OUTSIDE IN TOKYO
Bruno Dumont Interview
ブリュノ・デュモン『ハデウェイヒ』インタヴュー

哲学教師、ジャーナリストを経て、『ジーザスの日々』(97)で監督デビューと同時にカンヌ映画祭で新人賞を獲得、続く『ユマニテ』(99)では、同映画祭グランプリを含む3部門を受賞、『フランドル』(06)では、再び審査員特別グランプリを受賞したフランスの鬼才ブリュノ・デュモン監督が、新作『ハデウェイヒ』(09)とともにフランス映画祭2010のために来日した。

監督の出身地方であるフランドルに実在した13世紀のキリスト教神秘主義的詩人ハデウェイヒの化身の如き少女、セリーヌ(ジュリー・ソコロフスキ)の盲目的な信仰心故のキリストへの一途な愛と、イスラム系青年との出会いを通じて、テロリズムの世界へと足を踏み入れて行く脆弱さ、宗教の現代性と普遍的な“愛”と“暴力”が同居してしまう人間存在のリアリティを、シンプルながら力強く、美しい映像で描いた重要作品『ハデウェイヒ』についてお話を伺った。

ブリュノ・デュモンの語りには、現代の重要な映画作品や映画作家の言葉を連想させる言葉が次から次へと湧き出てくる。“単純さの追求”という姿勢はオリヴェイラを、“教会の存在が限界に来ている”という考えはエルマンノ・オルミを、かつての映画には“聖なるものが存在していた”という認識はフォード、小津、溝口を経由したペドロ・コスタの霊性が宿るフィルムを、映像のスタイルはストローブ=ユイレの厳格さと単純さと深さを、瞬時に連想させ、“平凡さ”を通じて“普遍”へと昇華していく、あらゆる芸術に共通するプロセスの偉大さを、世知辛い現実の中で見失いがちになる私たちに今一度気付かせてくれる。

そして、何よりも、“聖なる映画”の賞味期限は、今始まったばかりなのだという言葉には、何も増して大いに勇気づけられる気持ちになった。
(上原輝樹)

1. シンプルにすることが奥深いものを読み取ってもらうための唯一の手段だった

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OUTSIDE IN TOKYO(以降OIT):今回の作品に対するフランスでの反応はいかがでしたか?監督の思っていたような反応でしたか?
ブリュノ・デュモン(以降B・D):フランスはやはり映画に行く観客が作家性の強い映画に慣れているというか、そういったものに理解のある観客が非常に多い。もちろん、それはフランスだけには留まらない。世界中で作家性の強い作品を支持する人は多いと思うし、それを理解することのできる人も増えていると思う。フランスでは、とてもいい評価をもらったと思っている。この作品が非常によく理解されていると私は感じています。

OIT:とてもシンプルですがとても強いと僕は映画を拝見して思ったのですが、宗教と人のあり方が大きなテーマになっています。監督の意図はどのようなものでしょうか?
B・D:確かにすごくシンプルな映画です、確かにその通りです。私はなるべくこの映画をシンプルに、どれだけシンプルにできるかというところに気をつけて作ってきました。というのも、シンプルにするからこそ奥深いものが見えてくる、奥深いものをより深く感じてもらうのが目的でした。シンプルにするということが奥深いものを読み取ってもらうための唯一の手段だったのです。私はハデウェイヒという人物にすごく強い印象を受けて、そこから物語を作ろうという考えが始まったのですが、この映画でどのように純粋な愛、そしてテロリズムという対極にあるものが一つの画面に共存できるのか、一人の女性の心の中に二つの相反する考えがどのように存在するのか、そういったものを表現したかったのです。

『ハデウェイヒ』
原題:Hadewijch

フランス映画祭2010上映作品

監督:ブリュノ・デュモン
製作:ジャン・ブレハ、ラシド・ブシャレブ、ムリエル・メルラン
撮影:イヴ・カペ
出演:ジュリー・ソコロウブスキ、カール・サラフィディス、ヤシーヌ・サリム、ダヴィド・ドゥワエル

2009年/フランス/35mm/カラー/ドルビーSRD/105分
日本配給未定作品



フランス映画祭2010

第14回カイエ・デュ・シネマ週間
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