OUTSIDE IN TOKYO
DIRECTORS' TALK

レクチャー:オタール・イオセリアーニ監督マスタークラス

@映画美学校試写室(渋谷KINOHAUS地下1階) 2011年6月24日(金)

同時通訳:福崎裕子
採録原稿、写真:上原輝樹

フランス映画祭2011のために新作『Chantrapas』(2012年春公開予定)を引っ提げて来日したゲオルギア(グルジア)の巨匠オタール・イオセリアーニ監督が、夜の渋谷円山町に現れた。円山町のど真ん中に位置するKINOHAUS地下で行なわれた「映画における俳優の演技と演出について」と銘打たれたイオセリアーニ監督によるレクチャーは、某日本人映画作家との対話形式という当初の予定を完全に無視する形で、タイトルにある”俳優の演技”については一言も触れることなく、自らの映画論を朗々と歌うように開陳し、この貴重な機会に集まった映画美学校の学生たちの目を嬉々として輝かせた。当日、筆者は、昼過ぎの取材時にもコニャックで喉を潤す巨匠の勇姿を拝見していたのだが、夜9時を過ぎたこのレクチャーでもやはり飲み続け、イタリア語でダンテの神曲を吟じ、大嫌いだと断言するヴェルディのオペラのメロディを奏でる、あまりにも映画的な巨匠のレクチャーを拝聴できたのは全くの僥倖であった。コニャックが進んで歌う時間が増えることがあっても、語る内容には何一つ淀みが生じない、感動的な一夜の模様をここに掲載する。



1. 真面目に映画を作ろうなどと考えないでください

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私のお陰で皆さんが何か新しいことが発見出来ると思っていらっしゃっているとすれば、それは間違いです。想像出来る限り、可能な限りの馬鹿げたことを今から申し上げます。そうした馬鹿げたことを語ることは、映画という仕事と調和している行為だと思うのです。“真面目であってはいけない”と思います。お願いですから皆さんの方も真面目にならないで下さい。私達がしている仕事はとても原始的なプリミティブな仕事だからです。けれども私が皆さんにお話し出来ることは全てお話ししましょう。でも今から申し上げますが、それは大したことではないと申し上げておきます。

一人友人がいました、彼の名前はフェデリコ・フェリーニでした。彼に言われました、「オタール、どうして君はそんなに真面目に映画を作っているんだ」。私はフェリーニに対して答えました、「君はじゃあどうやってそれほど愚かしく映画を作ることが出来るんだ」。私達の仕事、映画の中で一人だけいつも真面目でそして同時にいつも悲しい人がいました。そんな映画監督は一人だけです。彼の名前はバスター・キートンです。私達を笑わせるような作品を作っていますが、いつもとてもとても悲しい状態でした。それがコメディを作ることの原則です。悲しい様子をしながら愚行をなすこと。もう一人友人がいました、彼の名前はジャック・タチです。いつも不器用な人でした、実人生においても不器用でした。タチの映画を観た時、「タチ、これは作り物ではない」、実人生でも全くその通りでした。足をどこに置いていいのか分らない。人生においてもどうやって生きていけばいいのか分らない。私達見る側にとっては、彼がわざとそれをしたと想像します、でもそうではありません。

私は幸福なことにルネ・クレールという紳士と出会うことができました。ルネ・クレールはとても真面目で厳しい方だという評判を持っていました。ところが初めて会った時、ルネ・クレールの方からほとんど私の肩のところに飛び込んで来るようにしました。当時ルネ・クレールはカンヌ映画祭の審査委員長でした。1974年のことです。皆さんの中の多くの方はまだ生まれていらっしゃらなかったでしょう。私の映画を観てくれました。そして彼はその映画を作ったのは誰かという情報を得ようと聞いてまわりました。たくさん酒を飲んでる人がいて、どうもその人が作った映画らしいということをルネ・クレールは聞きました。当時のカンヌには“ブルー・バー”という名前のバーがありました。そこでお酒を飲んでいて飲み飽きて外に出て道の柵のところに近づいていきました。そしてほとんど私の肩のところに飛びかかるようにしてやってきた人がいました。私の子どもたち、と皆さんに呼びかけますけれど、そうした栄誉を得る時の喜びを想像して下さい。それがルネ・クレールだったのです、映画界で最も真面目な人であるという評判があり、厳しい人であり、非常に冷酷な人であるという評判があった人です。ジョークも言ってはいけないという評判だったルネ・クレールがこうやって私のところに向こうから飛びかかるように抱きつきに来てくれました。

私たち全員が同じだと思います。ノンシャランで無頓着、愚かであればあるほど映画の作品は良くなります。ですから真面目に映画を作ろうなどと考えない方がいいと思います。もし皆さんの中で誰か私が肩に飛びついて抱きしめたいと思うような作品をお作りになったとすればブラボーです。

一つ申し上げたいことがあります、見かけは年寄りに見えますが実は心の中では18歳です。18歳の時と同じことを今も考えていますし、80歳になったとしても同じことを考え続けるでしょう。私、一人友人がいてそれはマノエル・ド・オリヴェイラ監督です、103歳です。煙草も吸うしお酒も飲むし、私と一緒にお酒を飲むと私と同じくらい彼もお酒を飲みます。オリヴェイラは私に会うと、「急ぐことはないよ、オタール、君にはまだ時間がたくさんあるじゃないか」という風に言います。私の方は3年ないし5年に一本です。ところがオリヴェイラの方は毎年一本撮っています。なぜそんなに急ぐのでしょうか。オリヴェイラは残された人生は短いからと言って、毎年一本撮っています。皆さんの場合はまだまだ時間があります。急いではいけません、急いでいいのは98歳になってからです。ですからゆっくり時間をかけて自分の作品を作って下さい。


フランス映画祭2011

オタール・イオセリアーニ映画祭2012

オタール・イオセリアーニ『汽車はふたたび故郷へ』インタヴュー
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