OUTSIDE IN TOKYO
ERMANNO OLMI INTERVIEW

エルマンノ・オルミ:オン『ポー川のひかり』

「キリストさん」ポー川のほとりの廃屋に暮らし始めた不思議な男を、いつしか村人たちはそう呼び始めた。長い髪に髭を蓄えた柔和な面立ちは、確かにキリストを想わせるところがあった。草を刈り、屋根のほころびを修復する彼に、村人たちも次第に手を貸し始める。最初は好奇心から、徐々に良き相談相手として…。
『木靴の樹』(1978)でカンヌ映画祭のパルムドール、『聖なる酔っぱらいの伝説』(1988)でヴェネツィアの金獅子賞を受賞し、『明日へのチケット』(2006)をケン・ローチ、アッバス・キアロスタミらと共に共同監督したエルマンノ・オルミは、イタリアの良心を代弁するように、ドキュメンタリーを含む真摯な映画群を送り出してきた。そんな監督が「最後の劇映画になるだろう」と宣言したのがこの『ポー川のひかり』。高齢とは言え、ここまでの映画が撮れるなら、と惜しまれるのだが、今後はドキュメンタリーのみ撮り続けるという。
夏休み開けの朝、司祭が唯一の友と呼び、毎日愛でていたキリスト教の蔵書に釘が打ちこまれているのを発見されるミステリーのような導入から一転、限られた人にしか読まれない宗教本に疑問を抱いた若き哲学教授が犯人だったとすぐに判明する。そして観客が目にするのは、男がわずかな現金とクレジットカード1枚を残し、身分証もジャケットも車も捨て、清々しい表情でポー側の廃屋に辿り着くのが見える。村人にも気さくに話しかけ、相談にも乗る。偏屈な世捨て人の印象はすぐに拭い去られる。車と遺留品も発見され、彼は公に存在しないことになる。ところが、人が緩やかに涼む河畔が港建設の候補地に、村人は不法占拠の罰金の対象となってしまう。そして相談を受けた男の取った行動が新たな波紋を引き起こす…。
シンプルな物語に、流れる川、そよぐ風、人々の表情を捉えたシンプルな映像。教条的なキリスト教の世界観から離れ、より平易でスピリチュアルな価値観への希求をこめた、ある意味、現時点での“遺言”ともとれるのか。そんな場所から見つめる監督に、シンプルな質問を投げてみた。




OUTSIDE IN TOKYO:
この作品を最後の劇映画にするというのはどうして決められるものですか?まだ世界に語りかけたいことはないかという疑念や思い直すことはありませんでしたか?
エルマンノ・オルミ:
自分の決意について迷いはありませんでした。“コミュニケーション”の歓びを手放すわけではなく、ただ単に伝えるためのかたちを変えようと決めただけですから。私のように高齢になると他者と共に生きる理由や感情が異なるのです。たとえば、私たちが生まれた場所の方言のように原点の言葉をとり戻すために“公式の”言葉で話すのをやめる、といったように。

若い世代の作る映画に足りない特質や価値観はありますか?それはどのようなものでしょう?
今日の映画に価値観や質の高さが欠けているわけではありません。真のものであれ、偽りのものであれ、真摯なものも、偽善的なものも、価値観はいつでも同じなのです。現世代の若者たちとの違いは、こうした感情の体験の仕方だけです。そしてもはや、すでに過去となった現在に属する私のような人間が、幸福や人間の苦悩の表れを通して今この時を生きるという永遠の喘ぎを、それが若者たちによって私たちのそれとは異なるアプローチで示されているために、見るすべを知らないということはあり得るのです。私たちは、自分たちが受けた教育のおかげで、明らかにもっと曖昧でしたから。今日の若者たちは、より痛ましく露出しているのです。

初めて映画に関して感じた衝動はどんなものでしたか?映像を使って物語を語りたいという最初の衝動を覚えていますか?映画の魔法とはどのようなものでしょう?
初めて芝居の幕が上がるのを見た時、私はまだほんの子供でした。それは私を永遠に虜にする魔術のように思えました。舞台の上ではおとぎ話の登場人物が動いていて、そのまわりはすっかり夢のような現実でした。その日から私は幻想に、もっとも普通の現実の中にも必ず存在する、素晴らしくて、崇高なものすべてを表すためのスペースを与えながら生きようとしてきたのです。

映画で最も大切なものは何ですか?
まさに、美しい夢であること、です。

それのどんな要素が一番大事ですか?
物語る内容の誠実さです。

時代を越えて生き残っていくのに効果的な手段となるには何が必要でしょう?
あらゆる人間の生の衝動には意味があります。生き残ることはいつでも死ぬことに優るのです。

時間が経つと、人は忘れてしまったり、無視するようになったりするために、メッセージというものは何度となく同じように語り直さなければいけないもので、10年周期で思い出させなければいけないものですが、行きつ戻りつを続けるそうした集合的なもの忘れをどう見ますか?
忘れることは、新たな発見の自由を奪われないために必要なのです。とはいえ私たちが背後に残してゆく歴史は、私たちが参考にするべき模範を見せてくれる唯一のものなのです。

歴史は我々をより賢くしますか?文化をより豊かにしますか?我々をより良い人間にしてくれますか?
文化が助けになることは確かですが、私たちをより優れた人間にしてくれるものが良心の奥底でわが身に問うことを可能にする勇気であることは間違いありません。

最も美しいものは何ですか?最も醜いものは何ですか?
もっとも美しいものは許しです。もっとも醜いものは無関心です。

いま自分の先に見えているものは何でしょう?
夢を見続けるために今も私に残されているスペースとしての未来です。

『ポー川のひかり』
Cento Chiodi

8/1(土)岩波ホールにてロードショー

監督・脚本:エルマンノ・オルミ
撮影監督:ファビオ・オルミ
編集:パオロ・コッティニョーラ
録音:フランチェスコ・リオタルド
衣装:マウリツィオ・ミッレノッティ
美術:ジュゼッペ・ピッロッタ
音楽:ファビオ・ヴァッキ
助監督:ガイア・ゴッリーニ
製作主任:エツィオ・オリータ
製作総指揮:エリザベッタ・オルミ
共同製作:チネマ11ウンディチ、ライシネマ
製作:ルイジ・ムジーニ、ロベルト・チクット
出演: ラズ・デガン、ルーナ・ベンダンディ、アミナ・シエド、ミケーレ・ザッタラ、ダミアーノ・スカイーニ、フランコ・アンドレアーニ

2006年/94分/カラー/イタリア/ドルビーデジタル/ヴィスタ

配給:クレストインターナショナル
©COPYRIGHT 2006 cinema11undici-Rai Cinema

『ポー川のひかり』
オフィシャルサイト
http://po-gawa.net/

『ポー川のひかり』レビュー