OUTSIDE IN TOKYO
JULIE BERTUCELLI INTERVIEW

ジュリー・ベルトゥチェリ『パパの木』インタヴュー

3. スタッフにしてみれば、予定通り事が運べればいいんでしょうけど、
 自分としては、そうじゃないことが起きる度にものすごく興奮するんです

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OIT:また今回もフィクションを撮って、ある程度、自分の撮りたいストーリーは決めていると思いますが、捉え方の違いや、深さというか、たとえばその場で発見しながら撮るドキュメンタリーもあると思いますけど、フィクションの場合は、脚本で決めているどのくらい先まで行こうとしているのでしょうか。それとも、ある程度決められたものをちゃんと撮ろうとしているのでしょうか。
JB:私はシナリオを結構書き込むタイプですが、それに則って色々な事務作業が始まりますね。たとえばロケ地も決まって、キャスティングも決まって、だいたいのことが決まっていきながら、さらにそこから広がりが出てくるのです。そこでシナリオに入っていないことがあったとしても、やっぱりそこでもう一回広がっていくわけですね。そしてシーン毎にも、その時その時の状況にあわせて台詞が変わったりもします。シチュエーションが具体的に決まった時に、やっぱりシナリオ上で変更をすることもあります。自分はドキュメタリー出身なので、どちらかと言うと、致し方ない予定の変更に対してもわりと柔軟に対処できるタイプです。そして今回は子供たちがいて、動物たちも出ていて、ものすごく自然の存在感が大きな場所で作品を撮ったので、そういう意味では、予期しないいろんなことが、それはもうたくさん起きてきます。たとえば、子供が全く予定されていない行動をとったり、何か(別のことを)言ってしまったりすることがあるけど、自分はそれで撮影がストップすることよりも、それを利用して、作品に活かすという方向性を採ることに利があると思っています。たとえば、撮影を通じて、動物が建物の屋根の上にとまってしまって、なかなか動いてくれなかった時も、アシスタントたちは、しょうがないので場所を移しましょうと考えるのですが、自分はそうではなく、それならば一歩踏み込んで、それも入れこんでしまい、それも使った上で撮影もしましょうと提案するんですね。だから自分は予期しない、突発的なことは、作品そのものをより豊かにするものだと思っています。撮影中に一度、天気予報で台風が来ることになったのですが、(元々)その日は海辺での撮影を予定していたんです。予定では、太陽が降り注ぐ海辺、というのを必要としていたのですが、台風が来るわけですからどうしようもないですよね。それならば撤退するのではなく、台風が来た時に撮ってしまって、より効果的な場所に行きましょうと提案しました。それで自分は木の方に向かっていき、台風と木の映像、しかも“天然”の映像を撮ることを考えたんです。スタッフにしてみれば、予定通り事が運べればいいんでしょうけど、自分としては、そうじゃないことが起きる度にものすごく興奮するんです(笑)。

あと、素人の、役者ではない人と仕事をすることも自分にとってはエキサイティングなことです。たとえばお店で撮影するシーンがあったとしたら、お店の人にそのまま店員をやってもらうみたいなこともあります。もちろん、全ての状況でそれが許されるわけではないし、誰でもいいというわけではない。ちゃんと選ばなければいけないけれども、ちょっとした脇(役)というか、そういう部分で素人の人を使うことによって、より映画が生き生きとしたり、よりリアルになったりすることもありますね。 自分にとっては、作品にとってのリアリズムというのがとても重要になるのですが、特に外国で撮る作品が多いので、そういう意味では、その国の現実が出るような、そういう撮り方をしなければいけないといつも思っています。だから現地の人ができあがった自分の作品を見た時に、なんだか絵はがきのような風景ばかり撮るなあ、と思われるのでなく、本当に現地の人たちが見て違和感のない撮り方をすることで、より作品に現実性が出てくると思うんです。だから細かいディテールにおいても、ものすごく忠実にしています。たとえばこの映画に出てくる家も、あのファミリーが何年も住んでいるような、彼らが住んだ匂いのするような家を必要としましたし、彼らへの親密感というか、彼らと家との親密な関係性みたいなものが描かれなければいけなかった、何年間もあそこであの家族が住んだんだという、流れてきた時間もそこで感じられなければいけないのだと思います。


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