OUTSIDE IN TOKYO
RAYMOND DEPARDON

レイモン・ドゥパルドン『モダン・ライフ』インタヴュー

2. ブレッソンのシンプリシティを見て、わたしの道はこれだと思いました

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──写真家としてキャリアを重ねて来たドゥパルドン監督にとって、映画(動画)とスチール(静止画)の違いはどのようなものですか。
R・D:優れた写真家というのは必ずしも優れた映画監督ではありません。写真と映画は一見とても近いように思えますが、似て非なるものです。映画と写真に流れる時間は異なるものだからです。もし写真を撮るようにムービー・カメラを使うなら、結果は惨憺たるものでしょう。映画は写真と比べて物語、意味を持たなければなりません。

映画を始めた当時はよく、お前はどっちがやりたいのかと訊かれたものですが、現代では両方やることは当たり前になっていますね。わたしは現在3つのエージェンシーに入っていて、映画と写真の割合はちょうど半々ぐらいです。でも写真家の知り合いは大勢いますが、映画監督は少ない。もう亡くなってしまったジャン・ルーシュ、フレデリック・ワイズマン、何人かのフィクションの監督……。ですから自分の家族はいまだに写真家たちだと思っています。

──写真家というキャリアを踏んだうえで映画を始めるという意味で、アニエス・ヴァルダを思い浮かべますが、それについてドゥパルドン監督はどのように思われますか。
R・D:わたしは彼女の作品が大好きですよ。『5時から7時までのクレオ』(61)とか『ジャック・ドゥミの少年期』(91)。彼女はとても独立した人です。でもわたしとはいろいろ異なる点があって、たとえばわたしはルポルタージュから始めましたが、彼女はポートレートや作品も含めていろいろなスタイルのものを撮っていました。ヌーヴェルヴァーグのなかに居て、ゴダールなど友人も多かったですが、当時わたしはといえば、まだ一観客に過ぎませんでした。思うに共通点は、ふたりともあまりグループに属さない独立独歩なところがある点でしょうか。外交的な彼女に比べたらわたしはずっと内向的ですが(笑)。わたしが『The 10th District Court: Moments of Trials』(04)という作品を撮るために、法廷の中を撮影する許可をずっと待っているとき彼女に、時間が勿体ないからそのあいだに次のことをやったらと言われたことがありました。彼女の『冬の旅』(85)を観ると、自分の撮るべきもの、立ち位置をわかっている監督だと思います。数年前に開催したフォンダシオン・カルティエの展覧会も、自由にやりたいことをやっている様子がよく表れていて、面白かったです。

──リュミエールやブレッソンのシネマトグラフィ(映画芸術)が監督の映画作家としての出発点にあるのでしょうか。
R・D:ロベール・ブレッソンにはたしかに影響を受けました。彼はたったひとつのカットで多くのことを説明できる。こうしたある種“経済的な”手法はとても興味深いものに映ります。たったひとつの最適なカメラの位置を見つけるだけでいい。ブレッソンの映画を観ればそれがとてもよくわかります。審美的にシンプルでありながら荘厳である。わたしは遊びの多いルノワールよりもブレッソンのようなタイプに共感するのです。あのシンプリシティを見て、わたしの道はこれだと思いました。

──本作で農民の暮らしに焦点を当てるにあたって、印象派の画家たちの作品がインスピレーションになることはあったのでしょうか。
R・D:印象派の絵画は好きです。以前チューリッヒに行ったとき、百点以上の印象派の作品を観る機会があって、とても感動したのを覚えています。でも彼らの絵が直接わたしに影響を与えたというわけではありません。その点ではむしろオリエンタリストと呼ばれる、19世紀の植民地時代に書かれた、無名の画家たちによる砂漠や未開の地の絵に影響を受けました。アフリカも中近東諸国もともに好きですが、どちらかといえばオリエンタルな世界に惹かれます。

──本編ではなく、スチール写真についての質問ですが、20頭ほどの羊がカメラを見つめていて、人はカメラをみていないという素晴らしい写真がありますが、これは意図して撮られたものですか。
R・D:もちろん羊がカメラを見ているのは偶然ですよ(笑)。でもわたしは、彼が羊を連れてここを通るのを知っていました。こういう構図の写真を撮りたかったので、カメラを設置して、彼らがここを通るのを待っていたわけなのです。

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