OUTSIDE IN TOKYO
Guillaume Brac INTERVIEW

ギヨーム・ブラック『やさしい人』インタヴュー

3. 私は常に、孤独で一人でいる人について物語を書きたいと思ってしまいます

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OIT:その緊張感というのは『遭難者』でも『女っ気なし』でも作品の中にありますよね、何かが起こるかもしれないっていう。
ギヨーム・ブラック:そうですね、おっしゃるように前作にも緊張感というのはあったと思います。特に『遭難者』に関して、『遭難者』の方が『やさしい人』に似ていると思いますね。『遭難者』の中で何かここから事件が起こるのではないかと感じるシーン、例えばヴァンサン・マケーニュが自転車乗りの携帯を盗むシーンがあります。さらに、自転車乗りの彼がヴァンサン・マケーニュに夜の道を歩きながら近づいていくシーン。今回、編集者と一緒に、こうした編集をしたのですが、私の映画はどの映画もそのシーンを所々切り取って入れ替えても、それでも通用する、例えば今回の『やさしい人』の中ではピストルを持っているのはマクシムですけれども、『遭難者』の主人公が持っていてもおかしくない、誰がそのピストルを持って立っていてもおかしくない、そういう何かしら観ている観客の人が感情面で不確かになる、そういう感覚を覚える映画になっていると思います。そしてそれは私自身とても気に入っている部分でもあります。『女っ気なし』でもヴァンサン・マケーニュはディスコの前で喧嘩をするシーンがありますけれども、あのシーンも確かにもっと大変なことになっていてもおかしくはありません。そういう意味ではどの映画にもおっしゃるように緊張感というのがあると思います。そして今思い出したんですけれど、『女っ気なし』でもう一つ何が起こるか分からない緊張するシーンがあります。それはヴァンサン・マケーニュがパトリシア(ロール・カラミー)を連れて廃屋、見捨てられた建物に連れて行くシーンがありますけれど、何故かあの時ヴァンサン・マケーニュは鉄のパイプを持っていますよね。あの鉄のパイプ、もしかしたら彼女を強姦するのかもしれないし、殺すのかもしれない、そういうちょっとした緊張感というのがあります。

OIT:ドキドキしました(笑)。自分がベースになっているっていう話なんですけれども、なぜ、優しいけれど弱い、もしくは外れた人に目がいくんでしょうね?
ギヨーム・ブラック:なぜか説明するのはとても難しいんですけれども、映画を撮るのは自分自身にそういう弱さや傷、優しい部分があるから映画を撮っているのかもしれません。ただ映画を撮るためには、ある程度の強さも必要なのかもしれません。そして私自身、強い完璧な人には興味がないんですね。完成している男女のカップルというのにもあまり興味がありません。私自身、実生活では、今はカップルで生活をしているんですけれども、常に、孤独で一人でいる人について何か物語を書きたいと思ってしまいます。一旦成功するんだけれども最終的に失敗してしまう、何かが上手くいかなくなってしまう、そういう人に興味があります。安定した物や人にはあまり興味がありません。恐らく強い人にもこういった弱さや傷や欠陥というのはあるのかもしれません。もしかしたら、今後そういった人達について映画を作ることもあるかもしれません。私の次回作について言うと、今度は二人の思春期の若者が主人公になります。ですからそういった意味ではもっと不安定で、もっと弱く、もっと不器用な人が主人公になっています。確かに、弱い人や優しい人ばかりを描いていますけれども、その反対に強い人を描いた映画って、今こうやって引用できますか?今、考えてみたんですけれども、大半の映画がそういう弱い人や傷がある人、欠陥のある人が主人公になっているような気がするんですけど、何かあったら教えてください。


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