OUTSIDE IN TOKYO
Denis Villeneuve INTERVIEW

ドゥニ・ヴィルヌーヴ『灼熱の魂』インタヴュー

3. ”公証人”は、死者と生者、物質と非物質的なもの、それから人と物の間を橋渡しをする

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Q:元の戯曲がそうなんだと思うんですが、公証人の存在というのがすごく面白いと思ったんですけれども、映画で例えると全てを知っているわけではないけれども、プロデューサーのようでもあり、または観客のようでもあると思ったんですが、公証人についての監督のお考えをお聞かせ下さい。
DV:演劇の中で、つまり戯曲の中では公証人は全ては知らないんです。つまりですね、良きサマリヤ人のように非常に寛大な気持ちで、子供達に対する優しい気持ちで一生懸命動いているというのが戯曲の中の公証人の役割でした。ワジディ・ムアワッドの戯曲が素晴らしいのは、こういう気持ちの広がりというか、寛大な気持ちというのが表現されているところです。ところがですね、それをそのまま持っていこうとしても映画では上手くいかないんです。中東にシモンと一緒に公証人も行くというようなことをしなければ見えてこない優しさになるわけです。公証人というのは昔からなかなか面白い立場だなと思っていました。それを今回のこの映画の中でも表現したつもりなんですが、公証人というのはそもそも何の仲立ちをするかというと、死者と残された生きている人達、それから物質と非物質的なもの、それから人と物の間の橋渡しをするんです。つまりは公証人の口を借りて死者の気持ちというものが明かされたり、死者が亡霊のように現在に現れ、公証人の口を借りて、役割を演じるということになるわけです。そして、この件に関してさまざまな記載をし、それが現実であるということを証明するのは公証人しかいないわけです。中東にこの公証人を連れて行くということは、なかなか面白いアイデアだなと思ったのです。日本には公証人というのはいるんですか?

Q:宗教的な役割はないですけれども。
DV:宗教的な要素はないです。弁護士のようなものですね。

Q:じゃあ、一緒です。遺言管理したり。
DV:そうですね、あと抵当権をつけたり、結婚の時の書類を整理したり。このワジディ・ムアワッドの劇において、公証人はとても大きな意味合いを持つわけです。つまり公証人は直にこの話の内容に関わる人ではない。家族ではない、公証人はあくまでも第三者になるわけです。二つのものが対立している時に、両者を上手く取り持つためには全く中立の第三者というのが必要なわけです。それからもう一つ付け加えますと、私の祖父が公証人だったんです。それと祖父の兄弟は、男兄弟がみんな公証人で、父と全ての叔父達も全員公証人です。ですから私は、公証人一族の中で生まれた子なのです(笑)。私が子供の時は皆この子も公証人になるんだと信じていましたが、私の兄が公証人になりました(笑)。ですからこの職業に対して私は素晴らしく大きな絆を持っているということになります。この戯曲の中に出て来た公証人が口を開いて話し、行動をする、そのさまは、まるで父の姿を見てるような、判で押したかのように同じ雰囲気がありました。

Q:原作者のワジディ・ムアワッドさんの感想はどのようなものでしたか?
DV:ワジディさんは5回くらい映画を観て下さいました。最初に観た時、彼はショックを受けたと言っていました。というのは、事前に私の書いたシナリオは読んでらしたんです。でも彼にとっては、シナリオを読んでいたというのと、実際に映画を観てナワルを演じた女優さん(ルブナ・アザバル)の顔を見たり、ジャンヌを演じた女優さん(メリッサ・デゾルモー=プーラン)の顔を見たり、同時に様々な風景を見たりしたことが、一度にあらゆるものがビジュアル化されたということがショックだったようです。こういう質問は多くのジャーナリストから出るんですが、ちょっとですね、彼の変わりに発言するのは申し訳ないような気になるんです。彼の変わりにこんな気持ちだったとかっていう表現をしたくないんですね。彼以外にはその表現は出来ないと思うので。ただし、一つ誤解のないように付け加えておきたいのは、彼は私に対して、とても親切にしてくれました。

彼は、彼と全く関係のない一つの映画としてこの映画を受け入れる為に、五回も観る必要があったのです。そして最後に五回目に観た時は、舞台の上で彼が演出をしている全ての役者を連れてこの映画を観に来てくれました。その時に初めて客観的に一本の映画として観れたのでしょう。きっと彼は、私が彼から様々なアイデアをもらって、この映画を作り、ワジディさんの映画ではなくて、あくまでも作った監督の映画だということがよくわかったことでとても満足して下さったのではないかなと思います。ある日、彼は私に手紙をくれまして、誰にも知られないように一人で隠れて自分でチケットを買ってあなたの映画を観ましたと書いてありました。観客と一緒に劇場の中で座った時にはすごく嬉しかったと、だけど映画が終わって外に出たらもっと嬉しかったと書いてありました。特にワジディさんはこの映画の中の女性達にとても感銘を受けたそうです。キャスティングが非常にいいねと言ってくれました。そして、レバノンというのを特定できないような形で、明らかにレバノンであり、それが無名のレバノンとして描かれていたのが良かったと。

ですが、どうもその彼の語り方から受けた印象では、もっともっと映画が長かったら良かったのにと思っているようでした。なぜかと言うと私は特に女優さんを全面に出した扱いにしていますが、彼としては残りの二人の男性にももっとフォーカスをしてほしかったという思いだったのかもしれません。そもそも、この戯曲は約四時間の作品だからです。とはいえ、彼からはたくさんの花を頂きました。これはきっとおめでとうという意味だと思いますが、もしかしたら、もう少し時間がたったらゆっくり彼とコーヒーを飲んだり、あるいはウォッカを飲んだりしたいわけですが、もう次の話になる前に花をあげたことによって関係を精算するつもりなのかもしれないと、恐れているのです(笑)。それと、彼がいかに注意深く映画を観たかというのが分るのは、彼が、戯曲よりも宗教対立が如実に映画の中には現れていたねと、そしてそこにはちょっと危惧があるということ指摘したからです。戯曲の中では、宗教闘争という具体的なテーマではなく、もっと複雑な闘争になっていたからです。


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