OUTSIDE IN TOKYO
FILM REVIEW

『プーチンの愛国教室』
デヴィッド・ボレンスタイン、パヴェル・タランキン

上原輝樹

映画の舞台は、ロシアはウラル山脈の奥地に位置する工業の街カラバシュ、銅製作所を中心に生活が営まれている、人口わずか1万人に過ぎないこの街に世界中から見物客やYoutuberが訪れるのは、工場の排ガスによって山が黒くなってしまい、ユネスコが“世界で最も汚い街”と呼んだからだ、と“我が街”のことを語り始めるのは、この映画の主人公で監督でもあるパヴェル・“パーシャ”・タランキンである。

パーシャは、世間にはそのレッテルが拡散し、“平均寿命はわずか38歳”であるとか、“癌や肺疾患の病気で死亡率が高い”といった誇張されたイメージが流布しているが、実際に住んでいればそれほど悪い場所ではない、とこの地への愛着を滲ませる。彼は、この地で生まれ育ち、自らも通った学校で教師を務めている。学校行事や生徒たちの日常を撮影するのが彼の仕事だ。幼くして父親を亡くし、母一人子一人で育てられた彼は、学校の中に“家族的な環境”を作りたいと思い、誰もが気軽に訪ねることのできる“パーシャの教室”を設えた、子どもたちからも慕われている存在だ。



そんなパーシャの掛け替えのない日常がある日を境に一変する。2022年2月にプーチンが“特別軍事作戦”を始めたのである。ウクライナに侵攻したこの軍事作戦をプーチンは、全面的な戦争を行なっているわけではないとして、敢えてこの言葉を使ったのはよく知られていることだが、これを契機に教育現場にあからさまな“愛国教育”が導入されていく。パーシャは、学校で行われるようになった国旗掲揚や朝礼、“愛国教育”を施す授業現場の映像を“上からの命令”で撮影することを余儀なくされる。何人かの教師たちは、突然の教育内容の変更に戸惑い、その“役”をパーシャのカメラの前で上手く演じることが出来ずにいるが、中には水を得た魚のように、嬉々として“愛国教育”を行うものもいる。

歴史教師のパヴェル・アブドゥルマノフはそんな人物の一人である。アブドゥルマノフは、「国を愛するのは無条件に母を愛するのと同じで、国民の義務である」、「国内の分断を防ぐために反対意見は断じて排除しなければならない」、「ウクライナを倒すのに時間はかからない」と子供達の面前で語る。こうした“愛国教育”の現場を撮影し、動画を行政データベースにアップロードしなければならないパーシャは、今まで子供達の教育に費やしていた時間を、政権のプロパガンダに使役させられる現実を嘆くが、事態はみるみるうちに悪い方向へと進んでいく。



独裁国家において、国家の意思は恐ろしいほどの速さで市井の人々の生活にまで行き渡っていく。“パーシャの教室”は、壁に“ロシアの民主化運動の旗”を掲げ、“民主主義の砦”であることを自任していたが、その“パーシャの教室”に遊びに来ていた教え子も、徴兵されてウクライナに送られていく。強制的に連行されていくわけではないが、経済的に余裕がないと、社会環境的にも、軍隊で身を立てていくしか選択肢がなくなっていくのだ。

落胆したパーシャは、“愛国教育”に一気に傾斜する教育現場の不条理を母親に相談をするが、母の言葉はパーシャの期待に応えてくれるものではなかった。「若い男子は戦場に行く。男の子にとっては自然なこと」だと。「そんな自然は嫌だ」と反論しても、「あんたは変わり者だね」と言われる始末だ。頭にきたパーシャは、「一人の愚か者のせいで世界は危機に瀕している。何もしないで机の前に座っていればいいものを!あのバカが!」と思いの丈を母親にぶつけるが、母親の反応はパーシャの絶望を深めるばかりだ。「人間は戦争も撃ち合いも好きなのよ。この国の人はずっと戦争をしてきたのだから。」

もはや母親とまともに話すことができないことを悟ったパーシャは、カメラに向かって話しかけるようになる。「とても嫌な気分だ。システムに押し込まれて、息が詰まる。政権の手先として働くのはもう嫌だ。」子供達の教育に携わるはずの自分が、プーチンが始めた戦争を支えるためのプロパガンダの片棒を担がされている。唯一の肉親である母親からもお前は変わり者だと言われ、理解してもらえない。そんな母親のことを、”無条件に愛する”ことは出来たとしても、いいなりになることは出来ないだろう。



いまや、街では政府が糸をひいた情報戦の一環として戦争支持者の集会が行われ、テレビには戦意高揚の言葉が溢れている。「同胞を見捨てない!」、「憎いから殺すのではなく、我が子への愛から敵を殺すべきだ」、国中で戦争支持のドラムが鳴り響き、表立って反対するものもいない。四面楚歌となったパーシャは、地域が、学校が、“愛国教育”の底に沈んでいくさまを、自らのカメラで記録することを決意する。

映画の白眉とも言えるのが、件の歴史教師アブドゥルマノフへのインタヴューである。尊敬する人物は誰かと聞かれたアブドゥルマノフは、「ソ連時代の役人ラブレンチー・ベリヤ。そして、ヴィクトル・アバクーモフ、パヴェル・スドプラトフも興味深い人物だ」と悪びれた様子もなく答える。ここで、ロシアの歴史に疎いわたしたちにも分かるように、パーシャが解説を加える。ラブレンチー・ベリヤは、スターリン時代の秘密警察トップ、収容所の設立者であり、政治犯の虐殺と拷問で知られる。ヴィクトル・アバクーモフはスパイ摘発者で多くの無実の者を殺害し、パヴェル・スドプラトフはトロツキー暗殺に関与した有名な暗殺者として知られる、いずれも悪名高い人物たちであるという。



国家体制保持のために反対する者を排除し、必要とあらば虐殺や拷問も辞さない、これほど極端な犯罪的右翼思想を持つ教師がまだ頭の柔らかい子供たちの前で“歴史”を教えるというおぞましい事態が進行し、この教師はいずれ “子供たちに最も人気のある教師”として表彰され、瀟洒な住居まで与えられることになる。21世紀の今、現在進行形の独裁政治体制による教育の破壊、暗い体制に飲み込まれていく子供たちの日常がスクリーンに映し出されていく。

しかし、翻って、極東の島国に住む私たちがここで問わなければならないのは、プーチンの独裁政治によるロシアの教育現場の荒廃のことよりも、私たちが住む、この国の政治はどうなっているのか、ということである。2025年10月に高市自民・維新連立政権が誕生して以来、中国、ロシア、イランとの関係が悪化し、アメリカの戦争に参加するために、“憲法改正”と言い換えられた憲法改悪のために巨額のプロパガンダ予算が議会に要求され、教育・文化予算を減らし軍事産業への予算配分を拡充するといった、あからさまな軍国主義的政策によって、かつて、“軍国教育”が行われた歴史のある、ここ日本の地で”軍国主義の亡霊”が蘇る、その土壌が整えられつつあるからだ。



塚本晋也監督の『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』(2026)は、恐らくは戦後初めて、日本の映画監督がアメリカ人を主人公に、アメリカの社会と歴史を、人種差別と戦争という最も重厚な視点から描いた作品だが、そもそも塚本監督はなぜ日本ではなく、アメリカ社会の問題点を描かなければならなかったのか?それは、戦後の日本社会に深い影響を与えているアメリカ社会の問題と向き合わなければ、私たちの社会が抱えている本質的問題に取り組むことが出来ないことを分かっていたからだろう。ここで『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』について詳述する余裕はないが、如何にして、ベトナムに派兵されたアメリカ兵たちが“アジア人”を人間としてみないように訓練されてきたか、そして、大変な力作とはいえ『宝島』(2025)が、3時間10分もの時間を費やしても描き得なかった“沖縄の苦難”を、僅か10分にも満たない描写で見事に描ききっているか、そのことだけは指摘しておきたい。

そのような誰もが二の足を踏む内容をテーマにした映画が、資本主義が行き渡ったこの国で順調に資金調達されるはずもなく、様々な媒体で言及されている通り、『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』が完成するまでには幾つもの障壁を乗り越えなければならなかった。そうした代償を払ってでも、塚本監督が撮り上げなければならなかったのは、パーシャがロシアの教育現場で感じたのと同じ危機感を、今の日本社会の在り方に感じているからに違いない。ロシアの国民は、『プーチンの愛国教育』を見ることは出来ないし、『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』を見ることも不可能に近いだろう。しかし、私たちはこの両方の映画を見て、独裁者のやり口や、万物を破壊し尽くす“戦争”の醜さを疑似体験することが出来る。より多くの者が、この現実に向き合い、抵抗の狼煙を上げなければ、事態は『プーチンの愛国教育』が教えてくれるように、独裁者の望むように推移していくだけだ。



このところ話題の絶えないA.Iに絡めて付言するわけでないが、「人工知能の父」と言われるアラン・チューリングの半生を描いた『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』(2015)で、当初、軍部に対して非協力的だったベネディクト・カンバーバッチ演じるアラン・チューリングを、「お前は平和主義者(pacifist)か?!」と英国海軍中佐がなじる場面を覚えているだろうか?“平和主義者”という言葉が、罵倒語として平然と用いられる時代に戻ってはいけないし、誰が、どういう目的で、野蛮な時代に逆戻りさせしようとしているのか、私たちは目を光らせていなければならない。

ところで、社会的意義ばかりが、この映画の価値なのではない。パーシャが学校を去る時に、全校生徒、教員たちの前で別れの挨拶をするだが、パーシャの言葉を聞いた歴史教師アブドゥルマノフが涙を流している場面をカメラが捉えているのだ。この涙を、人間性の“希望”と捉えるのか、あるいは、一見、“善人”に見える人間が平然と多くの罪を犯してきた人類の歴史を改めて想起すべきなのか、人間の複雑な心性を湛える、一筋縄ではいかない現実の多面性をも捉えた作品である。






『プーチンの愛国教室』
原題:Mr. Nobody Against Putin

10月3日(土)シアター・イメージフォーラム ほか全国順次公開

監督:デヴィッド・ボレンスタイン、パヴェル・タランキン

©2025 made in copenhagen Aps, Pink Productions s.r.o.

2025年/デンマーク、チェコ/ロシア語/90分/5.1ch/G
配給:トランスフォーマー

『プーチンの愛国教室』
オフィシャルサイト
https://transformer.co.jp/
movie/mrnobody