OUTSIDE IN TOKYO
KALTRINA KRASNIQI INTERVIEW

エヴァ・ヴィティヤ『パトリシア・ハイスミスに恋して』インタヴュー

2. タベア・ブルーメイシャンに向かって、孔雀があんな風に羽を広げてくれて、
 素晴らしい瞬間に立ち会うことが出来ました

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OIT:その準備作業を行ったのはいつのことですか?
エヴァ・ヴィティヤ:アーカイブに籠ったのは、2016年から2017年の数ヶ月のことだったと思います。私はとにかく制作を始めなければならなかったので、一ヶ月くらいして、私がアーカイブから出た後は、私のアシスタントが残って、もう少し読み込んでくれました。ただ、確かに後ろ髪を引かれる思いでアーカイブを後にして制作を始めたとはいうものの、インタヴューしたうちのお二人の方は、そのインタヴュー後に亡くなってしまいましたから、もし、あの時、制作を始めていなかったら、このお二人もインタヴューすることが出来なかったかもしれないというタイミングであったことも事実です。

OIT:そのようなリサーチをして、誰に取材をしようということを決めたのが2017年位ということですね。
エヴァ・ヴィティヤ:そうです。それから、実際にインタヴューをしたのは主に2019年のことです。ハイスミスに関して、これまで公開されていない個人的なことを聞いたりしなければなりませんので、やはりインタヴューをする相手と個人的な信頼関係を築き上げる必要がありました。ですので、2018年位からインタヴュー相手を何度も訪問して信頼関係を築きあげるという作業をしたうえで、2019年辺りにインタヴューをしたという経緯がありました。

OIT:この映画を見て驚いたのは、タベア・ブルーメイシャンが出演していることでした。丁度、日本では今年、ウルリケ・オッティンガー監督の日本初の特集上映が開催されて、タベア・ブルーメイシャンさんがそれらの作品に出演していますので、日本の観客は今回の特集上映で初めて彼女を発見したという人も多いのです。私もそうした観客のうちの一人なのですが、この映画にタベアさんが出演するに至った経緯を教えて頂けますでしょうか?
エヴァ・ヴィティヤ:そうですね、彼女はウルリケ・オッティンガー監督の作品にも出演していますが、レジェンドと言っても良いような人物で、アートやファッション、映画という分野で、70年代、80年代にフェミニストでありアーティストであるという特別な存在でした。ですので、まさに仰る通り、彼女にインタヴューを出来たのは、本当に最後のチャンスであり、とても幸運なことでした。

OIT:映画の中で、タベアさんを見た孔雀が羽を広げるのですが、ああいうことは、それほど普通に起きることではありませんよね。
エヴァ・ヴィティヤ:本当にそうですね。あの場面は特にそのように演出したというわけではなくて本当の偶然でした。あの日は撮影時間がとても限られていて、彼女は本当に短い時間だけ時間を作ることが出来て、あの場所に来てくれたのです。そうしたら、孔雀があんな風に羽を広げてくれて、素晴らしい瞬間に立ち会うことが出来ました。

OIT:映画の音楽が主にギターで作られていて、面白いものに仕上がっていますね。これはノエル・アクショテさんという方が作られたということですが、パトリシア・ハイスミスがアメリカの南部出身ということですから、それを意識した音になっているかと思います。音楽を作る時にノエルさんとはどのようなやりとりがあったのか、教えて頂けますか?
エヴァ・ヴィティヤ:そうなんです、今、まさに仰られた通りなのですが、アクショテさんは、私が行った取材の行程を全て把握してくれていて、取材の結果出てきた情報を彼女は全て読んでくれていました。ですので、彼女は、ハイスミスがどういう地方の出身で、そこではどのような音楽が聴かれていたのかを調べ上げて、20年代、30年代、40年代のテキサスのカントリー・ブルースといったジャンルに属するような曲を書いてくれました。それをギタリストであるビル・フリーゼルとメアリー・ハルヴォーソンが、別々に2回のレコーディングをして、曲を作ってくれたのです。

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