OUTSIDE IN TOKYO
melvil poupaud INTERVIEW

メルヴィル・プポー『ミステリーズ 運命のリスボン』インタヴュー

4. 幸いなことに、人生が一夜にして変わったっていう経験はないんです

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Q:ラウル・ルイスの演出は事前にあまり準備出来ないようにさせたり、いわゆる心理的なアプローチを嫌ったりするようですが、あなたのフィルモグラフィーを見ると知的だったり慎み深くて内省的な役がかなり多いと思います。ラウル監督の演出から何か引用したり利用することはありますか?
MP:そんなこともないですね。ラウル・ルイス監督との仕事は楽しいんですけど、僕にとって役者としては決して快適な経験ではないんですね。彼のことをよく知り過ぎてるんですよ、親戚の前でコメディを演じてるような感覚があるんです。あまりにも近しい人の前で演技をするっていうことは、全部を見透かされてるような、今は凄く演技してるなとか、そういうことを監督から見られてるような気がして、やはりあまり快適ではないですね。監督と多少の距離がある方が役者としてはやりやすい。自分を全部さらけ出すんじゃなくて、少し自分自身を隠しておく、自己防衛みたいなところがあります、それがないのがラウル・ルイス監督ですね。

Q:お母様はプロデューサーをされているのですか?
MP:広報PRです、ややプロデューサー的な時もありますけど、正式には広報PRですね。

Q:ご家族は映画に囲まれた環境だったんですか?
MP:母はどちらかというとインテリ系の知的な作品を担当することが多かったです、(マルグリット・)デュラスとかね、ヴェンダースの初期の作品とか。どちらかというとまだ駆け出しの若い監督の、例えば、カウリスマキとかをプロモートすることが彼女の仕事でしたね。そういう人達のフランスでの知名度を上げようというのが彼女の役割でした。だから私は小さい時、そういう人達、変わった人達が自分の目の前にいるなっていう体験を子供の頃からしています。ルイスの映画みたいなものですよ、ちょっと年取った海賊みたいな人もいれば、凄く美しい女優さんだったら妖精が出て来たのかなと思ったり、イザベル・アジャーニは僕のベビーシッターしてくれてたんです、彼女が二十歳くらいの時のことです。母の友人だったんですね、だから友人としてベビーシッターしてあげてもいいわよというような関係だったんです。夢のような環境で育って凄くラッキーだと思います。ラウルの映画では子供の頃から演じてますし、多重人格者になりかねないような環境で育って、日本でたくさんのファンが僕を囲んでくれるんですけど、殆どシュールな感覚をおぼえます。

Q:音楽活動の方はどうですか?
MP:新しいグループがあってそれは兄貴とやってるんですけど、「ブラックミヌ」っていうんです、黒い猫っていう感じの名前で、たくさんコンサートをやっています。僕の兄貴は、ジョニー・アリディのギタリストをやってるんですよ!

一同:おおー!

Q:プポーさんは幼い頃から俳優の人生を歩んでいらっしゃって、ちょっと何かのインタビューでお嬢さんには俳優を勧めないようなことを仰ったようなんですけど、プポーさんは、次の人生があったとしたら次も俳優を選びますか?
MP:難しいですね。この人生では素晴らしい監督と出逢っているので幸運でしたが、子役がずっとキャリアを続けられるかどうかっていうのは、やはり運次第なのです。当然フラストレーションもありますし、役者であることのリスクがどういうものかは分かっています、お金がないとか、企画がないとか、あるいはスターになるとか、高低が激しいですよね。燃え尽きるみたいに一生懸命働いたと思ったら、全然何ヶ月も仕事がないとか、人生としては凄く不安定です。そうしたリスクをずっと頭の中に入れて生きて来たわけですけども、凄くラッキーだったのは、大ヒットして大ブレークするようなことが、あまりなかったことがむしろ良かったのかもしれません。少しアンダーグラウンドなところでウロウロしてる程度が丁度いいのかもしれない。だから幸いなことに、人生が一夜にして変わったっていう経験はないんです。


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