OUTSIDE IN TOKYO
MATHIEU AMALRIC INTERVIEW

マチュー・アマルリック『クリスマス・ストーリー』インタヴュー

2. デプレシャン監督からはとても多くの細かい指示が出されるので、役者は自分自身に戻るヒマはない

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──今回のアンリという役は寂しがってみたり悪態をついてみたりといった複雑な役だったと思うのですが、アンリの行動の根源にある家族への想いというのはどんなものだったと想像しましたか?
マチュー:それはアルノーに聞いてもらった方がいいかもしれない(笑)撮影はもう三年も前のことになるんだけど、そのころ監督と話したときに感じたのは、たぶんチャップリンのようにちょっとコミックなところがあって、なんていうのかな、話をかき回すようなところがある。そんな人物像を描きたかったんじゃないかな?というのはあるんですけどね。

『クリスマス・ストーリー』に出ている人物はみないろんな面を持っています。そして、それぞれがいろんなストーリーを持っている様が描かれているわけだけど、デプレシャン監督自身、ひとりひとりの人物をよく理解しようとはしていなかったと思います。それぞれの理由や結果を描こうとはしていないですしね。演じている俳優たちもまた、人物をよく理解して演じようという気構えはたぶんなかったと思う。

今回の作品がこれまでのデプレシャン作品と違うのは、ラストで母親とアンリが病室で対面するシーンがありますが、これまで彼が男と女の関係を描くとき、今回は年齢も違いますし、また親子の関係ではあるけれど、結局どちらも互いを必要としていた、対立して争ってはいるけれどもどちらも本当はお互いを思い合っていたということ。こういう表現はデプレシャン監督の作品では初めてのことです。

──道でドーンと倒れる印象的なシーンがありますが、あのシーンはどうやって撮影したのですか?
マチュー:料理と一緒でなんでも明かしてしまうとおもしろくないので、ああして倒れたと信じてもらっていた方がいいと思う。舞台裏を知るとがっかりするんじゃないかな、あまりにも単純で。人間というのは本当に弱いものだから。ああして倒れていたら死んでいるかもしれないですよね。子どもなんかすぐ手が出ないからケガしたりするけれど。それにしても、ああして倒れさせるって変なアイディアだけど、でも実はデプレシャン作品の中でこの『倒れる』というのはけっこうテーマがあるんですよ。でもまあ、僕はこうして生きていますから。

──役者としてカットという声を聞いたら役からすぐに離れるタイプですか?それとも、役に没頭して離れられないタイプなのでしょうか?
マチュー:引きずる・引きずらないは、監督や作品によっても違います。デプレシャン監督の場合、カットが入っても次の撮影に入るまでの間にシナリオにはない指示が次々と出てきたりする。そうすると、障害物競技をやっているような感じで、次の障害物を倒しちゃ行けない!というようなプレッシャーがあるんです。例えば『はい、このテレビのリモコンを持って、このボタンを押したらここにおいて、その後に左手でジャケットのポケットに入っているボールペンを取って、あ、違うボールペンを取った』というように。『本を取ったらちゃんと表紙がこっちを向いているように取って、何ページを見て』と言われたけどちゃんとそのページを開けるかな……といったようにいっぱい指示があるので、自分自身に戻っているようなヒマがないのです。

イヴァン演ずるメルヴィル・プポーと一緒にクリスマスツリーを飾り付けしているシーンがあるけれど、あれは本当に大変でした!踏み台に乗ってただ楽しく飾り付けしているように見えるかもしれないけど、ツリーのボールはあっちにやってこっちにやってと全部指示がある。しかも山のようなセリフを言いながらやらなきゃいけない。

デプレシャン監督の特徴として手の動き、そういう指示がすごく多いので、いろんな指示を聞いて、その指示のために動いていたら、どんな演技をしているとかではなくなっていく。つまりあれはドキュメンタリーと一緒で演技をしていないのです。ですから照明があって、編集があって、すばらしいアルノー・デプレシャンのシナリオがあって、俳優というのはあの中ではひとつの道具に過ぎないのです。

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