OUTSIDE IN TOKYO
Mia Hansen-Løve INTERVIEW

ミア・ハンセン=ラブ『あの夏の子供たち』インタヴュー

2. いかなる表現だとしても、そこに生命が脈打っていなければいけない

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OIT:それは自分の感じた喪失に対処する方法でもあったのですか?
M:そうだと思います。やっぱりこの映画に限らないことですが、私にとって、脚本を書いたりするということは、やはりその喪失した部分というか、空洞というか、そういうものを埋めて、補うという意味合いがありますね。もちろん、この映画に限って言えば、それを乗り越えるというか、彼がいなくなってしまったという気持ち、そんな喪失感というものをそこで癒すという意味もあって。当然、その感情は自分から切り離せるものではないので、全く以てその通りだと思います。

OIT:あなたにとって映画は何を達成すべきものですか?例えば、物語性だったり、じわっとした感覚を呼び起こすものだったり、映像的な刺激だったり、何を大事にしていますか?
M:ちょっと待ってください!今ちゃんと考えてみます(笑)。非常に興味深い質問なので、むずかしく答えようと思えばできるし、かと言って、むずかしすぎると長くなってしまうし、簡単だと簡単すぎるし(笑)。ちょっと待ってくださいね、ちゃんと考えてみるので。

OIT:では、簡単なところからむずかしく、でお願いします(笑)。
M:そうですね。私にとって、映画のみならず、ひとつの芸術、表現として考えるなら、要は感情を強調するものだと思っています。芸術の中でも、映画というのはそういうものと位置づけていて、それにはふたつあります。ひとつは、人生における、いわゆる哲学です。それは読む哲学ではなく、日々の生活の中で感じる、いわゆる知恵というか、生きる生き様というか、その中で感じる哲学なんですね。それからポエジー(詩情)と、それに比例する感情、つまりエモーションがあるのですが、やはり、それらを切り離すことは到底できないんです。それで、私にとっては、知恵だったり、生きていくための、生活の中にある哲学、つまり生きた哲学、それにポエジーと感情が、いつもセットになって存在するものなので、その3つが渾然となって、私のいわゆる創造の源となっているのではないかと思います。よく、メッセージを伝える、という言い方をする人もいますが、私は映像を作ること、つまり映画というのは、私にとってはメッセージを伝える術ではありません。それは自分の思想、アイデアを表へ伝えるものだと思っているのだと思います。あとはともかく、“生きている”ものでなくてはいけない。いかなる表現だったとしても、そこに生命が脈打っていなければいけない。例えば、非常に暗いテーマを扱ったとしても、そこに何らかの生命の躍動がなければ、結局、私にとってそれは表現と言えないものです。なので、暗くてもそこに生命さえあれば、それは生きたものとして考えますね。

OIT:そこで共有するということは大事ですか?
M:もちろん、そうですね。やはりいろんな人と共有できなければ表現していく意味はないのです。ただ、ここで大事なのは、人数という意味ではなく、どんなに少数の人間であっても、それが深くその人たちの中で共有できるものであればいいわけです。だからたくさんの人間に響いたとしても、それが浅薄なものであれば仕様のないことですよね。

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