映画、気象のアート
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入場料金(全席指定・定員入替制):一般 1,500円/大専・シニア 1,200円/高校以下、ジャック&ベティ会員、アンスティチュ・フランセ会員 1,000円(横浜日仏学院会員は、ポイントカードの3ポイント利用で1回無料)
開場時間:上映の10分前
※チケットは、劇場窓口にて、ご鑑賞日の3日前から指定席で発売します。
開場時間:上映の10分前
※チケットは、劇場窓口にて、ご鑑賞日の3日前から指定席で発売します。
入場料金(一律):1,100円/全席自由(整理番号順)
開場時間:上映の15分前(上映開始10分後以降の入場はご遠慮下さい)
※チケット:Peatixにて発売中 http://ifjtokyo/peatix.com/view#
(窓口販売はございませんのでご注意ください)
開場時間:上映の15分前(上映開始10分後以降の入場はご遠慮下さい)
※チケット:Peatixにて発売中 http://ifjtokyo/peatix.com/view#
(窓口販売はございませんのでご注意ください)
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上映スケジュール
横浜シネマ・ジャック&ベティ
【第1部】
【第1部】
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【第2部】
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東京日仏学院 エスパス・イマージュ
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上映プログラム
| 『風』(Le Vent de Victor Sjöström) 1928年/アメリカ/79分/デジタル/モノクロ 監督:ヴィクトル・シェストレム 出演:リリアン・ギッシュ、ラルス・ハンソン、モンタギュー・ラヴ、ドロシー・カミング レティは、テキサスの従兄ビバリーのもとへと頼って行くが、そこは砂嵐吹き荒れる大平原。さらにビバリーの妻コーラの嫉妬に耐えかねたレティは、生きていくためにカウボーイ、ライジとの結婚を決意する。自然現象の「風」を、それに対する恐怖心を描くことで見事に表現したサイレント映画の傑作。大女優リリアン・ギッシュが名演技で魅せる。 「『風』は、ハリウッド映画のロマンティシズムとはかけ離れ、(…)北欧の自然への感覚、それまで文学だけが慣れ親しんできた主題の複雑さを持つ不可思議な映画であり、スウェーデン映画のすべての美点とアメリカ映画の最高の部分が見事に融合した作品だ」(アンリ・ラングロワ) |
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『キートンの蒸気船』(Cadet d'eau douce de Buster Keaton et Charles Reisner) 1928年/アメリカ/72分/デジタル/モノクロ 監督:バスター・キートン、チャールス・F・ライズナー 出演: バスター・キートン、アーネスト・トレンス、トム・ルイス、マリオン・バイロン 久しぶりに父親の元へ帰ったキートンは幼馴染のキティと再会するが…。ミシシッピーを襲う大暴風のさなか、倒れてくる壁の下敷きになったり傘ごと宙を舞ったりと、キートンのスタント無しの超人的なパフォーマンスにはただただ圧倒される。家の外壁が風で吹き飛ばされた不運なキートンが無傷でその事故から脱出する場面は、トリックなしで撮影され、映画史に刻まれている有名なシーンである。 |
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『曳き船』(Remorques de Jean Grémillon) 1941年/フランス/85分/デジタル/モノクロ 監督:ジャン・グレミヨン 出演:ジャン・ギャパン、ミシェル・モルガン、マドレーヌ・ルノー、フェルナン・ルドゥー 港町ブレスト。曳き船サイクロン号の船長アンドレは、難破した船を救助した際に知り合った謎めいた美女カトリーヌと恋に落ちる。二人は海辺の家で密会するようになるが、長年連れ添った妻イヴァンヌは心臓の持病を抱えていた…。 「波にもまれる曳き船の甲板、港町の光景、係留される船舶、舟と舟を結ぶ綱のたわみ、あるいは夢のようなとしかいえない白い砂浜の拡がり、等々、グレミヨンのキャメラが切り取ってみせる現実の断片は、世界の再現を越えた生々しさでスクリーンの無類の緊張感を行きわたらせる。」(蓮實重彦) |
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『高原の情熱』(Lumière d’été de Jean Grémillon) 1942年/フランス/105分/デジタル/モノクロ 監督:ジャン・グレミヨン 出演:マドレーヌ・ルノー、ピエール・ブラッスール、マドレーヌ・ロバンソン、ポール・ベルナール ローヌ川上流の高原に建つ、パリ・オペラ座の元バレリーナの女性が経営するホテルを舞台に、数組の男女の錯綜する愛憎関係を描いた傑作。『ゲームの規則』を思わせる仮装舞踏会の狂乱からダム建設現場へと続くクライマックス、そして凄惨なラストへ…。 「グレミヨンは、人と人との関係を別の方法で再構築し、彼らの真実に可能な限り近づける」(ジャン・ドゥーシェ) |
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『草の上の昼食』(Le Déjeuner sur l’herbe de Jean Renoir) 1956年/フランス/91分/デジタル/カラー 監督:ジャン・ルノワール 出演:ポール・ムーリス、カトリーヌ・ルヴェル、フェルナン・サルドゥ、ジャクリーヌ・モラーヌ プロヴァンスの田舎娘ネネットは、人工受精による人類の進歩を力説するアレクシ教授に共感し、教授の元へ。そんな中、不思議な力を持つという山羊飼いが笛を吹いた途端に突風が吹き荒れて…。 「本作は、自然との直接の触れ合いから生まれる感覚に、私たちを引き込む。この映画は官能的であり、熱く、肉感的である。ルノワールはこれまでになくアポロン的世界とディオニュソス的世界、つまり存在の固定された枠組みと生命の抗しがたい動きとの間の葛藤、一度きりの舞台装置とそれを動かす変化し、永遠に動く演出との間の葛藤、つまり秩序と無秩序との葛藤をあからさまに描いている」(ジャン・ドゥーシェ) |
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『ある夏の記録』(Chronique d’un été de Jean Rouch et d’Edgar Morin) 1961年/フランス/86分/モノクロ/デジタル 監督:ジャン・ルーシュ、エドガール・モラン 出演:マルスリーヌ・ロリダン、ジャン=ピエール・セルジョン、ナディーヌ・バロー、レジス・ドゥブレ パリ、1960年夏。街へ出たカメラは、様々な人びとを切り取っていく。工場労働者、会社員、芸術家、学生、黒人移民――世代も生活環境も異なる人びと。「あなたは幸せですか?」という質問が投げかけられ、愛、仕事、余暇、人種問題について取材が重ねられていく。作品の後半、インタヴューとして撮られた映像について、被写体となった人びとが集められ、議論を交わす。ルーシュとモランの共同監督による、軽量の16ミリカメラと録音機で撮影された「シネマ・ヴェリテ」の代表作。 |
魚影の群れ©1983松竹株式会社
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『魚影の群れ』(The Catch de Shinji Somai) 1983年/日本/141分/35mm/カラー 監督:相米慎二 出演:緒形拳、夏目雅子、十朱幸代、佐藤浩市 青森県下北島最北端の漁港を舞台に、厳しい北の海で小型船を操り、孤独で過酷なマグロの一本釣りに生命を賭ける海の男たちと、寡黙であるが情熱的な女たちの世界を描く。 「この映画はマグロ漁師を主人公としながらも、義理の息子となる青年と年長者との対立など、どこか相米にとっての西部劇だったように思われてならないのだが、その意味でも人間と苛酷な大自然との関係は、常にも増して中心的な関心事となっている」(藤井仁子) |
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『血』(Le Sang de Pedro Costa) 1989年/ポルトガル/95分/デジタル/モノクロ 監督:ペドロ・コスタ 出演:ペドロ・エストネス、ヌーノ・フェレイラ、イネス・デ・メデイロス、ルイス・ミゲル・シントラ クリスマスの近づくある冬の夜、父親の行動に疑いを持つ青年ヴィセンテは彼を薬で殺し、恋人クララともに、遺体を埋める。そのことを弟ニーノに伝えないまま生活を続けようとするが、父の消息を尋ねる男たちや伯父によってそれは崩れていく。フィルム・ノワールを思わせるようなモノクロームの映像の中で、不安に苛まれながら生きる若者たちの表情が浮かび上がる。ペドロ・コスタ長編デビュー作。 |
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『ヴァン・ゴッホ』(Van Gogh de Maurice Pialat) 1991年/フランス/160分/デジタル/カラー 監督:モーリス・ピアラ 出演:ジャック・デュトロン、 アレクサンドラ・ロンドン 、ベルナール・ル・コク、エルザ・ジルベルシュタイン 療養のため訪れたオーヴェルの村で、ゴッホは医師ガシェの診察を受け、ガシェの娘マルグリットと親しくなっていく。土地やそこで生活する人々の表情、四季の変化とともに、ルノワールを思わせるおおらかで成熟した演出で、ひとりの男、アーティストの人生の片鱗を見事に描く壮大かつ親密な要素を兼ね備える傑作。 |
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『レディ・チャタレー』(Lady Chatterley de Pascale Ferran) 2006年/フランス/168分/デジタル/カラー 監督:パスカル・フェラン 出演:マリナ・ハンズ、ジャン=ルイ・クロック、イポリット・ジラルド 20世紀を代表する英国作家の一人、D.H.ロレンスの「チャタレー夫人の恋人」を新たな観点から映画化を試み、本国を初め、世界的に高い評価を受けた作品。今回は、2019年デジタルリマスター・完全版初上映となる。 「人間の身体が、その「自然」な身体性を獲得する物語が、パスカル・フェランにとって『レディ・チャタレー』である。衣裳で身体を隠していたレディ・チャタレーが、その衣裳を脱ぎ捨てることで、彼女の周囲にある自然を認知し、それに合体するまでを示す。(…)降り出した雨の中をふたつの身体が疾走するシーンは、本当に素晴らしい」(梅本洋一) |
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『見えない太陽』(L’Adieu à la nuit d’André Téchinée) 2019年/フランス=ドイツ/102分/デジタル/カラー 監督:アンドレ・テシネ 出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、ケイシー・モッテ・クライン、ウーヤラ・アマムラ 2015年春。牧場や農場を営むミュリエルは、久しぶりに帰ってきた孫息子アレックスとの再会に心躍らせる。しかしアレックスがイスラム教に入信し、しかもその教団がシリアのイスラム教テロリストたちとつながりがあることを知ったミュリエルはなんとか彼を引きとめようとするのだが……。テシネの多くの作品同様、本作も彼が愛してやまないフランス南西部(スペインとの国境地域、ピレネー=オリエンタル県)の自然を舞台に撮っており、この地方の光や季節と登場人物の関係が時に官能的に、時にドラマティックに刻まれている。 |
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『アクトレス ~女たちの舞台~』(Sils Maria d’Olivier Assayas) 2014年/フランス/124分/デジタル/カラー 監督:オリヴィエ・アサイヤス 出演:ジュリエット・ビノシュ、クリステン・スチュワート、クロエ・グレース・モレッツ ひとりの女優の人生を決定づけた演出家の死。彼女はかつてその演出家の戯曲でひとりの若手女優を演じた。そして彼女はふたたび、その戯曲を、自分が演じたその女優を見つめる年上の女優役で演じることに。 「1920年にアルノルド・フランクが撮った素晴らしいシルス・マリアについてのドキュメンタリーを見た。19世紀末のヨーロッパの芸術、哲学の歴史と深く結びついているこの山間、そしてそこにかかる雲はフランクやニーチェを見ていたのと同じように自分を見ている、突然そうした目が眩むような考えにとらわれ、風景の中に歴史が見え、そしてその風景がひとりの登場人物へと生成していった」(オリヴィエ・アサイヤス) 「ジャン・ルノワールにあっては、人間存在も、セットも、事物も、風景も、生の状態で差し出されるのであり、それらは不意の跳躍と予期せぬ反応に充ちあふれ、自由な空気に酔い知れている」エリック・ロメール |
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ジャン・エプシュテイン ブルターニュの詩
詩人、映画理論家、そして『三面鏡』、『アッシャー家の末裔』などで有名なアヴァン・ギャルド作家ジャン・エプシュテインは、1929年~1934年、新しい映画形態を模索し、 ブルターニュ地方や周りの島々の厳しい海の生活を背景に、漁師や島の人々を役者として映画を撮りはじめる。「ブルターニュの詩」と呼ばれるこれら美しい作品たちは海を巡る一大絵巻を構成し、幻想的な新しいレアリスムが生まれた。自然の驚異を前にした島の女性たちの顔を捉えた映像が圧倒的に美しい。
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『海の黄金』(L’Or des mers) 1931年/フランス/72分/デジタル/モノクロ 島で最も貧しい男が、海岸で不思議な箱を発見する。箱が宝物だと想像する住人たちは、たちどころに男をもてはやし始める。男亡き後、今度はその娘を誘惑し、秘密を探ろうとするのだが……。 |
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『揺りかご』(Les Berceaux) 1932/フランス/6分/デジタル/モノクロ トーキー初期に考案された「撮影されたシャンソン」で、プロモーション・ビデオの先駆けといえる作品。シュリ・プリュドムによる詩にガブリエル・フォーレが作曲、フォーレのもっとも有名な楽曲のひとつ。音楽に合わせて、船乗りの妻が家で赤ん坊を抱いている間に、カンカレ湾とサンマロ湾を出港する船が朝日に照らされて沖へ出ていく様子が映し出される。光と風の音楽がメロディと響き合うエプシュテインによる真珠のような逸品。 |
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『テンペスト』(Le Tempestaire) 1947年/フランス/22分/デジタル/モノクロ 大海原に出た婚約者が戻らず心配する娘。彼女は、祖母の勧めで天候を操るとされる魔術師「テンペステール」を探す旅に出る。 「本作を作るために、最初に協力を求めた”登場人物”とは、それは明らかに嵐(テンペスト)だった」(ジャン・エプシュテイン) |
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エリック・ロメール の「四季の物語」
「四季の物語」はロメールのフィルモグラフィーの中でも最も魅力的で、探索的なシリーズ。それぞれの季節が風景や雰囲気、物語にひそかに、しかし確実に影響を与えていく。
「『四季の物語』は、『6つの教訓話』とは異なり、「女を探しに行った男が、別の女と出会い、また最初の女に戻る」という、与えられたテーマのバリエーションとして提示されるものではない。しかし、振り返ってみると、その構成や問題点には、類似性や対立性、さらには真の対称性さえ見出すことができる。例えば、第3話(秋)は第1話(春)と韻を踏んでおり、どちらも広い意味での「思想」を扱い、一つまたは複数の実行される、あるいは想定される「陰謀」を描写している。4番目(冬)と2番目(夏)はそれぞれ、一人の女-三人の男、一人の男-三人の女という鏡のような関係である。一方の場合、対象は選択を確信する「信仰」であり、もう一方の場合、選ばないという選択をほぼ確信する「信仰」である、等々。」エリック・ローメル
「この世界と、生を愛する術を探す人は皆、このシリーズの中にそれを見出すはずだ」(濱口竜介)
「『四季の物語』は、『6つの教訓話』とは異なり、「女を探しに行った男が、別の女と出会い、また最初の女に戻る」という、与えられたテーマのバリエーションとして提示されるものではない。しかし、振り返ってみると、その構成や問題点には、類似性や対立性、さらには真の対称性さえ見出すことができる。例えば、第3話(秋)は第1話(春)と韻を踏んでおり、どちらも広い意味での「思想」を扱い、一つまたは複数の実行される、あるいは想定される「陰謀」を描写している。4番目(冬)と2番目(夏)はそれぞれ、一人の女-三人の男、一人の男-三人の女という鏡のような関係である。一方の場合、対象は選択を確信する「信仰」であり、もう一方の場合、選ばないという選択をほぼ確信する「信仰」である、等々。」エリック・ローメル
「この世界と、生を愛する術を探す人は皆、このシリーズの中にそれを見出すはずだ」(濱口竜介)
Conte de printemps ©1989 Les Films du Losange
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『春のソナタ』(Conte de printemps) 1990年/フランス/107分/カラー/デジタル 出演:アンヌ・テセードル、ユーグ・ケステル、フロランス・ダレル、エロイーズ・ベネット 哲学教師の女性、パーティーで出会った女の子、それから彼女の父親とその恋人……。パリの家とフォンテーヌブローの別荘で、女たちの奇妙な諍いが始まる。美しい春の庭で繰り広げられる、三人の女と一人の男の恋愛ゲーム。 「『春物語』の造形的な完璧さには驚かされる。感情の交錯と同じように、色彩の交錯にほとんど同じ重要性を与えている。この映画の風景的な静謐さ、豊かさとバランスの感覚、それと対照的な映画作家の奇妙なまでの歓喜、まるで初めて恋の罠を解き放ったかのような青年の歓喜に心を打たれる」(ルイ・スコレッキ) |
Conte d’hiver ©1991 Les Films du losange
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『冬物語』(Conte d'hiver) 1991年/フランス/114分/カラー/デジタル 出演:シャルロット・ヴェリ、フレデリック・ヴァン・デン・ドリーシュ、ミシェル・ヴォレッティ、エルヴェ・フュリク フェリシーは旅先で知り合ったシャルルと運命的な恋に落ちるが、旅から戻ったあと、彼に教えた自宅の住所の間違いに気づく。運命に弄ばれながら本物の愛を探し求める女性の信念と、やがて訪れる奇跡を描く。 「『冬物語』の奇跡は、ドライヤーの『奇跡』のそれと同じくらい不条理で明白なものだ。それは、たとえ私たちがもう子供でなくとも、映画によって生命を甦らせることを信じさせることである」(ノエル・エルプ) |
Conte d’été ©1996 Les Films du losange
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『夏物語』(Conte d'été) 1996年/フランス/114分/カラー/デジタル 出演:メルヴィル・プポー、アマンダ・ラングレ、オーレリア・ノラン、グウェナウェル・シモン ヴァカンスを恋人と過ごすため、ブルターニュ地方の海辺のリゾート地ディナールへやってきたガスパール。クレープ屋で働くマルゴと親しくなるが、パーティーで知り合ったソレーヌとも急接近。そんな中で恋人もやってきて……。本作は50年前にロメールがノートに記録していた個人的な記憶をもとに作られた。マルゴを演じるのは、『海辺のポリーヌ』でポリーヌを演じた12年後のアマンダ・ラングレです。彼女は再び、観察者の役、つまりロメールの分身を演じている。 |
Conte d’automne ©1997 Les Films du losange
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『恋の秋』(Conte d'automne) 1998年/フランス/112分/カラー/デジタル 出演:マリー・リヴィエール、ベアトリス・ロマン、アラン・リボル、ディディエ・サンドル ワインの産地ローヌ溪谷を舞台に、移ろいゆく黄金色の秋の光と風に包まれ、大人の恋が熟成していく…。 「『四季の物語』の最後を飾る本作は、最もシリアスな作品でもある。田舎でのマリヴォー風恋愛遊戯という軽薄な外見の下に、この映画は、ロメールが内奥の苦悩を描く偉大な映画作家であることを証明している」(フレデリック・ボノー) |
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