OUTSIDE IN TOKYO
FILM REVIEW

『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』
ジェームズ・マンゴールド

上原輝樹

『名もなき者/A COMPLETE UNKOWN』は、ハックベリー・フィン風キャップを被った19歳の若者(ティモシー・シャラメ)が、ニューヨークにヒッチハイクで辿り着く場面から始まる。時代は、まだビートルズもストーンズもデビューしていない、“新しい音楽など生まれていなかった”(※1)1961年のこと。JFケネディが大統領に就任し、公民権運動の機運が高まり、時代が大きな変化を迎えつつある中、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジではフォークミュージック・シーンが活況を呈しており、ここで活躍するミュージシャン達に憧れて、この若者はミネソタからこの街にやってきた。彼にとって最大のヒーローはウディ・ガスリーだったが、彼はハンチントン病という神経障害で体が動かなくなる難病を患い、ニュージャージーの病院に入院していた。そのことをバーで知らされた若者は、手持ちの金もないのに、運の悪いタクシー・ドライバーを捕まえてニュージャージーにトンボ帰りし、入院中のヒーローを見舞いに行く。そこには、体の自由がきかないウディ・ガスリー(スクート・マクネイリー)がベッドに横たわっており、見舞いに来た彼の盟友ピート・シーガー(エドワード・ノートン)が椅子に腰掛けていた。若者は、あなたをとても尊敬していると言い、ボビー・ディランと名を名乗る。手にしているギターケースを見たガスリーは、歌ってみてくれと仕草で伝え、ボビーが一瞬躊躇する様子を見せると、「照れ屋なのか?」とピートが訊く。「普段はそんなことはない」とボビーは応え、「あなたのために書いた曲だ」と言って、ギターの弦を鳴らし、「ウディに捧げる歌/Song to Woody」を歌い始める。

この歌が、Song for Woodyではなくて、Song to Woodyであるところが、ディランらしい。“for”ではなくて“to”であることで、より直接的に語り掛けるニュアンスが生まれる、その直接性こそがディランの美徳だからだ。シンガーソングライターであり、反ファシズムの活動家である象徴的存在としてのウディ・ガスリーではなく、今、目の前にいる生身の人間、自分の人生を創造する上で助けとなった恩人であるウディに対して、影響を受けたトーキング・ブルースのスタイルで、ディランは感謝の気持ちを伝えるべく、語りかけるように歌う。そんな親密さが一気に溢れ出すのが、“Hey, Hey, Woody Guthrie I wrote you a song.”とコールする瞬間だ。コロナ禍における映画業界の停滞は、ティモシー・シャラメ自らがディランの曲を演奏することに約5年間の年月を費やすことを許した。その成果が、この最初の演奏からひしひしと伝わってくる。ディラン本人が本作のシャラメを絶賛していることは周知の通りだが、実際に彼の歌と演奏を目撃すると、それは本物の驚きに変わる。



ウディを見舞った後、ディランはピート・シーガーの家に泊めてもらい、彼の家族に暖かくもてなされる。ディランがウディの見舞いに行く場面は実際にあったことだが(そこにシーガーがいたわけではなかった)、シーガーの家に泊めてもらう場面は、脚本を手掛けたジェームズ・マンゴールド監督と脚本家ジェイ・コックスによる創作である(※2)。コロムビア・レコードのプロデューサー、ジョン・ハモンドに、2曲しかオリジナルがなかったファーストアルバム『ボブ・ディラン』(1962)で吹き込んだ楽曲の素材について聞かれたディランが、「何曲かは自分で書き、何曲かは自分が発見し、何曲かは拝借してきたものだ」と、さもそれらの間には大きな違いがないかのような口ぶりで答えたという有名なエピソードが残されているが、映画もまた、虚実皮膜の間に存在しているものだ。場面自体は虚構だが、登場人物は事実に基づいて描かれており、ピート・シーガーの妻トシ役を、『ミツコ感覚』(2011)の快演が忘れ難い初音映莉子(※3)が演じているのは嬉しい驚きだ。初音映莉子演じるトシは、見舞いの場面に先立って、共産主義を伝播した罪に問われたシーガーがギター片手に連邦裁判所に出廷する場面から彼に寄り添って登場する。トシが後年、夫であるシーガーの功績を伝えるドキュメンタリー映画『Pete Seeger: The Power of Song』(2007)をプロデュースすることになるという事実に目配せをするように、しばしばスチル・カメラを手にして登場する初音映莉子は、映画を通じて機会あるごとに凛とした存在感を放っている。

グリニッジ・ヴィレッジのシーンの中心人物であったピート・シーガーは、ディランの演奏にフォークミュージックの“未来”を見て、彼をヴィレッジの観客に紹介し、演奏する機会を与えていく。実際にその役割を担ったのは、オスカー・アイザックが主役を演じたコーエン兄弟の映画『インサイド・ルーイン・デイヴィス 名もなき男の歌』(2013)で主人公として描かれたデイブ・ヴァン・ロンクだったことが、『ボブ・ディラン自伝』(2004)でも明かされている。その自伝で、“ロシア大使館からやってきた、逞しい巨人、自信に溢れたハンターのような男”と形容される“マクドゥーガル・ストリートの名士”デイブ・ヴァン・ロンク(ジョー・ティペット)は、映画冒頭、ディランにガスリーが入院していることを教える場面でさらりと登場している。『インサイド・ルーイン・デイヴィス 名もなき男の歌』の原作『グリニッチ・ヴィレッジにフォークが響いていた頃―デイブ・ヴァン・ロンク回想録』(2005)は、ヴァン・ロンクが書き上げる前に66歳の若さで急逝してしまったため、本作の原作『裏切りの夏』(2015)の著者であるイライジャ・ウォルドが、まだほぼ準備段階に過ぎなかった膨大な素材を引き継いで、完成まで漕ぎ着けたものだった。



当時既に大スターとしてフォークミュージック・シーンに君臨していたジョーン・バエズ(モニカ・バルバロ)が颯爽と登場する姿を捉える、マンゴールド監督とは『アイデンティティー』(2003)以来、20年以上の付き合いになる撮影監督フェドン・パパマイケルによる移動撮影が素晴らしい。ヴィレッジのライブハウス「フォークシティ」に、開演僅か5分前に余裕の表情で駆け付けた彼女は大物マネージャーであるアルバート・グロスマン(ダン・フォグラー)を、(グロスマンにしてみれば不当にも)適当にあしらった後、ステージに立ち、「朝日のあたる家」を歌い、満場の喝采を浴びる。出番を控えていたまだ無名の若者ディランは、バエズと入れ違いざまに簡単な挨拶を交わすが、バエズはディランの雰囲気のある存在感を気に留めながらも、その気持ちを吹っ切るかのように、足早に会場を立ち去ろうとする。そこでディランは、「いい演奏だった」と聴衆の前でバエズに対して賛辞を送り、そのまま立ち去るわけに行かなくなった彼女は足を止める。ディランはさらに「その上、とても美しい」と付け加え、「I was Young When I Left Home」を歌い出す。立ち去ろうとしていたバエズは、ディランのパフォーマンスに心を奪われ、二人の間には特別な感情が渦を巻くように芽生えていく。この俄かに香り立つ豊かな官能性が辺り一面を支配していく場面を、緊張感のある視線の演出と音楽の力の相乗効果で盛り上げるジェームズ・マンゴールの演出手腕が素晴らしい。

ヴィレッジの教会で、あの『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』(1963)のジャケット写真でつとに知られるディランの恋人スーズ・ロトロをモデルにしたシルヴィ・ルッソ(エル・ファニング)とディランが出会う場面は、アーティスト同士のライバル心が蠢く、緊張感溢れるバエズとの出会いと比べると、随分と穏やかで、くつろいだものだ。教会で出会った二人は、その後、リバイバル上映されていた映画『情熱の航路/Now, Voyager』(1942)のマチネの回を通常より安い料金で見て、支配的な母親から自らを解放し、新しい自分を再創造しようとする、ベティ・デイビスが演じるシャーロットの物語に感銘を受ける。映画を観た後、二人はダイナーで語り合い、シルヴィは「人はより良い人間へと成長していく」と語り、ディランは「いや、ただ変わるだけだ」と言う。この考え方の違いが、二人の将来の行く末を暗示している。ミネソタのスモール・タウンから大都会ニューヨーク・シティにやってきたディランは、芸術家として、ミュージシャンとして、自己創造の神話を創り上げる途上にいた。ベティ・デイビス演じるシャーロットは船で航海に出かけ、自らを組織し直したが、ディランはバイクでロードに出て、自らの神話を創造しようとしたのだ。



ディランが自己創造の神話を創り上げようとしている時、時代は変革の気配を漂わせると同時に不穏な空気に満ちていた。東西冷戦が加速する中、キューバ・ミサイル危機がニューヨークの人々にとっても身近に迫り、マンハッタン島から脱出しようとする者も現れ、街は開戦前夜の逼迫した空気に包まれていた。そんな空気の中、ディランはギターを抱えて街に出て、カフェに集まった聴衆の前で「戦争の親玉」を歌う。この作品で、マンゴールドは、数多登場する“音楽シーン”を常に映画の物語の中のワンシーンとみなした(※4)と語っている。音楽シーンは、史実に残る有名なライブシーンを再現するためだけのものではなく、それぞれの場面にサブテキストを充てがい、物語として機能し続けることで、映画が淀みなく流れていくように構成されている。マンゴールドは、「歌の中にストーリー展開がなければ、歌は映画のドラマを中断するCM休憩になり、映画ではなくなる」と語る。こうしてレイヤー化された豊かなディテイルの積み重ねが、映画のナラティブを有機的に推進する原動力になっている。

歴史が伝えるようにキューバ危機は回避され、ニューヨークのヴィレッジにも平穏な日常が戻ってくる。ファーストアルバム『ボブ・ディラン』の売れ行きが不調で、未だ自己創造の途上にあったディランは、“飛躍”するチャンスを探っていた。シルヴィがイタリア留学でニューヨークを留守にする間、ディランは彼女のアパートメントを根城にして、次々と新しい曲を作り続け、これらの曲がやがて、セカンドアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』に結実することになる。そんな折、バエズとディランは、家主のいないシルヴィのアパートメントで多くの時間を過ごすようになっていく。ある日、バエズは、ディランが書いた新曲「風に吹かれて」の弾き語りを部屋で聴き、その曲を私に歌わせて、とディランにオファーをする。



TIME誌の表紙を飾る程の“時の人”になっていったバエズが、ディランの存在を世に紹介した効果は大きかった。バエズはニューポート・フォーク・フェスティバルでディランとステージを共にし、大観衆の歓声と喝采が二人のステージを包みこむ。マンゴールドは、このステージで「北国の少女」をティモシー・シャラメとモニカ・バルバロのデュエットで再現しているが、バルバロが第2コーラスの“snowflakes storm”、“rivers freeze and summer ends”といったフレーズでシャラメに声を被せていった後、第3コーラスの冒頭“Please see for me if her hair hangs long”でバルバロがソロを取る瞬間を捉える一連のショットが鳥肌ものの素晴らしさだ。シャラメとバルバロの視線の交わりと有機的な魂の交感が生む祝祭的空間が明らかにフィルムに刻印されているのだ。バエズを演じたモニカ・バルバロもまた、ティモシー・シャラメと並んでこの映画を特別なものにしている最大の貢献者の一人だ。

半年の留学を終えて、イタリアからシルヴィが帰国すると、ディランは急いで部屋を片付けて、用意していた花束を手に笑顔で彼女を迎え入れる。コンロの上にまだ暖かいコーヒーが残されているのを見つけたシルヴィは、「私が居ない間に、コーヒーを自分で淹れられるようになったんだね」と笑顔を見せる。ディランは内心焦りながらも「そうさ」と素っ気なく応える。二人が離れている間に生じた亀裂をさりげなく感じさせる、繊細な演出も心憎いばかりに決まっている。



マンゴールドは『名もなき者/A COMPLETE UNKOWN』を彼の師匠であるミロス・フォアマンの『アマデウス』(1984)のテンプレートを使って構成しようと考えているとディラン本人に語ったことを明かしている(※5)。『アマデウス』のテンプレートとは、モーツアルトの内面や、彼の音楽がどこからやってきたのか、その秘密を創作によって示すのではなく、彼の周囲の人々に与えた影響を具体的に描くことで、その神童ぶりを描き出す、というものだ。マンゴールドは、まさにそのテンプレートに則って、ディランと二人の特別な女性との濃密な時間を描きながら、ディランの音楽と人生を共に創造した音楽仲間や関係者たちの存在を色鮮やかな光のもとに描き出してゆく。

マーティン・スコセッシの『ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム』(2005)で、「激しい雨が降る」を聴いて「トーチが新しい世代へと受け継がれたことに感動した」と涙を流したアレン・ギンズバーグこそ、この映画には登場していないが、ディランの才能をいち早く見抜き、CBSレコードに売り込んだマネージャー、アルバート・グロスマンには体を張った格闘シーンまで用意されているし、ファンに絡まれるディランを救い出して以来、ツアーに帯同するようになった快男児ボブ・ニューワース(ウィル・ハリソン)と、『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』(2005)に続いて、ディランとのアウトサイダー同士の共犯者めいた友情が見る者の心を沸き立たせるジョニー・キャッシュ(ボイド・ホルブルック)の“いい男”ぶりも実に印象深く描かれている。



『追憶のハイウェイ61』(1965)の録音スタジオにギターを弾くつもりでやってきたアル・クーパー(チャーリー・ターハン)が、ギタリストはマイク・ブルームフィールド(エリ・ブラウン)で既に決まっていたので、急遽オルガン奏者としてバンドに潜り込み、「ライク・ア・ローリング・ストーン」のイントロを大音量のオルガンで決めた時に見せるシャラメの視線ショットのハマり具合はなんとも痛快だし、シーガーがホストを務める音楽教育番組で、架空のミシシッピ・ブルースマン、ジョシー・モフェット(演じるビッグ・ビル・モーガンフィールドは、あのマディ・ウォーターズの実の子であるという※6)の挑発を受けたディランが、「あなたの演奏をすぐ近くから双眼鏡で穴が空くほど見て学んだよ」と言い、二人は緊張感漲る素晴らしいインタープレイを始め、スリリングなセッションに結実していく。

マンゴールドは、こうした興奮を誘う音楽的瞬間が、時間と空間の広がりを持つ映画的瞬間へと持続していく音楽シーンを幾つも炸裂させることで、不出生のアーティストが駆け抜けた4年半に亘る青春時代の特別な時間を、スクリーンに強烈に焼き付ける。ディランが自己創造し、伝説を創り上げるプロセスは、犯罪映画(『コップランド』1997)、青春映画(『17歳のカルテ』1999)、伝記映画(『ウォーク・ザ・ライン/君に続く道』)、西部劇(『3時10分、決断のとき』2007)、アクション活劇(『ナイト&デイ』2010、『フォードvsフェラーリ』2019)、ヒーロー映画(『ローガン』2017)と、様々なジャンル映画を渡り歩き、映画監督として自己創造を繰り返してきたジェームズ・マンゴールド監督にとって大いにリアリティのある主題だったに違いなく、本作はマンゴールド監督の多彩なキャリアの中でも最高傑作というべき作品に仕上がっている。



若き日のボブ・ディランが中性的な魅力を放つ蠱惑的な人物であったことは、トッド・ヘインズの『アイム・ノット・ゼア』(2007)でディランを6人の俳優が演じ、その中の一人がケイト・ブランシェットだったことからも既に映画史的に記憶されている事実だが、斜陽著しい2020年代のアメリカ合衆国において、若き天才俳優ティモシー・シャラメとジェームズ・マンゴールドが居合わせていたことの僥倖はもはや奇跡と言って良いだろう。映画は、ディランの自己創造の神話を、その可能性の中心に据えて、快調に転がり続ける。惹かれ合いながらライバルであり続けたバエズ、彼女の名前だけは実名を使わないでくれとマンゴールドに告げ、ディランが今もなお親愛の情を隠さないスーズ・ロトロをモデルにしたシルヴィ、“ティースプーンとシャベルの譬え話”でディランにアコースティック・ギターを使うように最後まで説得を試みたシーガー、断乎たる意思表示を示したシーガーの妻トシ、ディランのエレクトリック革命を共に駆け抜けたグロスマン、ニューアースらの音楽仲間達、“Make some noise, BD!”と耳打ちしディランの背中を押すジョニー・キャッシュ、映画は、そうしたすべての登場人物が有機的に絡み合みあいながら、クライマックスの1965年ニューポート・フォーク・フェスティバルへと雪崩こんでいく。

ディランは、シーガーの説得を振り切り、アコースティック・ギターではなく、ロックの象徴であるエレクトリック・ギターを掻き鳴らし、アンプで増幅されたノイズで会場を騒然とさせる。観客の一人が「裏切り者!」と野次り、ディランは「お前の言うことなんて信じない、嘘つきめ!」と応酬する。このやり取りは実際には、1965年ニューポートではなく、1966年イギリスのマンチェスター公演で起きたものだが、マンゴールドは、実際には違う時に起きたことも、語りの効果と経済性を鑑みて、物語の奔流に見事に落とし込んでいる。ディランはそこで、「マギーの農場ではもう働かない」(「マギーズ・ファーム」)、「もう僕らの関係はすべて終わったんだ」(「すべて終わったのさ、ベイビー・ブルー」)とエレクトリック・ディランバンドをバックに、彼の心情を聴衆に対してダイレクトにぶつけていく。このパフォーマーと大観衆がぶつかり合う、凄まじいまでの直接性!映画は、その歴史的瞬間を最高潮のテンションで駆け抜ける。



コンサートツアーで諍いがあり、暫くの間、距離を置いていたディランとバエズが久しぶりに顔を合わせたこのライブで「悲しきベイブ/It Ain’t Me, Babe」をデュエットし、二人の間にしか生じ得ない魂とエネルギーの生々しい交感が行われる決定的瞬間を目にしたシルヴィは自分には居場所がないことを瞬間的に悟り、会場を後にする。演奏を終えたディランがニューポートの港へバイクを飛ばし、船に乗る間際のシルヴィを見つけて呼び止める。二人の脳裏には出会った頃に見た映画『情熱の航路/Now, Voyager』のベティ・デイビスの台詞がよみがえる。「月を追い求めるのはやめましょう、私たちには星があるのだから/ don't let's ask for the moon. We have the stars.」シルヴィの大きな瞳に涙が浮かんでいるように見える。青春時代が終わり、シルヴィはベティ・デイビスがそうしたように、船に乗り、自らの人生を再創造し始めるだろう。自己創造の神話を駆け抜けたディランはバイクに乗り、再びロードに出る。さあ、君は自分の人生の物語をどのように創り上げる?と大きな問いを突きつけてくる、最高の青春映画の誕生である。






『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』
原題:A COMPLETE UNKNOWN

2月28日(金)より全国公開

監督:ジェームズ・マンゴールド『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』『フォード vs フェラーリ』
出演:ティモシー・シャラメ、エドワード・ノートン、エル・ファニング、モニカ・バルバロ、ボイド・ホルブルック、ダン・フォグラー、ノーバート・レオ・バッツ、スクート・マクネイリー

©2025 Searchlight Pictures. All Rights Reserved.

2024年/アメリカ/140分/カラー
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
北米公開:2024年12月25日

『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』
オフィシャルサイト
https://www.searchlightpictures.jp/
movies/acompleteunknown










※1
『ボブ・ディラン自伝』p7より意訳して引用





































































※2
The Gurdian
‘It’s full of things that didn’t happen – but it feels right!’ Inside the making of Bob Dylan film A Complete Unknown





※3
OUTSIDE IN TOKYO
初音映莉子『ミツコ感覚』インタヴュー















































































































































※4
IndieWire
With ‘A Complete Unknown,’ James Mangold Makes Movie — and Music — Magic Again













































































































※5
VARIETY
‘A Complete Unknown’ Director James Mangold on Consulting With Bob Dylan Adoring Pete Seeger and Why Newport ’65 Was Like ‘Thanksgiving Dinner Gone Amuck’




























































※6
SuperTalk
Who is Jesse Moffette? Mississippi bluesman appears in new Bob Dylan biopic