『彼女たちの時間』(01)、『旅立ち』(09)で人と人の間の微妙なバランスを繊細に描いてきたカトリーヌ・コルシニだが、次世代のアラン・ドロンと形容されるラファエル・ペルソナを起用し、これまで描いてきた女性たちの心理に加え、男を主人公に据えた。いや、男が機軸になるのは間違いないのだが、彼に関わる女たちもまた、同等の三角形を描いている。その三角の中で力関係は常に移動していき、被害者、加害者の境界は事を追う毎に曖昧になっていく。そこで物語を動かすための装置としてフィルム・ノワールの求心力を採用しながら、ある男の転落が描かれる。主人公アル(アラン)は自動車ディーラーに勤めていた。そこの社長の娘との結婚を控え、仲間と祝い酒を飲んで全てが順風満帆と思われる中、不注意から、突然、階段を転げ落ちるような事件を起こしてしまう。酔って騒ぎながら車を運転する中、夜道で人を轢いてしまうのだ。暗闇の中、男は迷う。救急車を呼ぶべきか否か。病院へ運ぶか否か。でも間違いなく、結婚は破談となるだろう。苦渋を舐めながらようやく這い上がったのに全てを捨てるのか。そんな葛藤が頭の中を駆け巡る。そして被害者を放置したまま、彼は闇夜に紛れて車を出す。そこで彼はひとつの選択をしてしまった。
ところが、それを偶然、目撃していた女がいた。はっきりと見えたわけではない。なんとなくしか分からない。彼女は自分にそう言い聞かせる。被害者も自分と直接関わりのない人だ。だがその時の情景が頭から離れない彼女は、男が運び込まれた病院へ様子を見にいき、被害者の妻と出会い、加害者をはっきり見ていないと伝えてしまう……。だが事情は簡単ではない。ようやく上に上がるチャンスを掴んだ男も悪い人間ではない。被害者もモラヴィアの不法移民だ。彼の同郷の仲間もどこか危険な感じもする。嘘をついた彼女も、ブルジョワながら自分なりの問題を抱えていた。ちょっとしたことで、悪いと思った人が善い人で、善いと思っていた人にも悪の萌芽が覗く。善悪の判断は簡単ではない。当然、その三角形の中に観客も引きずり込まれ、自らのモラルで判断しようとする。価値観が揺さぶられることで人は初めて考え始める。フィクション、フィルム・ノワールという枠の中で、コルシニ監督は、人間の本質、私たちの価値基準のあやうさについていつしか考えさせるのだ。
1. 探偵小説のような流れ、そこにモラルの問題が絡んでくる |
1 | 2 | 3 |
OUTSIDE IN TOKYO(以降OIT):この映画が伝える微妙なニュアンス、力関係(の転換)など、バランスが素晴らしいと思いました。自身が脚本から書いているようですが、脚本の段階からどこまで詰めていたのでしょうか。その時点でどの程度までこの完成形に近い形になっていたのでしょうか。それとも、撮りながら変えていく猶予を残していたのでしょうか。 カトリーヌ・コルシニ(以降CC):まず、最初にプロットを考え、ストーリーを練って、そこから3人の登場人物(の世界)に踏み込んでいきました。というのも、3人の人物が代弁する3つの異なる世界について、もっと正確に各人が所属する世界を描き出し、その人の視点が他の人の世界の視点へ入り込むような構成にしたいと考えていたからです。カンヌ映画祭でこのシナリオがいくつかの賞を受賞しましたが、やはりそこが注目されたとも言えるのでしょう。つまり、最初は主人公アル(アラン)の視点で描かれながら、そこから(いつしか)目撃者の女性(ジュリエット)の視点へ変化していきます。そして今度は目撃者の女性の視点から被害者となったモルドヴァ男の妻の視点へ入り込み、変化していくという書き方をしています。まずアルが逃げようとします。その後に目撃者の女性の「私はあなたのことを目撃したわ」という視点が入ってきます。それに続いて被害者の妻のモルドヴァ人女性の「あなたは嘘をついている」という視点が入ってくるのです。 OIT:追いかけて行くわけですね。
CC:確かに追いかけて行くことになります。そしてまた逃げる。見ている者、それから嘘をついていると批難する者の視点の変化と共に、「お金で償うよ」と言い、「お金なんかいらない」という視点が出てくる。なのに、被害者の妻は「お金をもっと欲しい」と変わっていくのです。ですから探偵小説のような流れになっていながら、単にそれだけでなく、そこにモラルの問題が絡んでくるのです。
|
『黒いスーツを着た男』 英題:THREE WORLDS 8月31日(土)より、ヒューマントラストシネマ渋谷にて全国順次公開 監督:カトリーヌ・コルシニ 製作:ファビエンヌ・ヴォニエ 脚本:カトリーヌ・コルシニ、ブノワ・グラファン 共同脚本:リーズ・マシュブフ、アントワーヌ・ジャクー 撮影:クレア・マトン 美術:マチュー・ムニュ 衣装:アン・ショット 編集:ミュリエル・ブレトン 音楽:グレゴワール・エッツェル 出演:ラファエル・ペルソナーズ、クロティルド・エスム、アルタ・ドブロシ、レダ・カテブ、アルバン・オマル、アデル・エネル、ジャン=ピエール・マロ、ローラン・カペリュート、ラシャ・ブコヴィッチ 2012年/フランス・モルドヴァ/101分/スコープ 配給:セテラ・インターナショナル © 2012-PyramideProductions-Franc3-Cinema 『黒いスーツを着た男』 オフィシャルサイト http://www.cetera.co.jp/kurosuits/ 『旅立ち』インタヴュー |
1 | 2 | 3 |