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WAYNE WANG INTERVIEW

ウェイン・ワン:オン『千年の祈り』

2. イーユン・リーには、洗練された脚本を書いてほしくないと伝えた

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父と娘が2人で(口数少なく)食卓についているシーンも小津を意識していたのですか?
ああ、あれはそういう意味で意識はしていなかったかな。意識していたとしたら、ミニマルにすることと、より間接的な表現を全体的に持つこと、そしてもしかしたら、少しだけ小津の影響を感じながらフレーミングすること。例えば、彼の夕食のシーンとか、クローズアップがあまりない状態で、場面を自由に演じさせてみることとか。そしてまた、小津映画の特徴としては、家族の中で起きている変化、家族が世の中から受けている影響が見られる。彼の多くの映画は、戦後に作られた。家族が変化していた。2つの世代も変わりつつあった。僕はこの映画でもそれをとても意識していた気がするね。

あなたもアメリカにいてそういう経験をしていますよね?今現在、親家族はアメリカにいるのですか?
僕の家族は元々、中国、というか香港から来ている。そして家族が移り住む10年か12年くらい前に、学校のためにアメリカへ渡った。だから家族が来た頃には、それは映画のように、僕はもう違う人間になっていて、違う言葉を話していた。 そして僕は変わった。もう何でも言うことを聞き、礼儀をわきまえて、何でも言う通りにするという、良き中国人の息子ではなくなっていたんだ。だから子供たちがそれほど親にやさしくない、『東京物語』のようだ状態だ(笑)。彼らは自分たちの人生を生きることに忙しすぎる。僕もそれに近かったんじゃないかな。

あなたは本を見つけて読み、イーユン・リーに脚本も書いてくれるように頼んでいますね。実際、彼女にはどんなことを伝えたのですか?
まあ、僕は、あなたはすごいいい物語が語れるのだから、いい物語を語り続けてくれたらいいと言った。そして、あまり説明的にならないように言った。脚本ではどうしても説明的に進行を伝えるところがある。登場人物が何をするか見せなければいけないから。そして、あまり台詞にも頼らないように伝えた。何が起きるのかを映像で伝えなければならないから。時に、沈黙こそ力強いことがある。人と人との沈黙に意識を働かせてほしいと言った。人と人との会話ではなく。僕らが話し合ったのはそれくらいかな。あと、意識的に、洗練された脚本を書いてほしくなかった。洗練された脚本は、あまりに予想がつきやすいから。僕が脚本をあまり書いた経験がない小説家と仕事するのが好きなのは、例えばポール・オースターもそうだったけど、物語を語る自分なりの方法を見つけていくから。その要素を残したかったんだ。

それはあなたが作り上げるための断片でもいいということですか?
いや、断片ではないかな。ちゃんと物語を語るようにということだね。でも、ハリウッド映画の脚本のように、という意味ではない。そんな脚本では、25ページの終わりには第一幕の最後が来て、ある葛藤が提示される。そして30ページでは、それを解決に向かわせるというか、登場人物がその葛藤を解消し始める。そして二幕の終わりには大きな災害が起き、大きな葛藤が生まれ、三幕にはって感じだ。それが古典的な脚本のフォーミュラだ。だからそこにはまってしまうと、それが悪いわけではなくて、とてもパワフルなものだけど、少し予想しやすくなってしまう。だからある意味、僕は葛藤を生み出したかった。そこにミステリーがほしかった。ドラマティックなクリシェに陥ることなく。彼女にはそういう方向を勧めたんだ。

彼女の書いた小説から少しそらすような意味での参照は与えたりしたのですか?
彼女は、出来のいい脚本を見せてほしいと言い続けていた。そして僕は、いや、どんなものを読むべきか分からないと返していた。いわゆる脚本は、2、3本渡したかもしれない。でもそれがどれだけ役立ったか分からない。僕はファイナル・ドラフトというソフトウェアを彼女に渡した。書いたものを脚本のフォーマットに落とし込んでくれるものだ。何を書こうが、脚本になってしまう。だからただ物語を書いているだけではなくなる。全てがフォーマット化されてしまうから。でもそれはテクニカルな意味で、役立ったんじゃないかな。あとは、僕が気に入っていることを話し合った。何を強調したいかも。僕が行った大きな変更は、公園のベンチで会うマダムで物語を終えなかったこと。結局、父と娘で終えることにした。あと、同じようにアメリカ人ではない愛人がほしいと思った。それで彼女はロシア人というアイデアをくれた。ショート・ストーリーでは、マダムがイラン人だったかどうか思い出せない。そこも作ったような気がする。僕は彼女に、アメリカの世界をより多文化的にするように勧めた。それでそういうことを話し合った。僕は何が好きで何が好きじゃないか。そして彼女はそのあと書き出したんだ。

脚本は何稿も重ねたのですか?
3、4稿を経たかな。初稿はとても長くて、台詞も多くて、あまりうまく整ってなく、いわゆる“流れる”ような形ではなかった。それで編集して、あるところにフォーカスを当てるようにした。そしてそこからまた始めた。撮影を開始した時、そこから僕はまた直感に従って作っていった。基本的に脚本に従いながら、毎日変更を加えていった。脚本では、娘と父のそれぞれの視点から物語が語られ、そのバランスがある。でも撮影が始まると、僕は父親の役柄がとても気に入った。そして彼がもっと娘のことを知ろうとして、それがよりおもしろいミステリーになると思ったんだ。それで娘のシーンの多くを取り除き始めた。娘とロシア人の恋人についてももっと入っていた。撮影はしたんだけど、編集の段階でほとんど全て取ってしまった。今はひとつのシーンしかない。その前は最低でも4、5本はあったけど。

少し話してくれたけど、何がいい物語を作ると思う?あなたはいい物語、もしくは文学に惹かれる傾向があるようですが。
そうだね。いい物語とは?それはいい質問だね。僕が思うに、いい物語には葛藤がなければならない。誰かに言われたのを覚えている。登場人物には次がなければいけない。私は何がほしいか。そしてそれを手に入れるのに何が邪魔になっているのか。それがいい物語の始まりだと思う。そしてそこに葛藤が生まれること。それから、もうひとつ重要なのはミステリーがあること。何を知らないのか。何を知りたいと願うのか。この場合、父親は娘の人生に何が起きているのか分からない。それで知ろうとする。ある意味、探偵みたいなものだ。実際に探偵でなくても。葛藤とミステリーの2つが、僕が思うに、いい物語を作るものだと思う。そして明らかに、魅力的なキャラクターだ。分かりやすすぎるキャラクターではなく。彼らに起きることも、あまり普通ではなく、興味深くなければならない。それがいい物語だ。実人生を元にしていることも重要だと思う。もしファンタジーの要素が過ぎれば、違うものになってしまう。それはそれでいいんだけどね。コミックや漫画はそれで素晴らしい。完全なファンタジーだから。でも僕はキャラクターが牽引する物語を作るのが仕事だから、リアリティーも重要なものだ。

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