OUTSIDE IN TOKYO
Tomas Alfredson Interview

トーマス・アルフレッドソン『ぼくのエリ 200歳の少女』インタヴュー

2. 僕の善と悪に対する基本的な見方は、人間が善でも悪でもない、ということだ

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OIT:映画に付随する、人間の本質について教えてください。
TA:人はいつも、補食するもの、されるもの、というステレオタイプに陥ってしまうようだ。それはいつもステレオタイプのように見えるのに、僕らはいつもその罠にはまってしまう。自分の映画を分析する人間として相応しくないと思うが、僕の善と悪に対する基本的な見方は、人間が善でも悪でもない、ということだ。人はそのどちらになりたいかを選ばなければいけない。自分であることを選ぶことができるんだ。子供が、救ってもらうことを願って祈るなんて考えは嫌いだ。

僕の考えでは、エリはオスカーの頭の中の夢だ。彼女は、彼の怒りの生まれ変わりだ。オスカーは、自分の生きる社会で受け入れられない。だから、彼は、その社会を捨てることで、究極の責任をとることにする。それは12歳の少年としては、とても勇気ある行動だ。とても妥協のない、実利的で美しい。

OIT:(最後の)プールのシーンはどう構成しようと考えていたの?
TA:僕らの場所はとても限られていた。だから最初から、この結構お金のかかるシーンを撮るためにとても厳しい解決策を考えなければならなかった。それから、誰の視点から物語を語ろうかと考えた。もちろん、それはオスカーの視点から語られるべきだというのは分かる。プールのシーンは、何ヶ月にも及ぶ企画と思考の産物だ。そして僕はそれをとても誇りに思う。絵的に説明をし過ぎることなく、暴力的になっている。イメージからは、表層の上でどんなことが起きているのかヒントが得られる。最も強いイメージは、観客自身が自分でイメージを作り上げる必要がある時に起きる。映画作家はただ提案やヒントで手助けする程度の状態で。

OIT:観客と自分の間の距離感で理想的な状態は?ユーモアによって、恐怖を増長させることができると、この間、暴力や恐怖の方がずっとそれを達成するのに簡単だと話していましたね。
TA:一番大事なのは、映画と観客の間にダイアローグを作ろうとすること。現在、あまりに多くの映画が、顔の目の前に突きつけられたモノローグのように感じられ、観る者として、全く関与しないことが多い。変更の余地のない商品を受け身で買う消費者であることを期待されている。

OIT:そのユーモアは、あなたが長いキャリアで培ってきたコメディーとどう違うの?
TA:特に違いはないよ。人は、僕がコメディーを作ると、「ああ、それを作るのはとても楽しいんだろうね」と言い、僕は、「ツケ鼻を作る人が、ツケ鼻に穴をドリルで開ける度に笑うと思うかい?」と答えていた。そこまでシンプルではないけど、悲劇も作るのは楽しいかもしれないし、コメディも扱いがとても大変ってこともある。

OIT:リメイクものへの考えを教えてくれるかな?
TA:リメイクのひどさを逃れられた映画を思いつく?他人がやるリメイクもあれば、元々の監督がやるリメイクもある。ミヒャエル・ハネケもあったし、スザネ・ビアもあった。よく分からないな。『ハムレット』はしょっちゅうやってるんだから、別にいいんじゃないかな。この映画のリメイクをやると聞いた時は、嫉妬心を感じた。それはとても人間的な反応だと思う。でもそれから気にしないことにした。どのような結果を出してこようとも、僕のバージョンは変わらない。僕はとても誇りを持っている。

OIT:新しい映画は今のところ、どこまで進んでますか?
TA:今はロンドンで、ジョン・ル・カレーの書いた『Tinker Taylor Soldier Spy(原題)』を準備している。10月に撮影に入りたいと考えている。

OIT:何百万回と聞かれていると思うけど、スウェーデンの映画監督の系譜はどう見ていますか?
TA:スウェーデン的な美意識というものはあるのかな?北欧的な美意識もあるのかな?僕らはみんな、暗い側面から人生を見ていると言えるのだろうか?

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