OUTSIDE IN TOKYO
Press conference

レオス・カラックス『ホーリー・モーターズ』来日記者会見全文掲載

4. 映画が発明されたことは奇跡のようだと思っています

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Q:前作の『TOKYO!』に引き続き今回もキャロリーヌ・シャンプティエが撮影を手掛けています。フランスでも、全世界でも指折りの素晴らしいキャメラマンだと思うんですが、彼女との仕事についてお話しして頂ければと思います。
レオス・カラックス:先ほどドゥニ・ラヴァンと出会った時のことを申し上げましたけれども、映画を作り始めた時、ドゥニ・ラヴァンと出会い、そして当時そうした早い時期に、自分が映画を作ることを可能にしてくれた、2〜3人の重要な人物と同じ頃に出会いました。その一人がジャン=イヴ・エスコフィエでした。彼は私の撮影監督として最初の作品(『ボーイ・ミーツ・ガール』(83))を作り、自分の兄のような存在になってくれて、彼とともに80年代に三本の作品を作ることが出来ました。その後ジャン=イヴ・エスコフィエとは仲違いをしてしまい、彼はハリウッドに行き、そしてハリウッドで若くして亡くなりました。おそらく、ジャン=イヴ・エスコフィエが亡くなったことが私をフィルムからデジタルへと移行することの助けになったと思うのです。私はフィルムが大好きですけれども、私にとってフィルムで撮影することはジャン=イヴと私の強い関係とあまりに結びついています。そもそもフィルムで撮り続けようとしても予算がないので、フィルムで撮り続けることは出来なかったでしょう。『TOKYO!』にしても『ホーリー・モーターズ』にしても予算がないのでフィルムでは撮れなかったと思います。こうしてデジタルに移行することになってキャロリーヌ・シャンプティエと出会いました。キャロリーヌ・シャンプティエはデジタルの撮影の経験を多く持っている人でした。そして『TOKYO!』ですでにキャロリーヌ・シャンプティエと仕事をしたわけですが、その際カメラを借りることもせず、彼女が自分の家から持ってきた小さなカメラで、HDですらないカメラで撮影を行いました。こうしてキャロリーヌ・シャンプティエと二本仕事をしましたけれども、キャロリーヌ・シャンプティエは撮影期間を短くするために私がラッシュを見ないということを承知していました。トンネルのように前に向かって進む撮影だということが分かっていました。そしてまた私はデジタルが嫌いで、限界があるとは思っているけれど、デジタルを使う努力をするということも彼女は十分に承知していました。ですからそのために撮影の前にテストをするとか、様々な多大な努力を自ら進んでやってくれました。撮影前のカメラテスト、その他です。いずれにしても、キャロリーヌ・シャンプティエは映画作りの実際の撮影以前から、以降に至るまで、その映画に付き添おうと努めてくれる人です。資金調達の段階から協力をしてくれますし、映画が出来上がった後も協力を続けてくれます。一つのプロジェクトが好きだと思うと、その映画が存在をするように最初から最後まで努力をしてくれるのがキャロリーヌ・シャンプティエです。
Q:もう一つ質問をさせて下さい。映画史とこれほどまでに親身に向き合っている映画作家というのはとても少ないと思うんですけれども、先ほどの言葉を使えば映画に対する責任っていうものをカラックス監督は多く感じてると思うのですが、それが時折ご自身にとって重荷となるようなことはないでしょうか?
レオス・カラックス:今おっしゃったような言い方を私はしていませんけれども、幸運なことに私は17歳の頃に映画と出会うことが出来ました。また、映画が発明されたことは奇跡のようだと思っています。なぜなら芸術の中で映画だけが人間によって発明された、発明されなければなかった現実であって、他の芸術は全て人間の発明ではありません。17歳の時、私はこうした映画と出会えたことを、とても幸運だと思っています。古き地上に、ある場所があって、それを私は島と呼んでいますけれども、その島を出発点として生きること、人生や死、生と死を別の角度から見ることが出来る、そこで私はその島に住みたいと望みました。私は少ししか作品を作っていませんが、自分ではその映画という島に住んでいる気持ちでいます。確かにその島には大きな美しい墓場でもあるでしょう。ですから責任があるとすれば、そこに眠る死者達に対して時々名誉を返してやることではないかと思います。けれども大変美しい墓場です。確かに映画の中には不吉な部分があり、それが重々しい部分もあるでしょう。コクトーだったと思いますが、映画とは働いている死者を撮影することだと言っていたように思います。ですから死は常に映画の中に存在をしています。また同時に、私はその島が死んで自分が生きることを想像できません。
Q:長編作品の監督作がなぜ13年振りとなったのか、私たちは長編の次回作をまた13年くらい待たなければなりませんか?
レオス・カラックス:私は神様ではないので分かりません。長い間が空いてしまったことには様々な理由があります。しかし自分が作りたい時に作りたいような方法で映画が作れるわけではないのです。私自身『ポンヌフの恋人』を作った後、次回作を撮るのが難しい状況になってしまいました。そして『ポーラX』(99)は大失敗でしたから、その後さらに映画作りが難しくなってしまいました。人生では様々な出来事があって、それらの出来事に映画を作ることを妨げられてしまうこともあります。映画を作るには健康が必要ですし、2〜3人の共犯者が必要です。また、お金も必要です。これら全てが同時にいつも揃うとは限りません。確かにもっとたくさん映画を作りたかったとは思います。しかしいずれにしろ私は多作な映画作家にはなっていなかったでしょう。80年代に三本作っていますけれども、その後、例えば10年ごとに作ったとして、十本くらい作っていたかったとは思います。けれども、そういった多作な作家にはなりませんでしたし、この後また次の長編まで13年かかるかどうかは自分でも分かりません。


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