『アプレンティス：ドナルド・トランプの創り方』アリ・アッバシ

本作の英米における評価は、前作『聖地には蜘蛛が巣を張る』(2022)で正視に耐え難い連続殺人鬼を描いたアリ・アッバシにしては描写が生ぬるいという評価（英ガーディアン紙映画評）も見かけるが、ドナルド・トランプの悪行の数々がそれほど遍く知れ渡っているとは思えない本邦においては、公開される意義のある作品であるように思える。

そうした社会的意義はさておき、映画自体の出来栄えはどうなのかというと、まだトランプがNY実業界において見習い（原題：the apprentice）程度の存在だった頃を描く、悪名高い弁護士ロイ・コーンを死んだ魚の目で演じるジェレミー・ストロングの怪演が炸裂する前半の面白さと比較して、トランプがコーンから学んだ、馬鹿馬鹿しいまでに非人間的な「成功するための３つのルール」を身につけて成り上がる後半の展開は淡白で、ドナルド・トランプの人物像は、時に気色悪いほど似て見える些細な仕草や言い回しを的確に捉えた器用な演技で見るものを居心地の悪い笑いに誘うセバスチャン・スタンの健闘も虚しく、朧げな像に留まっている。ジェレミー・ストロングの演技は、トニー・クシュナーの脚本・原作、マイク・ニコルズ監督作品である、エイズ時代ニューヨークの躁鬱病的肖像画『エンジェルス・イン・アメリカ』(2003)でアル・パチーノが演じたロイ・コーン像とは正反対の寡黙な饒舌さとも言うべき特異な印象を与えるもので一見の価値がある。



その稀代の悪徳弁護士とも言われるロイ・コーンが“創り上げた”とされる、“アメリカの悪夢”としか言いようのないこの人物が、衰退の一途を辿っているとはいえ、国の内外に多大なる影響を与える一国家の最高権力者にまで上り詰めることを許した彼の国の資本主義と民主主義の危うさ、そして、その根源にある反共産主義と男性優位主義が合体したグロテスクな愛国者幻想を何の躊躇もなく描き得たのは、アリ・アッバシがイラン出身でデンマークに暮らす“外国人”であることの地政学的条件を無視することは出来ない。アッバシが前作『聖地には蜘蛛が巣を張る』で祖国最大の聖地マシュハドの闇を描き得たのも、彼が“外国”に暮らしていたからこそ成せる業だった。

だから、アメリカの批評家であるリチャード・ブロディがニューヨーカー誌の映画評にて、“Donald Trump’s The Art of the Deal: The Movie”(2016)でトランプを大袈裟で厚かましい人物として誇張して演じたジョニー・デップを賞賛する一方、セバスチャン・スタンの演技に対して一定の評価は与えつつも、『アプレンティス：ドナルド・トランプの創り方』に “スター・パワー”が加わっていたら、もっと良い映画になっていただろうと書いているのを目にすると、果たしてそんな方向の“良い映画”になる必要があったのか？と思うのだ。

思い返してみれば、アッバシの前作『聖地には蜘蛛が巣を張る』は、イラン最大の聖地マシュハドで実際に起きた連続娼婦殺人事件とその社会的余波を描いた作品だったが、この殺人事件が異様なのは、連続殺人を犯した男が、“聖地”を浄化する目的で“汚れた存在”である娼婦たちを殺したと裁判で証言し、一部の市民や保守派メディアが、この男は宗教的な務めを果たしたに過ぎないと擁護する事態に発展していったことだ。つまり、狂った宗教的使命に目覚めた男と、そうした怪物を生み出した社会の病巣を描いた作品だった。『アプレンティス：ドナルド・トランプの創り方』(2024)もまた、ドナルド・トランプという怪物的人間の肖像というよりは、それを生み出したロイ・コーンと、彼を支える土壌となったFBI初代長官ジョン・エドガー・フーバー以来、脈々と暗躍し続ける“愛国者たち”を擁するアメリカ合衆国という社会についてのグロテスクなスケッチなのだと思えば、映画前半でこの作品の妙脈が尽きていたとしても何ら不思議はないし、むしろ、稀代の無責任な詐欺師ともいうべき人物を描く評伝映画として相応しいスケール感に収まっていると言うべきなのかもしれない。