人々の暮らしぶりや人生を凝視することで、見るものに多彩な感情と記憶を喚起させ、思わぬ境地まで連れて行ってくれるドキュメンタリー映画である。住民たちへのインタヴューに始まり、時空を超えて歴史的厚みを帯びてゆく”よき谷”バルボナの重奏的物語は、その多くが移民である住民たちの人生の陰影を幾層にも重ねていき、やがて、スクリーンを抒情詩的味わいで満たしてゆく。そこに浮かび上がってくるのは、多様な人々が共生可能なユートピアのような世界である。
映画冒頭に“Work in Progress”と宣言されている通り、この映画はスクリーンで上映されるたびにひとりひとりの観客が歩んできた人生と記憶を呼吸して、未完成のまま、有機的に成長し続けていくのだろう。かく言う私の場合は、教会で初老の男がハーモニカを吹く場面で、突如としてジョン・フォードの『太陽は光り輝く』(1953)の愉快な裁判や慈愛に満ちた葬儀のシーンが脳裏に浮かび、この映画は現代バルセロナ版『我が谷は緑なりき』(1941)であるに違いないと思うやいなや、目の前のスクリーンでは、『我が谷は緑なりき』の、地面に花が咲き誇る中、牧師が足の不自由な一家の末っ子に“最初の一歩”を踏み出すよう勇気づける名場面を想起させる、老婦人と少女が美しい花が咲き乱れる丘の斜面を歩く場面が流れているではないか。果たしてそのような着想に基づいて、この場面が生まれたのかどうかは、甚だ疑わしい。それでも、そんな想像を働かせる自由が、この映画を見る観客には許されている。ここに、2026年7月11日ヒューマントラスト渋谷にて、『よき谷の物語』上映後に行われたホセ・ルイス・ゲリン監督の舞台挨拶の模様を掲載する。

そして、非常に普遍的なテーマもありました。とてもシンプルなもので、言うのが少し恥ずかしいくらいですが、私にとって非常に重要なテーマでした。それは、東京を含め、世界中のすべての都市は、かつては田園地帯に築かれたという考えです。ドキュメンタリー映画とテレビ報道やジャーナリズムとの違いは、映画では、地域的あるいは地方的な視点に偏るのではなく、常に普遍的な視点を追求するところに違いがあるのではないでしょうか?どこにでもあることだと思いが、文明の拡張、都市の拡張によって、その周辺の地域がどんどんと侵食される。拡張する文明と自然との間の対立は、郊外の都市、郊外の地域で非常に顕著に現れています。
映画の中で「映画を撮るなら西部劇だ」と言った紳士がいましたが、私が映画を作る時、私がキャラクターを追い求めるのではなく、キャラクターの方が私のところにやってくるように感じています。私は自分の映画を、私とコラボレーションしたいと思ってくれる人たちの目を通して、どのような映画になるのかというのを考えていきます。近所の老人ホームに住んでいるこの紳士は、すぐに協力者、共同脚本家としての素質を示してくれて、私たちはその映画がどんなものになるかについて定期的に話し合いました。西部劇というアイデアはそれほど突飛なものではありません。なぜなら、西部劇ではしばしば、文明の拡大によって脅かされる西部開拓時代が描かれるのですから。そしてそれは、鉄道の建設によって象徴されることが多いですよね?私には、それは比喩的に非常に力強いアイデアのように思えました。あの紳士は、まあ、私に少し似ているところがありますね。彼は映画好きの夢想家ですから。私たちは置かれている状況は違いますが、どちらも現実を空想する傾向があるのです。




『よき谷の物語』
原題:HISTORIAS DEL BUEN VALLE
7/3(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次ロードショー
スペイン、フランス/125分/カラー/ヨーロピアンビスタ
提供:マーメイドフィルム
配給:コピアポア・フィルム
宣伝:マーメイドフィルム、VALERIA
後援:スペイン大使館、インスティトゥト・セルバンテス東京
協力:山形国際ドキュメンタリー映画祭
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