OUTSIDE IN TOKYO
AHARON KESHALES & NAVOT PAPUSHADO INTERVIEW

アハロン・ケシャレス&ナヴォット・パプシャド
『オオカミは嘘をつく』インタヴュー

2. 万華鏡のような復讐劇(アハロン・ケシャレス)

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OIT:脚本がよく練られていますが、お2人でどのようにアプローチして書かれたのでしょうか?
アハロン・ケシャレス:ありがとうございます。変わったやり方です。聖書をもった高校教師が児童性愛者の容疑者であるといった映画をつくろうと思っていました。色々なことが起こり、人生が破綻するんです。奥さんは口をきいてくれない。娘には会えない。仕事はクビになる。人生最悪の年を迎えている男の話です。また、同時にダーティー・ハリーのような刑事物も作りたかった。ほとんどパロディのようなノリです。そして、『悪魔を見た』(10)を観たんです。これもいいと思いました。娘を亡くした父親が復讐に燃える話ですね。どれを最初につくるか決められないでいるうちに、同時にこの3要素を満たす映画を作ろうと思いつきました。そのような映画はこれまでありませんでしたから。そうしたら、万華鏡のような復讐劇が撮れると思ったのです。
OIT:とても欲張りな願望で撮られたんですね。(一同笑う) 今、イーストウッドの映画の話がでましたが、アラブ人が馬に乗って登場するシーンは、ちょっとイーストウッドの『ペイルライダー』(85)を想起したのですが、そういう意図はありましたでしょうか?
ナヴォット・パプシャド:はい。このアラブ人のクレジットは「馬に乗ったストレンジャー」となっています。クリント・イーストウッドの『荒野の用心棒』(’64)での名無しの男役をアラブ人で表現したかったのです。この映画は虐待について描いています。イスラエル人が虐待に従事するなか、最もまともで高潔な男、馬に乗った白い騎士、カウボーイがここではアラブのパレスチナ人なのです。この時、音楽もウェスタン調になります。アハロンが電話で、このシーンでは煙草をくゆらせ、ネイティブアメリカンとカウボーイとのピースパイプ(和解の一服)を吸わせようと提案してきたのです。この映画ではパレスチナ人とイスラエル人です。私たちの好きな西部劇へのオマージュとなったシーンです。
OIT:彼が銃を撃ったりして活躍するのかと期待しましたが、そのようなバイオレンスは起こりませんでしたね。
ナヴォット・パプシャド:お決まりや、慣習めいた内容は排除したかったのです。この流れではイスラエル映画だと占領地の支配者か、もしくはテロリストが描かれるのが普通です。だからこそ、この映画では、例えば、両親が彼の元にやってくる際に近くのアラブ人街で何か悪いことが起こることが、映画の中でまことしやかに語られながらも、アラブ人の視点からは何も起こらないようにした。緊張はイスラエルとの関係においてのみ積み重なっているのです。だからイスラエル的視点で観ている人、戦争的視点で観ている人には予想を裏切る展開でしょう。何かしら悪いことが起こったところに、クールな輩が現れて助けてくれるというストーリーが普通ですからね。
OIT:イスラエルの映画製作状況を伺いたいのですが。映画は作りやすい状況にあるのでしょうか?
アハロン・ケシャレス:ああ、実際そうですね。イスラエルでは映画製作において重要な2つの発見がありました。ひとつは個人で映画を撮れるということです。何年も前は映画を撮るには公的資金が必要だと言う考えがありました。そのシステム以外のやり方を模索する者もありませんでした。資金がおりるのをまず待ちます。5年くらい待ったりするんです。資金がおりないと撮らない。それが6、7年前から変わり始めました。システム外で公的資金無しで映画を撮る機会ができました。個人のプロデューサーに会いに行き、スクリプトを読んでもらいました。それがプロデューサーの気に入り、ポケットマネーを出してもらえることになったのです。それからというもの、熱意のある作家や監督が自分たちで映画を作るようになりました。それから2つ目ですが、公的資金がジャンル映画向けの特別な資金枠を設けてくれるようになりました。ジャンル映画の製作に脅かされる世の中では無くなってきたのです。若者もジャンル映画を志望でき、資金を得やすく、そして認められやすいルートが確立されました。


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