OUTSIDE IN TOKYO
Mohsen Makhmalbaf INTERVIEW

モフセン・マフマルバフ『独裁者と小さな孫』インタヴュー

2. “音楽”、“子ども”、柔らかい感情を映画に持ち込むこと

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OIT:大統領の楽隊が、政権が転覆するやいなや、楽器をライフルを持ち替えたり、逃亡した大統領がストリートミュージシャンに変身したり、暴力と音楽のコントラストが鮮やかに描かれていましたが、“音楽”はこの映画でどのような役割を担っていますか?
モフセン・マフマルバフ:この映画の中でストーリーを追っていくと、大統領は自分の身を隠さなければならなくなったので、ミュージシャンの格好をします。そうすれば逃げ切れるだろうと少なくとも本人はそう思っている、それは表面的な話ではあるけれども。この映画は先ほども言ったように、どの国で見ても、これは自分の国の話かもしれない、自分の国に起きたことかもしれない、あるいは、これから起きることかもしれないということを感じて欲しかったので、色々な国の音楽を使っています。この映画で使っている音楽は、一箇所だけグルジアの音楽使っていますけれども、あとはインドの音楽とかロシアの音楽、西洋の音楽を使っていて、観客にこれは自分の国の話だと思ってほしかったわけです。そして、音楽を使うことで、柔らかな感情をこの映画に入れたかったということもあります。

OIT:グルジアの音楽というのは、あの「歌手の政治犯」が唄うものですね?
モフセン・マフマルバフ:そうです。

OIT:柔らかい感情ということで言えば、“孫”が映画の中では希望を感じさせる存在になっています。その子は車の中で群衆に襲われかけたり、恐ろしい目にあう場面が連発するわけですが、その辺の演出というのはどのようにされたのですか?
モフセン・マフマルバフ:“孫”は、今言って頂いた通り、凄く大事な役割を果たさなければなりませんでした。その役を誰が演じられるか、キャスティングには大変な労力を割きました。沢山探した挙句に彼(ダチ・オルウエラシュウィリ)に出会ったわけですが、もの凄く才能のある子でした。でも撮影の現場で、暴力的なシーンには、彼を立ち会わせないようにしたのです。彼のシーンは別に撮って、暴動とか人を殺しているシーン、大統領が殺されそうになるシーンは別に撮ってるんです。それを後で繋いでいます。だから彼の目の前でそうした暴力沙汰が起きているわけではない。ただし、孫と大統領を演じたふたりの役者にはもの凄くたくさん稽古を積んでもらって、沢山話をしました。大統領役のミシャ・ゴミアシュウィリには、あなたは最初は王様なんだ、大統領なんだからそれらしく演じなければならない、その後あなたは恐れを抱くようになる、革命が起きるから逃げなければならない、逃げたところで恐ろしい目に遭う、もしかしたら殺されるかもしれない、それを乗り越えると少しずつ自分の状況に慣れてきて少し落ち着きを取り戻す、そうなると少し威張りだす、少し威張りだしたら今度は捕まって、、、というふう風に、すべて脚本を分析して説明をするのです。それで、出来るかを聞いて、大丈夫だというので彼を選んだ。子どもにも同じことをするわけですが、子どもはもちろん大人みたいには話を聞けないから、最初は、あなたは王様の子だよと言って、お城のシーンを撮る、そして今度は、それを忘れて、あなたは物乞いだよと言って撮影をする。つまり、短編をいくつも撮ってる感じで彼を演出したのです。彼はシーンに応じて、もの凄く違う演技をしなければならなかった、もちろん、彼は演技をしながらその状況も理解しなければならない。彼はそうした才能には恵まれていましたが、演出は脚本を分析して、ちゃんと説明をしなければなりませんでした。そうしなければ、的確な演技は引き出せなかったかもしれない。

OIT:たとえフィクションと言えども、子どもを辛い目にあわせることは極力避けたわけですね。
モフセン・マフマルバフ:出来るだけ、彼が必要じゃない時は帰していたんです。暴力シーンや首を切るシーンも撮りましたが、そういうシーンでは絶対に彼を遠ざけるようにしていました。ですが、隣りに居なければいけないシーンもあるんですね。例えば、大統領が痛めつけられるシーンは彼も横に居ないといけなかったわけです。その場合は、これは映画だよ、映画なんだよ、本当に起きているわけではないんだ、ってことを何度も何度も言い聞かせて、これは演技なんだということを理解してもらったわけです。


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