OUTSIDE IN TOKYO
HATA SAHOKO INTERVIEW

第13回東京フィルメックス:秦早穂子さんインタヴュー

2. 観る方も進化していかなければいけない。無精だったら、映画は心に響かないでしょう

1  |  2  |  3  |  4



OIT:では、日本映画以外の他の国の映画を考えると、そこにはいい映画もあれば悪い映画もある、状況的には変わってないという感覚はありますか?
秦早穂子:何が悪い映画だか、いい映画だか私には分からない、何を基準にして、言われるのか。観る方も進化していかなければいけない。無精だったら、映画は心に響かないでしょう。今、上映された『エピローグ』だって、この映画が日本の大衆の中でどれだけ響くかといったら、なかなか難しいでしょう。現実はそうなのよね。私たちの歴史の見方や生きてきたこと、そこから伝承すること、そういう伝承がないと見失うものもあるし、進むべきところも進めない。イスラエルも多分にそうなんでしょう、同じ問題、異質の問題を一杯抱えていると思うのです。それをあっちはあっちの問題、私たちには関係ないっていうのでは、いつまでも閉ざされてしまいます。みんな我々人間の歴史なのだ、と私は思うのですが。歴史とは、人間、生きているということで、過去の話ではない。

OIT:ちょっと大雑把過ぎるかもしれないですけど、いい映画っていうのは秦さんの眼からご覧になって、何が必要ですか?
秦早穂子:強いて言えば、可能性のあるものね、必ずしも上手い映画じゃなくてもいいのです。もちろん映像的に優れているとか色々あるでしょうが、でこぼこでもいい、可能性のあるもの、ある叫びをもっているもの。それが私にとってはいい映画だと思う。

OIT:いいものは、『勝手にしやがれ』以前にもいろいろあったと思うのですが。
秦早穂子:もちろんですよ。

OIT:それは何ですか?
秦早穂子:たくさんあって、簡単には答えられません。ただ、私たちの世代は戦争を体験したけれども戦争には参加しなかった子供たちの世代で、子供の頃は、制限付きの映画しか見ていません。そういう視点から見て、例えばフランス映画は日本においては非常にミスリーディングされている部分があったと思う。つまり、戦前は文学的なものに日本人が一方的に思い入れていた。そこにはいいところもあった。あの時代の人たちは一種の教養主義を持っていた。それは日本だけの特殊事情じゃなくて、世界的にも、あの時代の人、1920年代くらいの人たちには一種の教養主義があった。私たちの時代はもう教養主義なんかないでしょう。戦争が終わって、私たちの世代の、何か新しい映画が出てくるのではないかと思って、私はずっと探していた、そこでゴダールにぶつかった。まあタイミングがよくて、ラッキーだったのでしょう。前後して、チャップリンの『独裁者』(40)にパリで出会った、これもすごい映画でした。世代を超えて。

OIT:その時のお話を読んだりすると、そのビリッとくるような感覚っていうのは凄かったんだろうなと。
秦早穂子:それは確かです。映画は最初に見る時が大切。今でも忘れませんから。

OIT:その後もある節目ごとに自分の中に同じような体験っていうのは続いてきてますか?それとも、新しい体験ってどんどんその衝動は薄れていくじゃないですか、感覚的に。そういうものでしょうか?それとも常に新しい刺激として現れてくるものでしょうか?
秦早穂子:常にあるとは思わないけれども、時にやってくる。だから、素晴らしいのです。私は映画の専門家ではないし、知識もありません。そうは言っても五十年以上、とぎれとぎれに、映画を見てきたとすれば、全くの素人とは言えない。けれども、いちばん心がけているのは、いつも白紙の状態で映画に接したい。それがもし本当に自分の胸を突いてくるのであれば、それが本物か偽物かっていう基準にはなる。じゃあそれは一体何ですかって言われると困るけれども、それはとても重要な要素なのです。私にとっては。

OIT:秦さんというと、ファッションとか女優とかについて多く書かれている印象が強かったのですが、フィルメックスの審査員をやられるっていうのが、勝手ながらも、とても面白いと思ったんです。
秦早穂子:まあ、そうでしたか。フィルメックスからは去年、お話があったのですけれど、3.11の時に私が足の手術をしたので、去年は辞退したのです。どうして選んで下さったのかよく分からないけれど。でも、日本の人は、型にはめるのが好きですね。映画は映画、文学は文学、ファッションはファッション。でも「映画」っていうものは全てのアンサンブルであり、それが素晴らしいのではないでしょうか。だから、これ(「スクリーン・モードと女優たち」を指して)はテーマを与えられて注文で書いた本ですが、アメリカの女優の歴史なんか見ていると、美しいが貧しい人たちが一生懸命何かになろうと思った時代があったのだというようなことから、色々な発見がありました。ここから、女の職業が、昔は女優かお針子しかないことも。それが、シャネルにつながる。そこから、ファションへ、音楽、絵画、文学にもつながっていく。この本を書いたことで、あなたはファッションの人ねって、レッテルを貼られ、疎外されもしましたが、私にとっては、みな、繋がっているのです。ごく自然に。映画批評家になるなんて自分では思ってもないのに、みなさんがつけて下さって、そうなっているだけ。そういう風にしないと、日本では生きられないのかも。皆、型にはめることが好きなのは、そうしないと納得できないから。話は少しずれるかもしれませんが、昨日でも一昨日でも、映画をそのままには受け入れられず、(Q&Aで)何かお答えがないと納得しない観客が増えている。少し頭が堅くはありませんか?これは日本人の特徴だと思うの。外国の人の方がもう少しみんな大きなスパンで、見ていると思うのですが。
1  |  2  |  3  |  4