OUTSIDE IN TOKYO
FILM REVIEW

『美と殺戮のすべて』ローラ・ポイトラス



上原輝樹

映画は、写真家・アーティストとして知られるナン・ゴールディンが仲間たち(P.A.I.N.のメンバー)と共に、ニューヨークのメトロポリタン美術館「サックラー・ウィング」で、鎮痛剤「オキシコンチン(oxycontin)」のラベルが貼られた容器を一斉に撒き散らし、ダイ・イン(die-in)の抗議活動を行う場面から始まる。同美術館に多額の寄付をしてきたサックラー家の名に因んで、その名が冠された「サックラー・ウィング」は、同館のハイライトの一つ、デンドゥール神殿が鎮座する美術館の要所とも言えるエリアである。その人目につく開けた大空間で抗議行動が白昼堂々と行われたインパクトを、ローラ・ポイトラスのカメラは“初めから”捉えている。この熾烈極まりない抗議行動は、鎮痛剤「オキシコンチン」の中毒性のある副作用を隠蔽した上で販売促進に邁進し、全米で50万人以上もの死者を出した製薬会社パーデュー・ファーマの創業一族であるサックラー家に対して行われたもので、ホイットニー美術館、ポンピドゥー・センターを始めとする、世界の名だたる美術館で回顧展が開催され、今やアート界の“重鎮”と言っても差し支えないナン・ゴールディンが中心となって行った故のインパクトは大きく、巨大資本を有する一族に対して、ひとりのアーティストが中心となって始めた無謀にも思える闘いは、この後、思わぬ展開を見せていく。



1970年代から80年代にかけて、ポストパンク、ニューウェーブの時代に、クィアコミュニティの中でドラッグカルチャーやサブカルチャーの証人/当事者としてその時代を鮮烈に駆け抜け、ウォーホルのファクトリー的な意味で映画的とも言うべきグラマラスな写真で一斉を風靡したナン・ゴールディンが、21世紀の今、この無謀とも思える闘いに身を投じたのはなぜか?その答えはこの映画の中で幾つか示されていく。明らかなのは、彼女自身が、「オキシコンチン」中毒の被害者であり、その薬物依存との戦いの生存者であることだが、この作品の凄みは、ナン・ゴールディンという一人のアーティストがどのような環境で生まれ育ち、写真家として独自のスタイルを築き(あるいは、独自の生きる術が写真家として結実し)、今に至ったのか、彼女のバイオグラフィーと作品群(※1)に触れながら彼女の記憶を呼び覚ますことで、その秘密を、一つの作品の中に編み上げたところにある。



ローラ・ポイトラスと言えば、エドワード・スノーデンが米政府による国民監視の事実を暴露する取り組みの一端として、自らの命を守るために、そのプロセスを映像に残すべく計画されたドキュメンタリー映画(『シチズンフォー スノーデンの暴露』2014年)の“監督”として、スノーデンが呼び寄せた時点で既に、イラク戦争に焦点を当てた『My Country, My Country』(2006)やグアンタナモ収容所を題材にした『The Oath』(2010)といった作品を創り上げた功績からか、米政府のテロリスト・リストにその名が載っていた(※2)人物であるから、両論併記的な“公平さ”などとは、幸いなことに端から無縁の人物であることは言うまでもない。冒頭で、「ローラ・ポイトラスのカメラは“初めから”捉えている」と記した所以だが、スノーデンの時と同様に、今回もポイトラスは、“主人公”の共犯者として堂々と並走している。

そんなポイトラスが監督としてクレジットされている本作がローラ・ポイトラスの監督作品であることに一分の違いはないが、“主人公”であるナン・ゴールディンは、単なる作品の“描写対象”として扱われているわけではない。本作には二人の共同制作であるといった親密さが漂っており、作品全体にナン・ゴールディンの審美眼が行き渡っている。ニューヨーク・アンダーグラウンドの先達ヴェルヴェット・アンダーグランドの名曲「I'll Be Your Mirror」を自らの作品に名付けた彼女らしいセンスで、「All Tomorrow’s Party」のイントロ部分だけを流してみたり、パティ・スミスが参加したことで知られるSoundwalk Collectiveがサウンドトラックを手掛けているのも、本作がナン・ゴールディンの生きてきた人生と地続きにあることの証左だろう。



本作が、一人の稀有なアーティストが彼女のままであり続けることを賭すことで成就した芸術表現と、冷酷な社会に抵抗するアクティヴィズムの幸福なマリアージュの瞬間を見事に捉え、現状に甘んじることなく声を挙げ、行動を起こす者たちを勇気づける作品であることを祝福した上で、私の心を強かに打ちのめしたのは以下に記すことだ。

“美と殺戮のすべて”と訳されている本作の原題、“All the Beauty and the Bloodshed”という強烈な残響を心に残すこの言葉は、ナン・ゴールディンが11歳の時に、18歳の若さで自ら命を絶った姉バーバラが精神病院に収容されていた時の診断書に記されていた精神科医の手によるもので、より正確には、“彼女には来るべき未来の美と殺戮のすべてが見えていた(She sees the future and all the beauty and the bloodshed.)”という文章からの引用であることが本作の中で明かされている。実は、この映画を見る前から、人が一生を通じて経験することになるであろう過酷な体験の数々を象徴するかのように、文学的であると同時に正鵠を得た、僅か6つの英単語で構成された表現に甚く惹かれていたことをここに告白せざるを得ないのだが、それが、精神科医が記した文章からの引用であることに少なからず驚かされた。そして、この精神科医は、“バーバラは極めて普通の10代の少女であり、むしろ、治療が必要なのは母親の方である”とのコメントも残している。

“治療が必要なのは母親である”ことを精神科医は見抜いていたが、事態はそのようには推移しなかった。ナン・ゴールディンは、姉バーバラのことを次のように振り返っている。「姉は自由奔放だった。ショパン、ラフマニノフ、チャイコフスキー。よくピアノを弾き、彼女の感情はそのまま音に現れていた。ピアノを弾いている彼女の肩にはインコが留まることもあった。彼女と私の間に秘密はなく、同性への恋心も打ち明けてくれた。性が抑圧されていた時代の中で、彼女は性的志向について悩み、本当の自分を隠していた。私たちはとても仲が良かったけれど、私の子供時代を姉はほとんど施設で過ごした。両親は姉を何度も施設に送り、彼女の人格を否定し、精神疾患のレッテルを貼った。」バーバラが自ら命を絶ったことを警察から知らされた母親は、彼女の死は事故によるものだったとナンに伝えたが、彼女は後年、真実を知ることになる。心を通わせていた姉の人格を否定し、真実を隠蔽した両親のもとを離れた彼女は、フリー・スクールに通い、後年、写真家ナン・ゴールディンの作家性の礎となる“彼女の人生と彼女を取り巻く友人たちの人生をありのままに記録すること”を始めていく。“隠蔽すること”に抗う、彼女の闘いはこの時、既に始まっていた。






『美と殺戮のすべて』
原題:All the Beauty and the Bloodshed

3月29日(金)より新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、グランドシネマサンシャイン池袋ほかロードショー

監督・製作:ローラ・ポイトラス
出演・写真&スライドショー・製作:ナン・ゴールディン

© 2022 PARTICIPANT FILM, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

2022年/アメリカ/英語/121分/16:9/5.1ch
配給・宣伝:クロックワークス

『美と殺戮のすべて』
オフィシャルサイト
https://klockworx-v.com/atbatb/



































































※1
自らの性的依存症を告白した『性的依存のバラード(The Ballad of Sexual Dependency)』、姉バーバラと社会で生き残るために戦うすべての反抗的な女性たちに捧げられた『Soeurs, Saintes et Sibylles』等

































※2
Little White Lies
ローラ・ポイトラス インタヴュー
https://lwlies.com/interviews/
laura-poitras-i-hope-the-audience-
comes-out-with-a-different-
perspective-on-the-world/