OUTSIDE IN TOKYO
FILM REVIEW

『イニシェリン島の精霊』


奇妙なフォークロア的魅力と
禍々しい霊性が場所の記憶から立ち上がってくるブラックコメディ
上原輝樹

原題は”The Banshees of Inisherin”、まさしく劇中でコルム(ブレンダン・グリーソン)が、自作の曲名を語る時に呟いた通り、“響きが良い”。この原題には主に80年代に活躍したポスト・パンク、ニューウェイブのバンド、スージー&ザ・バンシーズと同じように、ある種の禍々しさが漂っており、壮絶に美しいアイルランドの“架空の離島”イニシェリン島で繰り広げられる数奇な物語の格別な風合いを決定づけている。撮影期間は終始好天に恵まれたとマーティン・マクドナー監督が語っている通り、スクリーンには、美しい天候の下、風光明媚な絶景ばかりが拡がっている。それでも、スクリーンを支配しているのは、島を覆う禍々しい霊的な気配であり、クリント・イーストウッドが『クライ・マッチョ』(21)の撮影を任せたことでも記憶されている撮影監督ベン・デイヴィスは、この土地が醸すただならぬ気配を見事に捉えている。

“架空の離島”イニシェリン島は、実際にはアイルランドの西にあるゴールウェイ湾に3つの島々が並んで浮かぶアラン諸島の中でも最大の島、ロンドン生まれのマーティン・マクドナーがその幼少時代を過ごしたイニシュモア島やアキル島で撮影されている。アラン諸島が映画史に登場したのは最近のことではなく、かのロバート・フラハティが、1934年にドキュメンタリーとフィクションが混じり合った傑作『アラン』をこの地で撮影し、その年のヴェネチア国際映画祭で最優秀外国語映画賞を受賞しており、『イニシェリン島の精霊』がワールドプレミアで上映されて映画祭サーキットにおける高評価の端緒をつけたのもヴェネチア国際映画祭であったことは地政学的な因果を感じさせる。



書きそびれる前に書いておくのだが、パードリック(コリン・ファレル)が着ている、素晴らしく愛らしい厚手のニットは、これらの島々で漁師が着るために手編みで作られた<アランセーター>、日本では<フィシャーマンセーター>として知られるセーターをアレンジしたものに違いないく、本作の登場人物を、緑の大地とブルーグレーの海を背景に、西部劇風のダークカラーなシルエットに身を包んだ二人の主人公が登場するというマクドナーが思い描いていたオリジナル・イメージに対して、プロダクション・デザインのマーク・ティルデスリーに相談しながら、紋切り型のダークトーンではなく、グリーンやブルー、鮮やかなレッド、イエローを交えたコスチュームを提案し、豊かなカラー・パレットの彩りを加味することに成功したのは、衣装デザインを手掛けたイマー・ニー・バルドウニグの功績が大きかったに違いない(※)。

コリン・ファレルが演じるパードリックは、人の良さゆえに面白みこそ欠けるかもしれないが、自らにそうあることを命じてきた通り、人当たりの良い、“ナイス”ガイである。長年の友人であるコルム(ブレンダン・グリーソン)とは、毎日、14時になるとパブへ行ってビールを飲み交わす仲であり、その日もパードリックはコルムを誘うべく、14時きっかりにコルムの家を訪ねるが、家の中にいるコルムには彼の声が聞こえていないのか、何の反応もない。パードリックは、先に行ってるからなと言い残し、パブへ歩みを進める。店主のジョンジョ(パット・ショート)にビールを注文し、一人で先に飲み始めたパードリックだが、一向にコルムがやって来ないのが不思議でならない。ジョンジョに喧嘩でもしたのか?と聞かれるが、パードリックには思い当たる節がない。家に帰ったパードリックは妹のシボーン(ケリー・コンドン)にそのことを話すと、「もうお兄さんのことが嫌いになったんじゃないの?」と言われてしまう。



翌日も同じようにして、一人でバーを訪れたパードリックは、別の客と楽しげに飲んでいるコルムを見つけ、以前のように親しげに話しかけるが、別の席に座れと言われ、思いもしていなかった言葉を聞かされることになる。
「お前のことが嫌いになったんだ」
激しく動揺したパードリックは、何か誤解があったのに違いないと思い、関係修復を図るために四苦八苦するが、事態は悪化の一途を辿るばかりである。海の向こうのアイルランド本土では内戦が起きており、この島までは戦火が及んでいないが、不穏な空気は海を超えてなお伝わってくる。音楽の才能に恵まれたフィドル奏者であるコルムは、老齢の近い自分に残された時間がそれほど多くはないことを悟り、パードリックとの与太話に時間を費やしてきたことが惜しくなる。意を決したコルムはパードリックと絶交をして、残された時間を音楽活動と思索に費やすことを断固として宣言したのだった。



パードリックには読書好きの聡明な妹シボーンがおり、見事な西部劇的空間の中にポツンと収まった石造りの小さな家で、兄妹二人、ベッドを並べて慎ましく暮らしている。パードリックはロバのジェニーを可愛がっていて、シボーンが目を離した隙にジェニーを家の中まで連れてきてしまうので、家を清潔に保っておきたい彼女に、ジェニーを家の中に入れないで!とよく叱られる。この兄妹の関係を見ていると、パードリックが気の良い、平凡な男であり続けることが出来るのは、しっかりもののシボーンが家事の些事を一切合切引き受けていてくれるお陰なのだろうということが窺い知れる。

パードリックにはもう一人懇意にしている人物がいる。バリー・コーガン演じるドミニクは、異彩を放つ存在感で、コルムを演じるブレンダン・グリーソンと共に、この映画に格別な味わいを与えている最大の貢献者の一人である。コルムから絶交を宣告されたことをパードリックから聞かされたドミニクは、「あのオヤジ何者?12歳かよ」と鋭い切り返しを決めて見せる。ドミニクは、そんな鋭い感性の持ち主なのだが、その父親が本作において最低最悪の人物であるということが、彼の人生の悲劇性を際立たせている。ゲイリー・ライドンという俳優が見るものからの非難の眼差しを一身に受けて演じている警官ピーダーは、一見何も起きていない平和な島に見えるこの島が、その内奥において腐臭を放っていることを体現している人物であり、そのことを象徴するかのように、この男が裸体で寝ている姿を捉えたショットの陰惨さは筆舌に尽くし難いものがある。この陰惨なショットは、いずれこの男がやらかす幾つもの愚行を予兆させるものとして映画序盤の然るべき位置に収まっている。



パードリックは、シボーン、ドミニク、そして、本島からやってきた神父(デヴィッド・ピアース)といった面々に相談し、コルムと接触を試みるが、パードリックの執拗さに業を煮やしたコルムは、お前が俺に一度話しかけるごとに、指を1本づつ切り落とすと言い放つのだった。音楽家として後世に然るべき功績を残そうと決意したはずのコルムが、フィドルを弾くのに必要なはずの指を切り落とすとはいかなる事態を意味しているのか?“凡庸さ”の反意語は、一般的に言われている通りの“非凡さ”ではなく、“愚鈍さ”であるとした蓮實重彦の正しさを証明するかのように、“凡庸”な人生に別れを告げ、“非凡”な人生を選んだはずのコルムは、自らの指を切り取り、パードリックの家の扉に投げつけるという“愚鈍”な暴挙に出ることになる。ここに至って、事態は、シボーン、ドミニク、ロバのジェニーをも巻き込んで更にエスカレートし、島には“愚鈍”さが満ち満ちていく。

その“愚鈍”さは、善人たるべしと自らに命じていたパードリックにも伝染し、“愚鈍”な反撃に転じる。妹のシボーンは、劣悪さの見本と化した警官ピーダーやゴシップ狂女店主オリオダン夫人らの醜悪な口撃に晒されたことも契機となって、パードリックを残して、本島へ引っ越すことを決意する。彼女の決意は、追い詰められたパードリックを孤独へと追いやり、ドミニクを巻き込んだ更なる悲劇を巻き起こすことになるだろう。“愚鈍”さが島内を席巻する中で、コルムが瞬間的に“非凡さ”を発揮してピーダーを殴り倒す爽快な場面に出会す余地はまだ観客に残されているが、それとて二人の友情が復活する予兆を感じさせるものではない。



イニシェリン島の自然はどこまでも悠然として美しく、島の精霊は人間たちが演じる愚行の蔓延を超然として眺めるばかりである。この映画の時代設定と同じ1932年に一応の終結を見たアイルランド内戦が、その後数十年間に亘って継続する長き紛争の始まりに過ぎなかったことは誰もが知るところだろう。この不幸な歴史と相似形を成すように、コルムが自らの芸術的使命を果たすために始めた行動は、パードリックから“善良さ”も平凡な日常も奪い、延々と続く不和の契機を作ってしまった。『イニシェリン島の精霊』は、世界を不穏さが覆う時勢にあって、ただ愚直なまでにその悲劇を荘厳な舞台設定の中で語り、私たちの住む世界と奇妙な仕方で共鳴している。

しかし、この奇妙なフォークロア的魅力に満ちた離島の奇譚が不穏な現代性を獲得していることばかりが、この作品の魅力なのではない。むしろ、真の魅力は、この禍々しい空気感と見るものを魅了する美しい光景の中で無数のブラックユーモアが炸裂し、苦笑を誘う絶妙な匙加減のコントが幾つも展開していくところにある。島の精霊であるはずのミセス・マコーミック(シーラ・フリットン)が、島民の一人として日常的に馴染んでいること自体が既に奇妙だが、酔っ払ったパードリックがコルムとピーダーに対して、俺がこの島で嫌いな3つのことを教えてやろう、と啖呵を切る場面で、一つ目が警官、二つ目がフィドル弾き、三つ目は…と、三つ目が出てこないパードリックに向かって、ミセス・マコーミックが「冷たい水への入水自殺」と、合いの手を入れる、後の物語展開への伏線ともなっている、笑うに笑えないブラックユーモアが炸裂する。



コルムから「お前は退屈な男だ」と言われたパードリックが、シボーンに「俺って退屈な人間なのか?」と聞き、シボーンが「そんなことはない、お兄さんは“ナイス”な人よ」という会話の流れから、島で一番“ぼんやり”した人間は誰かという話になり、それはドミニクがダントツだということで意見の一致を見るものの、それなら、2番目に“ぼんやり”してる奴は誰かな?とパードリックが自ら墓穴を掘る場面も忘れ難いし、告解部屋におけるコルムと神父のやりとりで、神父が「パードリックに不純な気持ちを持っているのか?」とコルムに問い、不快に思ったコルムが「お前こそ、男に気があるんだろう」と言い放ち、神父が「お前はクソ野郎だ!」と激昂する場面など、挙げればキリがない程、不穏なブラックユーモアが豊かに繁殖しているのである。“低俗”とすら形容出来るかもしれない、エリート主義とは無縁なこの脚本を書き上げ、俳優陣の見事なアンサンブルに血肉化したマーティン・マクドナーの手腕は賞賛に値する。何度でも見たいと思わせる奇妙な魅力と禍々しい霊性が場所の記憶から立ち上がってくる、なんとも味わいの深いブラックコメディである。






『イニシェリン島の精霊』
原題:The Banshees of Inisherin

1月27日(⾦)より全国公開

監督・脚本:マーティン・マクドナー
製作:グレアム・ブロードベント、ピーター・チャーニン、マーティン・マクドナー
撮影:ベン・デイビス
美術:マーク・ティルデスリー
衣装:イマー・ニー・バルドウニグ
編集:ミッケル・E・G・ニルソン
音楽:カーター・バーウェル
出演:コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン、ケリー・コンドン、バリー・コーガン

©2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.

2022年/114分/PG12/イギリス
配給:ディズニー

『イニシェリン島の精霊』
オフィシャルサイト
https://www.searchlightpictures.jp/
movies/bansheesofinisherin




























































※イマー・ニー・バルドウニグ インタヴュー