OUTSIDE IN TOKYO
DIRECTORS' TALK

対談:アヴィ・モグラビ監督×村山匡一郎(映画評論家)

3. フィクションとノンフィクションの境界が曖昧なモグラビ作品

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村山:ただ、見ていると、先程あの正面カットを自分で撮るというのは、実際には演出なのですよね。僕はそれは全然悪いとは思わないし、いわゆるドキュメンタリーというのはジャンルではなくて方法だと思っているわけです。つまり、監督自身が現実を表現する一つの方法だと。だからその中ではフィクションが入ってもいいし、ノンフィクションでもいい。僕は、そういう形でドキュメンタリーも劇映画も観ているので、そういう意味でいうとモグラビ監督の作品はもの凄く面白い。どこまでが実際にあったことで、どこからが監督がコントロールしているのかなっていう所が割と分からないわけです。監督自身はフィクションとノンフィクションの境界みたいなものは何か意識されているのですか?
モグラビ:私から言わせれば、全てがフィクションであるということです。ドキュメンタリー、フィクション、コメディ、ドラマ、こういう区分けはビデオ屋さんにとっては便利なものでしょう。しかし、映画を映画そのものとして観た場合に、私にとってはフィクションであるのかノンフィクションであるのかという区別はありません。ドキュメンタリーにせよフィクションにせよ、映画を作る時には、最初に映画作家の頭の中でどういう物語をどのように語りたいかを考える。その物語が現実に基づいているのか、あるいは現実から離れたものに基づいているものを描くのかという違いはあるかもしれませんが。その次に起こるのが、映画を作るために素材を集めるというプロセスであり、その中には様々な危機があったり、あるいは、自分が考えていたコンセプトが色々な方向に変わって行くということが起こるわけです。しかし、映画が本当に作られる瞬間というのは編集の過程にありまして、撮影によって集めてきた様々な素材が、一旦その撮影された文脈から外れて、脱構築された断片を映画作家の頭の中でどう構築していくかということになるかと思います。編集の中で映画のストーリーであるとか、物語の語り方であるとか、あるいは、現実の体験が再現されているとか、といった事があるわけですが、その結果出来上がるのは、映画作家が現実というものをどのように語ったらいいのか、もしかしたらこういうやり方でいいのかもしれないな、というものに過ぎないわけです。もちろん私がここで言いたいのは、現実など存在しない、というような話ではありません。ここで言いたいのは、どのような物語であれ、物語を語るのは人間に過ぎないわけで、その物語は彼がどのように物事を見て、どのような言い方で語っているか、にしかならないわけです。その点に於いては、ドキュメンタリーもフィクション映画も変わらないし、それはSF映画やファンタジーも全くその点では同じ事なわけです。
村山:全く大賛成です。ただ僕は、全てがフィクションである、ではなく、全てが映画である、という立場をとっていまして、だから、映画=フィクションということであれば、まあ、同じ話なわけですが。ちょっと面白いのは、モグラビ監督の作品は、イスラエルの現実とその中に生きている自分というのが絶えずどの作品にも出ているのですが、作品毎の映像に対する姿勢が少しずつ違っているような気がします。先程、監督自身が言っていましたが、『二つの目のうち片方のため』は非常にある意味でストレートな作品で、というのは、最後のところ、2つのシーンで監督自身が言葉を発していないのですね。要するに、カメラに向かって喋る以外は、現場ではほとんど口を聞いていないという。だからその意味では、『二つの目のうち片方のため』の方は現実が全面的に観客の前に出てくる印象が強かった。それに平行して、実験的な工夫を映像の中で色々やっている。実験的というと少し大袈裟なのかもしれないが、例えば、先程監督が仰った一人三役の場合、写すスクリーンを工夫している。それから『ハッピー・バースデー Mr.モグラビ』では逆回転を使っていますよね。つまり、50周年というような記念すべき時を表現する場合、必ず過去から始まるが、この作品の場合は、過去へ向かって逆回転している。そうしたある種実験的な手法を混ぜようと思ったのは、何かあるのですか?例えば、何か実験映画の影響とか?
モグラビ:そうですね。私は美術の勉強をしていますので、70年代後半のビデオアートの影響を受けています。当時はまだビデオカメラはとても大きくて扱いが複雑で作品を作るのはとても難しいものでした。私が勉強していた70年代の後半、その時代にはまだ前衛芸術、アヴァンギャルドをやってもいいじゃないか、という雰囲気がありました。もうひとつ幸いなことに、私は映画の勉強というものをしていないので、映画のルールを教わることはなかったのです。私が知る限るでも映画学校というとまずそういうルールを教える場であると思うのですが。もうひとつ、その後出て来た小さなビデオカメラというものが、まず制作の状況の中で様々な自由を我々に与えてくれるわけですが、一方で創造上の自由も与えてくれる。大変過激に芸術的な挑戦をやろうとした映画を作ってその結果誰もそれを見てくれる人がいなかったとしても、そんなに大きな損失にならないわけです。昔ほど大きなコストが掛かるわけではないので。そうは言いつつも、最新作の『Z32』では、逆回転を使ったり、とても凝ったデジタル効果を使った結果、もの凄くお金が掛かってしまいまして、その結果として、自分の創造的自由が奪われていないことを祈るばかりです。
村山:『Z32』は皆さん是非、山形に行って見てほしいのですが、その処理が何段階かに別れているのですよね?最初は、顔を消すのに、何か厚化粧をしているような印象なのですが、その後最後になってデジタル処理を部分的にやっていたのでは、という気がしていますが。違うのでしょうか?
モグラビ:全部デジタルです。
村山:ええっ!最初のあの厚化粧のメイキャップもですか?
モグラビ:そうです。
村山:ああそうですか。すごいですね。あれを見たときは本当に奇妙な感じがしましたけれども。
モグラビ:この映画で、インタヴューしている本人の顔が写るということは一切ありません。何種類かのデジタルで作ったマスクをそこに被せているわけですけれども、映画の最後の方では非常に自然に見えるデジタルのマスクを顔に被せていて、チラシの写真のように手がその下に入るところで、やっと実は本物の顔ではないというのが分かるようにしました。
村山:やはり工夫しているのですね。なかなか面白かったです。はじめはこれはどっちなのか?という感じで。監督の作品を見ていると、これはもしかしたらフィクションではないのかと疑う時がありますね。『Z32』もそういう印象を受けました。
司会:そろそろお時間がなくなってきましたので、、、
モグラビ:最後にここにいらっしゃる皆さんから、質問を受けましょう。そして、最も良い質問をしてくれた方には、山形行きの切符を差し上げましょう(笑)。ただしものすごく良い質問でなくてはダメですよ。
観客:(シーン)
司会:監督がハードルを上げ過ぎたので、誰も質問が出来なくなっていますけれども(笑)。
モグラビ:OK、それでは、切符だけではなくて、ホテル代もつけますよ。
観客:はい(と手が挙がる)
モグラビ:よし、あなたに決まりです(笑)!
観客:えー、ずうっとモグラビ監督の作品が気になっていまして、今回は色々な作品を見れてとても良かったので友達にも薦めたいと思います。質問なのですが、今日のシャロンの映画にも奥様のことが出ていたり、『アット・ザ・バック』も奥様のことを追っている映画なのですが、モグラビ監督の奥様はモグラビ監督が映画を作るという事に関してどのように考えているのか?例えば、奥様についてのもっとプライベートな映画を作るとしても許諾してくれるような女性なのでしょうか?
モグラビ:私の映画に出てくる映画作家というのは、必ずしも100%モグラビ本人そのものと同じではないように、私の映画に出てくる妻の女性もその映画の映画作家の妻であって、必ずしも私自身の妻とそっくりというわけではありません。『アット・ザ・バック』という作品は、もっとも個人的な作品であって、あそこまで個人的な映画はかつて作ったことがありません。この作品は、丁度10年前に今と同じように日本に来た時に、妻と一緒に来ていたのでそこで撮った作品でして、見ているだけで私と妻との本当の関係が随分よく描かれている作品だと思います。ご覧になれば分かるように、彼女は地図を持って先に立って、さあこっちに行くわよとやっていますが、映画作家である私は、後からこっそり付いて行くことしか出来ないわけです。あれ以上、自分の私生活を観客の皆さんにお見せしようとは思いません(笑)。
村山:今の方のご質問に絡んで。モグラビ監督の作品は、監督がいつもカメラに向かっていますよね、そうすると、必ずその奥を奥さんが通り過ぎたりするでしょ、あれは演出なんですか?
モグラビ:いえ、それはその場で起こってしまったことなのです。例えば、『Z32』の中で一瞬彼女が部屋の奥の方でちらっと写って、そこで10秒くらいセリフをいう所がありますけれど、それもたまたま写ってしまったもので、その後、それをもう一回後でやろうというわけに行かないので、リハーサルの段階からカメラを回したのがそのまま映画の中に残ったというものです。
村山:ということは、監督は意図を持ってセリフを喋りカメラを回している一方で、奥さんはドキュメンタリーとして登場してくるということですね(笑)。
モグラビ:今のお話に少し付け加えますと、11月にフランスでエキシビションをやるのですが、それは政治的な意図で作った短編ビデオを主に展示するもので、その展覧会の会場の一角に小さな小部屋を作って、壁の一面には『アット・ザ・バック』を上映して、その反対側の壁には、私が背を向けてピアノを演奏する映像を流そうと思っています。因みに、私はピアノがもの凄く下手なのです。
通訳:『Z32』をご覧になれば、監督がもの凄く音痴であることもお分かりなるかと思いますが(笑)。
モグラビ:そこまで言うと、君を山形に連れて行けるかどうかわかりませんね(笑)。

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