OUTSIDE IN TOKYO
Denis Villeneuve INTERVIEW

ドゥニ・ヴィルヌーヴ『灼熱の魂』インタヴュー

2. 時間と場所が錯綜する複雑な構成の物語を、感情の流れで繋ぎとめた

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Q:二つ質問があります。この眼差しを向けた子役をどのようにして選んだのかという事とオープニングでレディオヘッドの「You And Whose Army」が流れます、この意図について教えて下さい。
DV:オーディションは、中東のヨルダンで行ないました。今回のキャスティングは、私の今までの映画人生の中でも一番インパクトがあるキャスティングでした。何故かと言えばキャスティングディレクターの女性が、イラクの難民の人達に映画に出てもらったらどうかと提案をしてきたわけです。彼女は、キャスリン・ビグローの『ハート・ロッカー』で、難民をキャスティングしたディレクターでしたので、その為の経験値がありました。彼女は、私の意見も聞きながら、是非彼らを使ってもらいたいと言ってきたんです。彼らは、非常に忠実に演技をしてくれるし、とても気持ちが優しい、同時にお金も必要だから、というのが彼女の主張でした。彼らはイラクからの難民なのですが、数週間前に来た人もいれば、数日前にこのヨルダンの難民キャンプに辿り着いた人もいたわけです。私は、キャスティングとして彼らを使うのはいいけれど、最初は危惧があったわけです。

戦争や内紛で国を追われた人達に映画に出てもらうというのはどんなことになるんだろうか?と。とりわけ、そういう苦しい思いをした人達に、本作のような暴力的なシーンが登場する映画に出てもらうのは、かなり精神的に厳しいものなのではないかと思ったのです。でも実際に彼らに触れて驚かされたのは、とても気持ちが優しい寛大な人達であり、彼ら自身が出たいという思いが強いわけです。自分達が体験したことを少しでも多くの人に知ってもらいたい、だから自分達も出たいというのがその理由でした。キャスティング的には、すごく多岐にわたる世代の人々、子供から老人に至るまでが必要でしたので、アマンの学校の教室を借りてキャスティングを行いました。通訳とそれから製作者と私の三人で、どんな人が入ってくるんだろうと待っていました。そうすると、何か地面がガタガタ揺れるような感じがしたんです。すごく大きな音がして、見ると人がぎゅうぎゅう詰めになったバスが着いたんです。毎日、毎日それが老人でいっぱいになったバスだったり、子供でいっぱいになったバスだったりして、何百人もの人に会いました。一度も映画に出たことのない人達で、でも参加したいという思いでいっぱいで、すごく良い経験をさせてもらいました。何十人と会った子どもの中で、一番キャメラの前で自然な態度でいることができる、演技が出来るんじゃないかなと思える子を選びました。

レディオヘッドの楽曲についてですが、当初からこれを使おうと思っていました。これはワジディさんに戯曲を映画化させてもらいたいという交渉に行く前に書いたシーンなんです。私がこの戯曲を観て、様々な形で解釈して色んなことが出来るんだということを証明するために、色々なシーンを断片的に書いたんです。それを彼に見せて許可を得ようと思いました。一番最初に書き始めたシーンがこのシーンだったと思います。私の中では、書いたと同時にほぼ曲が決まっていました。私は、使う音楽に関してすごく正確なイメージを持っていまして、ちょっとオペラ風の部分をもっているもの、つまり曲がスーッと上がる部分を持っている曲じゃなければいけない、感情の盛り上がりと一緒に流れを作ってもらえる曲という方向性で探していました。そして、今思うと不思議な一致なんですが、最初のスタートのところがちょっと子守唄のように聞こえる。そしてすごく私にとっては重要なメランコリックな感じが出ている、そして”聖なるもの”に対するイメージにも合致している。歌詞もシーンと合っていると思いました。私が、唯一思いついたのがこの曲だったので、他の候補はなかったんです。B候補というのはなかったので、レディオヘッドが許可してくれなければすごく困ったことになっていたと思います。



私にとっては、西洋の音楽をつけたもので、この映画をスタートするということが重要でした。中東の音楽をそこにはのせたくありませんでした。つまり中東のシーンの上に、それと対極にあるかのような西洋の音楽を持って来ることで、第三者の視点を導入したかったのです。つまりエイリアン・ランドスケープというような雰囲気のものを出したかったんです。戯曲の方は、公証人の事務所から劇は始まるのですが、私はもう少し映画に引き込むようなシーンからスタートしたかった。つまりどういう温度でこの映画が始まるのか、それが公証人のオフィスからのスタートであるとしたら、的確な温度感というものが最初から出てこないと思ったのです。同時に私はカナダ人であって中東とは何の関係もない立場の人間ですから、私自身はあくまでもその中にいない他者の目で見ているということになります。つまり、ここで西洋の音楽を使ったのは、私という異端人が中東のシーンを見ているというイメージを出したかったのです。

Q:先ほどヨルダンのキャスティングの話がありましたけれども、続けて現地での撮影の様子をお伺いしたいのと、姉弟がナワルの足跡を探しに行く”現代”とナワルが生きていた”過去”と交互に物語が展開されますが、その画作りで拘った点というのがありましたら教えて下さい。
DV:ヨルダンでの撮影なんですが、非常に上手くいったと思います。ヨルダンの国はとても良く理解してくれました。風景や人々の演技を撮影する際に、ヨルダン政府がとても良く協力してくれました。非常に感謝しています。あまりにスムーズにいったものですから、この映画のプロデューサー達はヨルダンでまた別の映画を製作してます(笑)。その監督は私の友人でもあるのですが、あまりにも撮影が順調に進んでいるようで、彼にちょっとジェラシーを感じるほどです。私の場合は、この地域でキャメラを回せたことはとっても喜ばしいことでしたが、撮影の時間が非常に限られていたのでフラストレーションを感じることは多々ありました。こんなに時間がない中で撮影をしたら映画が台無しになってしまうんじゃないかという恐怖感にかられたものです。

もう一つのご質問、姉弟が兄や父を探しにいく”現在”と、ナワルが生きた”過去”のシーンの交錯についてですが、私は個人的にはフラッシュバックが好きではないんです。私がこの演劇を観て大変素晴らしいと思ったのは、演劇ではこのフラッシュバックという技法を使うことは出来ないわけで、俳優同士の対話の中で過去が語られていくという形だったわけです。ですから私は根本的にシナリオを書く時に同じような形にしようと思いました。つまり役者同士の会話というものを、別々の現在という形で、つまり時制は異なるけれども、”今”という感じで見せていくというのが良いのではないかと思ったんです。

なぜ二つを”今”という感じで進行させたかといえば、例えば、娘の話がずっと展開していて母の話になる、そうすると娘のシークエンスの気持ちのまま母のシーンに入っていけるわけです。そして母のシーンを観ている時に、また娘や息子に戻るということは感情的に同じ流れの中でそこへ戻ってくる。時制の違いはあるけれど、今の感情がそのまま行き来するという形をとったわけです。更には地理的な違いというのが出て来たりしますが、同じ感情の流れの中で、今まで観ていたシーンの延長線上で入っていくことで、時と場所の違いを埋めているわけです。編集の時点で、少し変えたところはありますけれど、ほとんどのシークエンスにおいて原作の戯曲を忠実に表現したと思っています。戯曲の場合はそれが会話で行われるわけですが。


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