OUTSIDE IN TOKYO
Apichatpong Weerasethakul INTERVIEW

タイの東北部、かつて学校であった仮説病院では、原因不明の”眠り病”に罹った兵士たちが眠っている。病院では、アフガニスタンの兵士たちにも効果を発揮したという装置が作動していて、あたかも”色”自体が生命を宿しているように、夜になると赤や、青、緑に発光する。そこには、”霊”と交信をすることが出来る若い女ケン(ジャリンパッタラー・ルアンラム)が眠り続ける兵士たちの魂と交信をしていて、失踪した家族の行方探しを手伝っている。彼女は、自らの意思でFBIからのオファーを断り、祖国のために働いているのだという。その彼女の前世が木から落ちた若い男だったという設定は、『世紀の光』(06)から繋がっており、アピチャッポン作品らしい蔦が絡まるように張り巡らされた伏線の有り様は本作でも健在だ。そこに、本作の主人公ジェン(ジェンジラー・ポンパット・ワイドナー)が松葉杖をついて現れる。かつてこの学校の生徒だった彼女は、誰も見舞ってくれる家族がいない兵士イット(バンロップ・ロームイーノ)を見舞う内に、ケンと親しくなる。ある日、湖のそばのお堂で王女様の像に祈りを捧げていたジェンに不思議なことが起こる。ジェンは、若く美しい2人の女性から「病院の下には王たちの墓があり、王たちは今も、兵士の生気を吸い取って戦いを続けている」という話を聞かされる、、。アピチャッポン・ウィーラセタクンの最新作『光りの墓』(15)は、見るものの”想像力”を梃子にどこまでも有機的に拡張してゆく、アピチャッポン監督らしい”優しさ”と豊かな官能性が漲る傑作である。

今や、多くの映画において観客が”想像”する余地は予め奪われている。2015年に多くの映画ファンを興奮の坩堝に落とし入れた『マッドマックス 怒りのデス・ロード』は、ジョージ・ミラー監督の類い稀なる”想像力”が生んだ、娯楽映画の王道を爆走する傑作であろうことは、フェミニズム的視点とロックンロール(権力者への反逆)を導入して映画表現の21世紀的更新に成功していることも含めて、まったく否定するつもりはない。実際、如何に極悪人とはいえ、ジェニファー・ジェイソン・リーが演じる犯罪者デイジーや、ブルース・ダーンが演じる米南北戦争の元南軍将軍に対するサディスティックな仕打ちが、些か暗澹たる気持ちを喚起して観客に複雑な感情を味あわせる、タランティーノの反ヘイト・クライム西部劇『ヘイトフル・エイト』(15)に比べると、堂々たる爽快感すら漲ってることも否定しない。しかし、”想像”することは作り手に全て任せて、娯楽を受け取るだけでは満足出来ないという厄介な観客もまた確実に存在しているということを、密やかに主張しておかなくてはならない。

そのような観客にとって、映画に”想像”の余地が残されていることは重要だ。デヴィッド・ボウイの代表作『地球に落ちて来た男』(76)にまつわるインタヴューで、ニコラス・ローグ監督は、「SF映画には2種類の作品がある、ひとつは、人間が超人的な能力を身につけて並外れた活躍をする類いの作品、もうひとつは、見たことのないものや奇妙なものが登場する、洞察力のある作品。一般に人は自分の想像力に拘束され、理解できないことは想像できないものだが、自分が興味があるのは後者の作品だ」ということを語っているが、観客にとって”想像”の余地が残されているのも、もちろん後者の作品である。奇しくも、恵比寿ガーデンシネマでの爆音上映が決定したばかりの21世紀を予見した作品『地球に落ちて来た男』や、現実世界が仮想世界の人々をコンピューターで制御するディストピアを描いたファスビンダーの『あやつり糸の世界』(73)、2016年3月現在、日本映画今年最大の冒険作、鈴木卓爾監督の『ジョギング渡り鳥』(16)といった”観客に開かれた”メタフィクション/SF映画群が、どうしようもなく”リアル”に見えてしまう事態が進行している現在において、アピチャッポン・ウィーラセタクンの『光りの墓』が提示している、現実をレイヤー階層として見る、見立ての作法は決定的に重要に思える。そうした世界認識を見立てた上で、私たちは、そこから超越的に自由な立場に立つわけではなく、その複雑なレイヤーを常に往来していくことでメランコリックな進化を遂げてしていくしかないのだろう。アピチャッポン・ウィーラセタクンと共に、21世紀の新たなる映画史の扉を開けて、フィクションの未知なる領域へと足を踏み出す時がきた。

1. 昼間の陽光についての映画であると同時に、その裏側にある闇についての映画でもある

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OUTSIDE IN TOKYO(以降OIT):まず最初に作品を拝見した感想をお伝えしたいのですが、素晴らしい作品だと思いました。過去の作品の登場人物や物語が、アピチャッポン監督らしい形で有形無形で蘇ってくる、観客の想像力次第でどこまでも拡張していく有機的な映画だと思いました。
アピチャッポン・ウィーラセタクン:どうもありがとうございます。

OIT:『ブンミおじさんの森』(10)は夜の映画だったと思うのですが、今回の『光りの墓』(15)の場合は、タイトルにも入っているように光の映画、昼間の映画という印象を持ちました。今回、この光というものにテーマをあてたように思ったのはなぜなのでしょう?
アピチャッポン・ウィーラセタクン:実は日本語のタイトルを、今初めて聞いたのですがとても気に入りました。この映画はまさに追憶や記憶について、そして私が育った故郷の街の光についての映画なんです。でも同時にその下に埋もれている事柄についての映画でもあろうとしています。つまり歴史とか物語というのはアイデンティティにとってとても重要なわけですけれども、私は実は今、混乱しています。タイの歴史的な物語、あるいはアイデンティティの物語というものが時代を超えて変化してきているからです。私が子供の頃に育ってきた所謂プロパガンダのような物語というものが、その後の色々なリサーチやインターネットで入ってくる情報によって覆されてきているのです。そしてある真実が見えてきていると思うんですね。だからこの映画について語るとすれば、これは確かに光、しかも昼間の陽光についての映画ではありますけれども、それは一見不意を突くというか、実はその裏側にある闇についての映画でもあるということを、私は今言いたいと思います。そして光というもの、現実を映し出す光というものがたくさんの恋愛によって覆われているということを自分の混乱とともに伝えたいと思っているんです。

『光りの墓』
英題:CEMETERY OF SPLENDOUR

3月26日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー

製作・脚本・監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン
撮影監督:ディエゴ・ガルシア
美術:エーカラット・ホームラオー
音響デザイン:アックリットチャルーム・カンラヤーナミット
編集:リー・チャータメーティークン
ライン・プロデューサー:スチャーダー・スワンナソーン
第1助監督:ソムポット・チットケーソーンポン
プロデューサー:キース・グリフィス、サイモン・フィールド、シャルル・ド・モー、ミヒャエル・ヴェーバー、ハンス・ガイセンデルファー
出演:ジェンジラー・ポンパット・ワイドナー、バンロップ・ロームノーイ、ジャリンパッタラー・ルアンラム

© Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /Match Factory Productions / Astro Shaw (2015)

2015年/タイ、イギリス、フランス、ドイツ、マレーシア/122分/5.1surround/DCP
配給・宣伝:ムヴィオラ

『光りの墓』
オフィシャルサイト
http://www.moviola.jp/api2016/
haka
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