OUTSIDE IN TOKYO
OTAR IOSSELIANI INTERVIEW

オタール・イオセリアーニ『汽車はふたたび故郷へ』インタヴュー

3. 現在、映画は、「本当の映画」と「作家の映画」の二つに分けられてしまっている

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Q:現在のゲオルギアの映画を取り巻く環境をどうご覧になっていますか?
OI:日本と同じくらい悪い状況です。かつては単に映画が存在していましたが、今は映画を二つに分けるようになっています。作家主義という概念が発明されたからです。一方には本当の映画が存在する。リュック・ベッソンが作るような。その他の全ては「作家の映画」とまとめられているのです。

溝口健二の時代には映画だけがあった。オーソン・ウェルズの時代にもやはりあったのは映画だった。バスター・キートンの時代にあったのも映画だけです。その後は全ての人々のために映画を作るようになりました。すなわち、あまりにもわかりやすい“バカのための映画”を作るようになったのです。そういう映画は二回目に観たとき、真ん中まできてようやく以前にも観た映画だと気づきます。例えばヴィットリオ・デ・シーカの『ミラノの奇跡』(51)を観たとき、私は一度しか観ていないのに今日に至るまで最初から最後まで語ることができます。それはただ単に映画だったからです。黒澤明の『赤ひげ』(65)にしても同じです。それは映画だったから私のビジョンの中に留まっているのです。

私はジェームズ・ボンドが大好きです。観るととてもリラックスできるので寝る前に観るのに最高です。しかし三回目に観たとき、半分まできてようやく以前にも観た作品だと気づきました。このように観た後に消えていってしまいます。

ゲオルギアの映画の状況ですが、今ゲオルギアの映画協会の会長はシェンゲラヤです。ゲオルギー・シェンゲラヤがゲオルギアの映画界のトップにいるということです。彼は『ピロスマニ』(69)という愛すべき作品を撮りました。あまり知られていませんが、彼が作った『若き作曲家の旅』(76)というすばらしい作品があります。ゲオルギアが内戦状態だったとき、若い作曲家がフォークロアの歌の採集のために国中を旅する話です。まわりでは恐ろしいことが起こっているのに、彼は消え去ろうとしている歌を録音し譜面に書き起こして記録に留めようとします。世界が崩壊しようとしている、すなわちロシア革命が起こって内戦となっているのに、彼は歌のことしか考えていない。歌だけが後に残るもので、他のものは全て消えていくとわかっているからです。そういうすばらしい映画を撮ったのがシェンゲラヤです。シェンゲラヤの映画のタイトルも『Chantrapas(<歌わない子>=役立たずの意味)』にしてもよかったと思います。

Q:政治的な問題から自国を離れて活動をする芸術家はたくさんいます。例えば作家のミラン・クンデラは、自分の国の状況が変わってももはや帰る気はないと言っています。監督はいかがでしょうか?
OI:自分の生まれ故郷へ帰ることは外国へ行くよりももっとひどいことです。全てが変わっていますから。まず、人々が同じではない。特に高齢者がいません。つまり、私たちが一番歳をとっている。何かを思い出す人間はわたしたちだけになってしまっています。私には子ども、孫、ひ孫がいますが、皆を何かを覚えているように育ててきたつもりです。私たちは次の世代との橋渡しになるべき世代だと思っています。ところが、実際ゲオルギアでは、ほぼ全てが忘れられている。田舎者の成り上がりたちが、国の全てを支配するようになってしまっているのです。顔は古い世代の顔と変わらないのに、行動はどんどん野蛮になっています。そういう人たちから期待するような反応が返ってくるとは到底思えない。これはとても悲劇的なことです。

「ドクトル・ジバゴ」という小説の最後にそのことがハッキリと書かれています。ジバゴの子どもだと思われる少女が出てきて、顔こそ両親にそっくりなのに、少女はあまりにも野蛮になってしまって自分のルーツが全くわからなくなってしまっています。このように顔はそっくりなのに内容が全く変わってしまっている。それが今のゲオルギアだと思います。

日本にしても同じでしょう。また、フランスにも当てはまることです。ロートレックの時代のフランスはもう終わりです。ラ・グリュの世界はもう終わり。フレンチカンカンはもう踊らなくなっています。昔フレンチカンカンを踊っていたときは、長い膝丈のレースでいっぱいのパンツを履いていました。もし今レビューでフレンチカンカンを躍らせるとしたら、下着は真っ赤で短いパンツです。カフェにしても、かつて落書きをしたり絵を描いたりしていた壁が、今ではビニールで覆われて触れられないようになってしまった。そのカフェにはもはやピカソやランボーやベルレーヌやボードレールたちは訪れません。みんなが下を向いて自分のスープを飲んでいるだけです。ですから、私はフランスに帰ることもできない。フランスに来たとき、少しはベル・エポックの香りにありつけるかと思ってやってきましたが、その時にはすでにベル・エポックは終わってしまっていました。遅すぎたのです。

いずれにしろ、「河の流れはいつも同じではないのだから、同じ河に二度入ることはありえない」という格言があるのですが、それと同じで自分の生まれ故郷を再び見出してそこに戻るというのは不可能なことです。山は同じ姿でそこにあり、寺院も変わらず残っています。しかし地上で這い回っているもの全てが不愉快な存在になっています。それが、時が流れるということなのでしょう。少しずつ人々が野蛮になっていきます。


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