OUTSIDE IN TOKYO
FILM REVIEW

『水を抱く女』


All You Need is LOVE.
"愛し、愛されなければ殺す”しかない
上原輝樹

冒頭の約15分間、ヒッチコックからブライアン・デ・パルマ、黒沢清まで、サスペンス映画の歴史が詰め込まれたような一連のシークエンスの素晴らしさに息をのむ。“Undine(ウンディーネ)”というタイトル文字が、パウラ・ベーアが演じる主人公女性の横に表示されるが、これが原題であり、彼女の名前である。フランソワ・オゾンの『婚約者の友人』(2016)でベネチア国際映画祭のマルチェロ・マストロヤンニ賞(新人俳優賞)を受賞し、ゲルハルト・リヒターの半生をモデルとした『ある画家の数奇な運命』(2018)で演じた、主人公のトラウマとなる美しく奔放な女性役も強く印象に残っているパウラ・ベーアは、本作でベルリン国際映画祭の最優秀女優賞を受賞した。

厳しいレンガ造りがいかにもドイツ的な印象を抱かせるカフェの屋外の席で一組の男女がテーブルを共にしているが、会話は極く限られたものに留まっており、重苦しい空気がその場を支配している。ペッツォルト監督の映画を見てきた者ならば、ここでウンディーネの口から発せられる「私を捨てたら殺すわよ」という只ならぬ台詞に、東西分断時代のドイツ、ベルリンにおけるスパイや亡命絡みの裏事情があるに違いないとすぐに思い当たるはずだが、ことはそんなに単純ではない。気まずさを抱えたまま、二人はその場を離れ、ウンディーネは、足早に仕事場であるベルリン市開発省の庁舎に戻り、慌ただしく制服への着替えをすませ、大理石の階段をヒール靴で踏み鳴らす音を周囲に響かせながら、ベルリン市の歴史を解説する仕事場へと戻っていく。このあたりのアクション描写も申し分のないリズムで展開されていて、一分の隙もなくサスペンスの感覚が積み上げられていく。



ウンディーネが淀みなく解説する都市の歴史は、当然のことながら、ベルリン市分断の時代に言及されることになる。東ベルリンの整然と立ち並ぶ建築物のファサードがカラフルな彩りであったことに付言して「懐かしい旧東ドイツの魅力が表れている」と言った後、「そう感じる人もいます」と付け加えることで、彼女が“オスタルギー(東ドイツを懐かしむ気持ち)”に距離を置いている人物であることを伝えている。彼女の解説の射程は近代に止まらず、ベルリンという言葉の起源にまで遡る。「ベルリンという言葉は、スラブ語で“沼”や“沼の乾いた場所”を意味します。」この一連の解説の中で、現在地を示すジオラマの壁を捉えたショットから、壁を同ポジションとして、レンガ造りのカフェに佇む、今しがた別れてきた男(ヨハネス)を上から俯瞰するショットへと切り替わる画面の連鎖が素晴らしく、バッハのピアノソナタの響きと相まって静かな情感を湛えた緊張感が持続していく。

仕事を切り上げたウンディーネが小走りでレンガ造りのカフェに戻ると、そこにもうヨハネス(ヤコブ・マッチェンツ)はいない。私たちを待ち受けているのは、ブライアン・デ・パルマの『ミッション・インポッシブル』(1996)における巨大水槽のシーンや、黒沢清の『散歩する侵略者』(2017)におけるトラック横転シーンにも匹敵する驚くべきショットである。あんな高い位置に水槽があって良いのだろうか?と見る者が疑いを抱くや否や訪れる、潜水夫クリストフとウンディーネとの衝撃的な出会いが、些細な疑念を文字通り水に流し去ってしまうだろう。クリストフを演じるフランツ・ロゴフスキとパウラ・ベーアは、ペッツォルト監督の前作『未来を乗り換えた男』(2018)でも共演しており、前作に続いて二人の演技は素晴らしい化学反応を見せている。映画はここから一気にラブ・ストーリーの気配を濃厚に漂わせていく。


もちろん、ラブ・ストーリーといっても一様ではない。何と言っても、この映画の抗い難い魅力の一つは、ウンディーネによる東西ベルリンの歴史解説なのだから。多くの聴衆を前に、整然と都市の歴史をレクチャーする彼女の姿自体が人を惹きつけずにいない魅力を放っているのである。クリストフはそもそも、その彼女の勇姿に惹かれてあのカフェに導かれてきたことを想起してほしい。一方、クリストフは水に潜るのが仕事であり、彼がその時付き合っていた女性モニカ(マリアム・サリー)を例外として、仕事をする彼の姿はほぼ人目に触れることがなく寡黙である。特筆すべきは、ウンディーネの同僚が仕事を休んでしまい、急遽、代役を頼まれた彼女が、一夜漬けで“王宮の再建”についての解説を頭に叩き込んでいる時のことである。この一夜漬けの最中に、クリストフは彼女のアパートメントを訪れる。不意の訪問に喜びを隠せないウンディーネは、クリストフに抱きつき、体を求めるが、クリストフは彼女を拒否してしまう。驚いた彼女がなぜ嫌なのかと聞くと、「君の解説が聞きたい。勉強になるし、君の話し方が魅力的なんだ。」とクリストフは言って、ウンディーネにレクチャーを懇願する。知性が性的な魅力を放つことは些かも倒錯的なことではないということを、ペッツォルト監督はさらりと描き、映画はこの作品の中でも白眉というべき、ウンディーネとヨハネスが通りすがりに視線を交差させる素晴らしいショットへと滑らかに連鎖していく。

この映画には、この映画の物語を愉しむための符牒が散りばめられている。水槽とワイングラスの2度割れるガラス(デヴィッド・ボウイのベルリン三部作の一作「ロウ」に収められ、当時のボウイのオカルト趣味を反映したといわれる曲「Breaking Glass」を想起する者もいるかもしれない)、潜水夫のフィギュア、“ウンディーネ”と刻まれた水中の石、意表をついてクリストフの口から発せられる「ステイン・アライブ」(ジョン・トラボルタ!)のフレーズ、こうした細部はこの作品の背景にある<ウンディーネ=水の精>の神話から敷衍した、本作の神秘主義的ロマンティシズムを補強するものから、ドライなユーモアを感じさせるものまで様々である。しかし、それでもロマンスには朗らかな瞬間が必要であり、それをこの映画に齎らしているのは、クリストフを演じるフランツ・ロゴフスキの独特の存在感、言葉では名状し難い、どこか寂しさと孤独を感じさせる、俳優の絶妙な表情=演技である。



「映画」は、ジャン・ヴィゴの『アタラント号』(1934)で、ディタ・パルロが演じるジュリエットがミシェル・シモン演じるジュールに、「目を開けたまま水に顔をつけると、愛する人の顔が見えてくる」という“愛の呪い”をかけて以来、水の中を神秘的ロマンティシズムの宿る神聖な領域として描くことに成功してきた。本作でも、クリストフが水の中で“目を見開く”職能を持つ潜水士であるからこそ、水の中で“愛する人”の顔を見ることが出来たのであり、ジャン・ヴィゴが映画に仕掛けた“愛の呪い”は未だ効力を失っていない。

『水を抱く女』は、ベルリンという都市の重層的な歴史をサスペンスフルにすり抜けながら、論理的理解を超越した領域へとダイブ=潜水することで、映画ならではの精神的高揚感を味わわせてくれる作品だが、この僥倖を得るには一つだけ条件がある。それは、大きなスクリーンで映像を見て、全身で音響を浴びる環境に身を浴すること、つまり、劇場でこの作品を体験しなければ、ウンディーネが体現していることのリアリティを感じとるのは難しいだろうということだ。それは、“愛し、愛されなければ殺す”しかないという感情であり、そのような感情を抱かざるを得ない人間存在の切なさである。その感覚は私やあなたの身近にも普通に存在しているということ、その一瞬背筋の辺りがゾッとするようなリアリティを、『水を抱く女』は<水の精>という虚構を通して描いている。






『水を抱く女』
原題:UNDINE

3月26日(金)より新宿武蔵野館、アップリンク吉祥寺ほかにて全国順次ロードショー

監督・脚本:クリスティアン・ペッツォルト
製作:フロリアン・コールナー・フォン・グストルフ、ミヒャエル・ヴェバー
撮影:ハンス・フロム
衣装:カタリーナ・オスト
編集:ベッティナ・ボーラー
出演:パウラ・ベーア、フランツ・ロゴフスキ、マリアム・ザリー、ヤコブ・マッチェンツ、アネ・ラテ=ポレ、ラファエル・シュタホヴィアク

© SCHRAMM FILM / LES FILMS DU LOSANGE / ZDF / ARTE / ARTE France Cinema 2020

2020年/ドイツ・フランス/90分/アメリカンビスタ/5.1ch
配給:彩プロ

『水を抱く女』
オフィシャルサイト
https://undine.ayapro.ne.jp