OUTSIDE IN TOKYO
Felix Dufour-Laperriere Interview

フェリックス・デュフール=ラペリエール『新しい街 ヴィル・ヌーヴ』インタヴュー

2. 第四の壁を壊すような、”劇場的体験”を作り出したかった

1  |  2  |  3  |  4



OIT:今、パラドキシカルなダイアログっておっしゃっいましたが、そのことは、この映画の中で色々な点で共鳴していますね。ケベック独立の是非を問う住民投票は、現実では1%差で否定されたわけですが、この映画の中では1%差で勝利する、わずかな差で希望と絶望が行ったり来たりするという事態が作品全体で共鳴しています。あるいは、タルコフスキーの『アンドレイ・ルブリョフ』(1966)の鐘の話が出てきたり、そうした様々なモチーフが有機的に共鳴しています。そうしたことは脚本の段階で構想されたのでしょうか?
フェリックス・デュフール=ラペリエール:脚本を書いている段階からイメージはありました。ビジュアルテストもしていました。元来アニメーションの制作は正確さを期して、とても構築的に制作されていくものなんです。脚本を基にしっかりドローイングしていって、さらにそれを基にアニメーターのチームも入ってきてアニメーションを作っていくっていう形ですが、私はそういうやり方が嫌だったんですね。と言うのも、今回の作品では、非常に有機的な、オーガニックな雰囲気が欲しかったのです。リアリスティックではなくて、オーガニックな方がこの映画にはいい、正しいはずだと感じていたので、何ヶ月もかけて一つのショットにつき1~10枚くらいのドローイングを自分で書いていきました。

全てドローイングを書いた後にアニメーションのチームに入ってもらって作っていきましたが、いわゆる”マザーシート”のような、スタッフのみんなが参照出来るようなきっちりとした元絵は無くて、”マザーシート”を作ることなくアニメーションにしていきました。ですから、とても抽象的で連想的なシーンは、作っていてとても楽しかったんです。というのも、私が書いたドローイングのイメージは、受け取る人によって意味が変わっていきます。例えば、マルコム・サザーランドというクリエーターがエマのスピーチのシーンをアニメーションにしてくれたのですが、彼自身は素晴らしいアニメーターなんですけど、私が描いた画ですから、そのドローイングに自分なりに込めた意味があったわけですが、彼にはその意味がわからなかった。私としては、彼にこういう演出でってお願いだけして、後は彼に任せました。それでマルコムは分からないなりにも動かしていくしかなかった。そうしたら新しいものが出来たんです。特に抽象的なシーンは、そういう風にして、楽しみにながら作っていきました。

それから、第四の壁を壊すような、劇場的体験というものを作り出したかったんです。例えば、白い紙に線だけがあるという画があるとします、そうするとその画は映画のリアリティからはみ出てしまうと観客は感じるかもしれませんけれど、そこにアニメーションのマジックが生まれると思うんです。つまり、ただの平面的なものが活き活きとしてくる、そういう経験が出来るはずだと思っていましたので、敢えてそういうただの線を見せるいうこともしました。



←前ページ    1  |  2  |  3  |  4    次ページ→