OUTSIDE IN TOKYO
Aktan Arym Kubat INTERVIEW

アクタン・アリム・クバト『明りを灯す人』インタヴュー

3. (映画について)何も知らない、でも、映画をつくる人、でいさせて欲しいのです

1  |  2  |  3



OIT:80分というそれほど長いとはいえない尺の中に、とても多くの要素が詰まった映画でありながら、ひとつひとつのシーンが特に短く、説明的であるという印象を全く受けません。これは撮影を始める前に、監督の頭の中で全てのシーンが推敲され、完成されているからなのでしょうか?
AAK:はい、すでに説明したことに関連しますが、私は、スクリーンに投影される全てのものが、人生においてそうであるように、控えめに収まるよう努力しています。もちろんどの要素も異なる解釈をはらんでいます。『ブランコ』の登場人物が後の「明り屋さん」になる経緯をもつ撮影場所について話しましたよね。このように、それぞれの要素にいくつかの解釈が可能です。
それを理解して注意を払ってくれたことを嬉しく思います。フィルムに映るものが小道具だけというのは好きではありません。正直にいうと、シーンをすべて描きだすことはしません。前もって見知してもらうために全てのシーンを描くのはとても無理なので、役者同様に重要だと考えているロケーションで、ストーリーの落とし込む制作段階で行ったりします。フィルムの完全な理解はセットに立ってこそある。私の頭の中には、あらゆるイメージを集約した絵ができていても、その完全な具体化は撮影中にしかありえない。残念な事に、私は頻繁に撮影するほうではないので、イメージを再度練り直す猶予はありません。コンピューターに似ていると気がついたのですが、自分の周辺で起こる事象が蓄積されていき、ある時、必要だと思うファイルを開いて、あれやこれやのフィルム作成に着手する。ファイルに蓄積されたストーリー、私の宝物や経験が溢れ出して映像になっていきます。映画をつくり終える度に、すっかり空っぽになり、自分が、とても小さく、まったくもって取るに足らない人間だとしか思えないときもありますよ。

OIT:監督が特に影響を受けた映画作家の名前を教えてください。
AAK:インパクトを与えられた監督の名前をあげることはできません。映画は数える程しか観ていないし、誰かに深く関わるタイプではないので。これは映画界に対する傲慢さや無知をいうのではなく、私には私の人生があり、それ以外を生きることはできないということを言いたいのです。良いか悪いかは分かりませんが、それが私の経歴でありシネマのやり方です。
何も知らない、でも、映画をつくる人、でいさせて欲しいのです。
もし影響を与えられたものがあるとするならば、それは私の最初の専門にあるでしょうね。アートスクールの生徒としては印象派の影響を受けました。シネマの印象派と称されることもありますが、私は、屋内で起こっていることではなく、自然や、色とりどりの人生のありようが好きなのです。私の映画に親しんでくれている方なら私が何を言いたいか解って下さるでしょう。殆どのシーンを自然の中で撮っていますからね。スタジオがないから外で撮っているのではありません。自然じゃないものに触手が動かないだけなのです。私はスクリーンに生命を再生させたい。それは、そうすべきことか?という疑問があがるかもしれない。私はすべきことだと思っています。それまで注意を払われなかった生命が、違う光のもとで息吹を吹き返すことができるのですから。

OIT:監督が最も素晴らしいと思う映画を何作か、教えてください。
AAK:ひとつ前の質問同様で、好きな映画をあげることができません。しかしずっと私は小津さんに酷似しているのではと思っています。彼の映画は観ていないけれど、日本人が座る高さにセットされた小さい三脚を使った新しいカメラアングルをあみだし、日本人のシンプルな生活をスクリーンに再現したというこの監督の情報に好感をもちました。無知で申し訳ないけれど映画は観ていません。観たいかどうかもわかりませんが、もし本当にそういう監督なのであれば、私は彼の作品を好むでしょうし、私に影響を与えることもあったでしょう。小津さんは(私との比較に使って恐縮ですが)生活というものに影響を受けたのでしょうし、その同じ生活が私のフィルムの題材にもなったのです。

OIT:監督にとって映画とは何でしょうか?
AAK:感傷的に聞こえるかもしれませんが、映画は私のためのもので、人生の一部です。芸術に生きる、ライフ・イン・アートといわれるような意味ではなく。私は庶民として生活しており、皆さんがご存知のとおり、映画に登場するものに囲まれて、映画を撮影している村で生活しています。そういった意味で、映画は私の人生の一部なのです。私に起こったこと、身のまわりのこと全てを映画に投影しようと努めています。たまに、映画のストーリーが現実の一部であるような錯覚に陥ることもあります。あべこべにね。ですが、エンターテイメントで、商業的で、富をもたらす映画を指してそういうのではありません。私にとってのシネマはビジネスではなく、人生の一部で、それをスクリーンに映そうとしているだけなのです。


1  |  2  |  3