OUTSIDE IN TOKYO
Cécile De France

セシル・ド・フランス『シスタースマイル ドミニクの歌』インタヴュー

2. 演技をする時は自分をしっかりコントロールしていくことを意識している

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OIT:今回の場合、演技の上でどんな引き算足し算があったのでしょう?
C:作品を選ぶ時に大事なのは、まずシナリオと監督とそれから登場人物、これが自分にとって好みのタイプかどうか。その時点で計算はないの。そして自分自身に近い個性の役柄を演じるかどうかということで言えば、私は色々と新しく作り上げていくことも好きなの。そこには自分の想像力を付け足していくという、そういう余地があるから。それから色々と豊かな世界を旅していきたい、精神的な旅をしていきたいと思っているので、その監督が監督独自の世界に基づいたものを提案してくれれば、私にとってはそれが自分をさらに豊かにするきっかけになるので、そういう提案も大歓迎よ(笑)。

OIT:役を演じるというか、役になりきる上で、さっき言った引き算足し算のことですが、それは自分のベースに付け加えてから引くのですか?あなたは演技をすること自体、どういうふうに捉えていますか?
C:とてもいい質問だと思う。監督の仕事の進め方次第ということも言えるけど、12歳の時にある経験をしたの。野外劇場で端役500人が出演する芝居で主役を演じて。その役名は、人の名前じゃないのに、みんなが私のことをルーと呼んでいたの。まあ、ルーと呼ばれている女の子の役を演じていたからだけど、私はその役にすっかり没頭してしまって、芝居が終わった時、自分がどこに行ってしまったのか、本物の自分がなくなってしまったという感じになってしまって、その時、とてもショックを受けたの。ロングヘアだったんだけど、もうこんな思いはしたくない。もう、舞台上の人物と自分を切り離すためにロングヘアを切って頭を剃ってしまったくらい自分自身がなくなってしまった。もう二度とそんな思いはしたくないと思って、それ以来、演技をする時には自分をしっかりコントロールしていくことを意識してきたわ。それはまるで、ダッシュボードに色々なボタンが並んでいて、それを押しながら、こうやれ、ああやれと自分の中で意識しながらやっていくようなもの。そういう演技の仕方をするようになった。ただ、いつもそんなやり方でいけるとは限りないわね。監督によっては違う演技法を求めてくる場合もある。それはその時その時に合わせていく。スタニスラフスキー・システムというものがあるけど、あれはもう、いわゆるスタジオ俳優(メソッド・アクティングと呼ばれるハリウッドで主流の演技法)のためのメソッドであって、本当に役になりきって、自分を失くすところまで役柄に没入するというシステムよね。ただ、私の場合は、あまりそれをやらずにきたわ。ただ、監督によっては役に没入することを求めてくる場合もあるので、求められれば、もちろん求めに応じて演技をする気持ちはあるわよ。ただ個人的にはもっと自由でいたいという思いの方が強いので、通常はコントロールして演技をするようにしている。というのは、自由に自分を保って演技するということで、自分の中のバランスが保てるんだと思うから。

ただ、今の質問はとてもおもしろいと思う。引き算か足し算かという問いかけが、非常にいい問いかけだと思うの。私としてはどっちかを選べと言われたら引き算を選ぶと思う。一旦、自分の中の要素を取り払ってニュートラルな状態にして、つまり白紙にしたところから最大限に新しい人物像を作り上げていくというのが私の好みだから。プラスしていくばかりの足し算のやり方だと、なんだか、もうあまりにもごたごたして、私自身がちょっとめんくらってしまうと思うの。

OIT:今回とても歌がお上手で素晴らしかったと思うんですけど、それも含めて、もし自分にその能力がない場合、自分にない要素の場合はどうするんですか?どう自分を作っていくんですか?
C:まあ、今回にしても、私は歌手でもなければ、ソルフェージュも習ったことがないし、音符も読めない人間だったわけだけど、とにかく、やらなくちゃならないということになって、それなりに勉強したの。つまり、何か新しいものを採り入れていく上で、限界というものはないと思っている。一番肝心なのは、その役柄がおもしろいかどうか、自分にとって興味が持てるかどうかなの。そしてプロの指導を受けて、新しいものを学んでいくというのは、本当におもしろいプロセスだと思う。

OIT:最後にひとつ、この映画の後に出演した、クリント・イーストウッドとの映画(原題『Hereafter』。ブルー・カラーのアメリカ人、フランス人ジャーナリスト、ロンドン出身の学生が各々、死神に追われる、マット・デイモン主演の超自然的スリラー)がどういう状態になっているか教えていただけますか?
C:たくさん言いたいことはあるんだけど、まず、私がイーストウッド監督に選ばれるなんて思ってもいなかったことで、実際に仕事してみたら、たくさんいい思いをすることになり、幸せだった。とにかく監督自身がもう素晴らしい人で、会った途端に大好きになるような、そんな人間性を持っている人だった。父親としての父性を内に秘めている人で、私たち俳優やスタッフに全幅の信頼を置いてくれた。信頼されているということは、個人個人、一人一人に責任がかかってくることでもあるので、自分の持てる最良のものを映画の中につぎ込んでいこうと、みんなも頑張るわけ。私はかなりアガり症のタイプなんだけど、そうして信頼されていること、それに彼の父親のように温かい態度のおかげで、アガっていても上手く演じることができたようで、いい雰囲気の中で、テイクはほとんど一回で決まったという感じだった。リハーサルでもカメラを回していたけど、それがそのままテイクに使えるくらい、和気あいあいとした現場だった。そんな作品に出演できたことを、とても幸せに思っているわ!

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