OUTSIDE IN TOKYO
FILM REVIEW

『逆転のトライアングル』


前作は□(四角形)、今作は△(三角形)、
幾何学的表象の中に、人間存在の哀しさと可笑しさを、
辛辣なブラックユーモアで浮かび上がらせる痛快作
上原輝樹

「“悲しみのトライアングル(Triangle of Sadness)”をゆるめて」とは、何と残酷で秀逸な台詞だろう。原題のタイトルでもある、この台詞は、これから始まろうとしている、この映画の性質を的確に表している。モデルのオーディション会場で、審査員の女性がカール(ハリス・ディキンソン)に対して、「眉間にシワを寄せないで」とダメ出しをしているのだ。カールが付き合っている女性ヤヤ(チャールビ・ディーン)は、女性の方が男性の3倍稼ぐといわれるモデル業界で人気絶頂のファッションモデルであり、SNSのインフルエンサーとしても活躍していて、二人の間には収入格差がある。「お金のことを話すのはセクシーじゃない」とヤヤは言うが、順調なキャリアを歩んでいると言えないカールにとって、“お金”は最も気掛かりな問題である。

ある日、ヤヤが出演するファッション・ショーを見にきたカールは、最初は最前列に座っていたものの、開始直前に来たVIPに席を弾かれてしまい、後方への移動を余儀なくされ、”面目を失う者”を描き続けるリューベン・オストルンド監督一流の、ブラックユーモアの効いたコント演出が小気味よく連鎖していく。微妙な空気のまま、二人はショーの後にスタイリッシュなレストランを訪れるが、ディナー代をどちらが払うかで揉めてしまい、やがて激しい口論になる。ヤヤが人前では“気前よく”振る舞うのに、二人になると自分に払わせようとするのがカールには不満だ。利用されているようで嫌だと言うカールに対して、ヤヤが本音を明かす。「私が妊娠して働けなくなった時、稼ぎのない男では困る」というのだ。この場面は、監督の実体験に基づいて構想されたもので、描かれているのは、若きセレブ・カップルの諍いだが、きっと誰にでも似たような経験はあるに違いない。オストルンドは、自らの恥ずかしい経験を虚構に託して、観客の心を見事に掴んでしまう。



ヤヤが付き合う男は、自分が働けなくなった時に彼女を養えるくらい稼ぎのある男であって欲しいということ、そして、些細な事のように聞こえるかもしれないが、インフルエンサーである彼女には、SNSに投稿する際、身近にいて彼女の写真を撮ってくれる友人のような存在が必要だ。ヤヤにとってカールは、仲の良い友人であるのと同時に、SNS時代の格好のビジネス・パートナーであり、二人の関係は計算尽くのものだが、カールにそうした計算はない。ヤヤの本音を知ったカールは、今に見ていろ、本気で俺に惚れさせてやるからなと、密かに心に誓う。映画はカールの視点に沿って、現代社会における”男性性”に疑問を付す形で描かれていくが、ここで誰もが思うのは、果たしてヤヤが本気でカールに惚れる日なんて来るだろうか?という確信に近い疑問である。

インフルエンサーとして、豪華船クルーズの旅に招待されたヤヤは、パートナーのカールを連れている。ここまで、カールとヤヤが身を置くファッション業界に蔓延るルッキズムと商業主義的で浅薄なやってる感(環境問題や社会問題への表面的なコミットメント)を辛辣に風刺することで、映画を快調に走らせてきたリューベン・オストルンドは、『ゴダール・ソシアリスム』(2010)に登場し、その後、実際に座礁してしまった豪華客船コスタ・コンコルディア号をも想起させる豪華クルーズ船に乗り込み、更にギアを一段上げていく。このクルーズ船の乗客は、成り上がった上流階級の人々で構成されており、リューベン・オストルンドの意図は、彼ら/彼女らを、観客が同情するほどの酷い目に遭わせようというものだ。『ザ・スクエア 思いやりの聖域』(2017)で、美術業界の大物が集まる晩餐会に“猿型パフォーマー”を放って、セレブたちをパニックに陥れた前歴のあるオストルンドは、面目躍如と言うべき働きで、盛大な“船長のディナー”が繰り広げられる“愚か者の船”を、糞尿塗れのカオスの渦に陥れることになる。



この豪華クルーズ船の船長は、共産主義者の母親に育てられた、理想家のマルクス主義者で大酒飲みという設定なのだが、この船長を演じているウディ・ハレルソンが素晴らしい。船長は、乗客の一人であるロシアの成金オルガリヒとしこたま酒を飲み交わしながら、かつての共産主義国ソ連〜ロシアと新自由主義と資本主義の米国、東西両陣営の現代史を巡る(マルクス、レーニン、チャーチル、レーガン、サッチャー、カストロ等々らによる)有名な警句の引用合戦を行うのだが、この合戦の内容自体はご愛嬌として、自らも共産主義者の母親に育てられたのだというオストルンドの、いずれにしても"帝国主義国家”であることに変わりはない両大国に差し向けられた視線は冷たい。

そうした余興を交えながら、悪天候に揺れる船内で、チャップリンやキートンばりに、斜めに直立不動するウディ・ハレルソンを捉えたショットと、微妙に傾くワイングラスやシャンデリアを絶妙なカット割りで繋ぎ、徐々にこの“上流社会”が崩壊していくプロセスを的確に積み上げていくオストルンドの活劇的手腕が冴えている。オストルンドはまた、この活劇的カットの連鎖が炸裂する前兆として、カール(1)とヤヤ(2)とオルガリヒ(3)、カール(1)とヤヤ(2)とクルーズ船の甲板で上半身裸になりヤヤの視線を惹きつける船員(3)、カール&オルガリヒ(1)とオルガリヒの連れの女とヤヤ(2)に話しかけようとする“連れの女性が来なかった男”(3)といったクルーズ船の面々を、見事な欲望の“トライアングル=三角関係”として視覚的に描写することで不穏なテンションを積み上げ、活劇的シークエンスを沸騰へと誘うマグマを水面下で沸き立たせていく。



この悲しき欲望の“トライアングル=三角関係”は、無人島に漂着してからも、姿形を変えて変奏されていき、立場と環境が変化しても変わらない人間の性を炙り出していくが、この船上の“愚か者の船”描写こそが、本作の白眉と言って良いだろう。前作『ザ・スクエア 思いやりの聖域』には、“スクエア=四角形”のスペースを用いて、面目を失うことを怖れる人間の“恥”の心理を見事に炙り出すことで、映画を反面教師として“優しくあろうとすること”を能動的に発動させるような見る者への働き掛けがあったが、本作『逆転のトライアングル』で浮き上がってくる“トライアングル=三角関係”には、私たちの現実社会そのままの残酷さがブラックユーモアとともに可視化されるばかりである。

しかし、そこには監督の顔も見えるし、私たち自身の姿も認められる。風刺される対象の中に自分たちの姿を認めることが出来て、そこに真実とユーモアさえあれば、それがどれほど辛辣なものであろうと、私たちは”映画”を楽しむことが出来るだろう。そこには、ブニュエル作品にあったのと同じように、人間存在の哀しさと可笑しさを映し出す映画的現実が豊かに息づいているのだから。ただ、本作で素晴らしい存在感とエネルギーを放って華やかな映画デヴューを果たしたチャールビ・ディーンが、32歳の若さで、鮮烈な印象を残したままこの世を去ってしまったことは、残念なこと極まりない。彼女の勇姿を少しでも永く自らの記憶に留めるために、本レビューを彼女に捧げる。

チャールビ・ディーン Instagram:
https://www.instagram.com/charlbi143/






『逆転のトライアングル』
原題:Triangle of Sadness

2023年2月23日より公開

監督・脚本:リューベン・オストルンド
撮影:フレドリック・ウェンツェル
美術:ジョセフィン・アスベルク
衣装:ソフィー・クルネゴート
ヘアメイク:ステファニー・グレッグ
録音:ジョナス・ルードルス、ジョナス・イルグナー
音響監督:アンドレアス・フランク、ベン・ホルム
編集:リューベン・オストルンド、マイケル・シー・カールソン
追加編集:ジェイコブ・シュレシンジャー、ベンジャミン・ミルグレット
キャスティング:ポーリーン・ハンソン
出演:ハリス・ディキンソン、チャールビ・ディーン、ウディ・ハレルソン、ヴィッキ・ベルリン、ヘンリク・ドルシン、ズラッコ・ブリッチ、ジャン=クリストフ・フォリー、イリス・ベルベン、ドリー・デ・レオン、ズニー・メレス、アマンダ・ウォーカー、オリヴァー・フォード・デイヴィス、アルヴィン・カナニアン、キャロライナ・ギリング、ラルフ・シーチア

2022年/スウェーデン、ドイツ、フランス、イギリス/カラー/シネスコ/5.1chデジタル/147分
配給:ギャガ

『逆転のトライアングル』
オフィシャルサイト
https://gaga.ne.jp/triangle/