OUTSIDE IN TOKYO
HONG KHAOU INTERVIEW

ホン・カウ『追憶と、踊りながら』インタヴュー

2. 50年代の中国のヒット曲を調べてみると、アメリカのポップソングのカバー曲が沢山あったのです

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OIT:今の紫陽花の話にしてもそうですが、映画美術に対する研ぎ澄まされた感覚が画面から伝わってきます。この映画の美術に関して言うと、どの程度監督が主導したのでしょう?
ホン・カウ:やはり美術的な部分に関しては自分も拘りがあったので、細かく美術監督と話をしながら進めていきました。彼女の力を借りて色々な選択肢を用意してもらいながら、そこから自分自身の映画のルックにあわせて、壁紙なども選んでいきました。例えば、あの部屋の雰囲気は60年代のような雰囲気にしたかったんですけど、部屋の中のものを全部60年代にしてしまうとどうも退屈になってしまう。そこにはちょっと50年代のエッセンスを入れたり、少し混ぜることですごく自分がいいと思う感じのものが出来る、そうした辺りを美術監督と一緒に、非常にタイトに詰めていきながら作業していきました。もちろん全部自分がこういう風にして下さいと具体的に決め込んでいたわけではなく、やはり美術監督にカラーパレットや色々なスケッチを用意してもらったのを見て、一緒に作っていったという感じです。

OIT:特に映画美学的なところで参考にした映画はありますか?
ホン・カウ:自分はこの映画を映画的に美しい映画にしたいという思いがありましたので、いわゆるイギリスの、社会的リアリズムを追求した、ああいう映画のルックには絶対したくなかった、どちらかというとワールドシネマの方に持っていきたかった。特にウォン・カーウァイの『花様年華』(00)とか、ショーン・ダーキンの『マーサ、あるいはマーシー・メイ』(11)という作品辺りを参考にしました。特にウォン・カーウァイの作品は、過去の美術的なものを取り入れているという点で参考にしました。

OIT:オープニングのシークエンスから映画に引き込まれました。過去と現在がシームレスな撮り方も面白かったのですが、音楽について少し教えて頂けますか?最初に李香蘭がかかりますね。
ホン・カウ:音楽に関しては自分の狙いがありました。最初はゆっくり映画が始まる、映画的にも、音楽の雰囲気的にも、これは時代劇じゃないかっていうような錯覚を覚えるほどゆっくり進んでいくのですが、次第に現代の話なんだなということが分かる。更に進んでいくとそこには母親の回想のようなもの、映画のテーマのひとつでもあるわけですが、あたかも過去と現在が重なりあうような、そういうものを冒頭でパンと表現したかった。音楽は、そうしたものの大事なひとつの要素ですね。なぜ李香蘭なのかというと、ここに合うなと思った音楽のリストが何曲かありました、50年代に流行ったような北京語の歌を何曲かリストアップしたんですけど、僕達の映画はすごく低予算だったので予算的に見合う楽曲だったっことが大きな理由のひとつです。その曲を使って映画が出来上がった後、李香蘭という人は実は日本人で、すごく歴史的にも興味深い人物だということを後で聞いて、そうだったのかと驚いたのです。

OIT:あと2曲、この映画には出てきますけれども、それらについても少し教えていただけますか?
ホン・カウ:「Sway」も、もう一つの曲(ジュンとアランのダンスシーンで流れる曲)にも選んだ意図がありますけど、特に「Sway」に関してはある意味自分だけの拘りで、あまり映画を観る観客には関係のないことなのかもしれません。50年代の李香蘭と同様に、母親がすごく好きだった曲が実はカバーソングだったっていうのがちょっと面白いなと思ったのです。中国語で歌われているポピュラーな50年代の曲を調べてみると、実はオリジナルが中国じゃなくてアメリカのポップソングをカバーしたものだったっていうのがかなりあって、それをイギリス嫌いの母親が、中国の歌だと思って聴いてるっていう面白さがある。それで、カバーソングを使いたいと思って、結局「Sway」を選んだんです。もう一つの曲は、コニー・フランシスので使いたい曲があったんですけど、結局予算的に無理で使えませんでした。すごくブリティッシュで、イギリス人だったら誰でも知っている耳慣れた音楽を使いたいという意図がありました。


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