OUTSIDE IN TOKYO
M. Night Shyamalan Interview

M・ナイト・シャマラン『エアベンダー』インタヴュー

3. 『ヴィレッジ』のことを、ニューズウィークは当時、その年の最低映画と評した。
 ところが、今では、レポーターが口を揃えて「『ヴィレッジ』が一番好きな映画だ」って囁くんだ

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Q:では、この映画の中で、もし自分の持つトーンがあるとするなら、それは何になりますか?
MNS:まいったな。そりゃ、映画全体だよ(笑)。でも、哲学とか、まあ、ここにいる誰もが、家族というものに特別な視点を持っていると思う。みんな、もちろん違う視点だろう。ジャオ(司令官)のように、より大きな大義の前に、家族はかしずくものであるべきという考えや、ノアのように、失う苦痛として家族とつながる者もいる。ズーコ(王子)のように、個人の道徳に反しても、自分の家族の一部になりたいと思う者もいる。ニコラ(・ベルツ)の演じるカタラも、自分は母を失ったけど、自分がこの少年の家族になるべきだし、彼(アン)もそれを必要としているはずだと考える。みんなが各々の価値観を持っている。まあ、それもひとつだ。とても自分らしいと言えるし、それが物語の中にあるんだ。

Q:いつも意欲的な映画を作られていて、新しいものをどんどん見せてくれるわけですが、新しいものにチャレンジするにはとても勇気が必要と思います。今日お会いしても、監督はとてもパワフルで、その勇気、パワーの源はなんですか?
MNS:(そう思ってくれて)よかった。本当に疲れていて、もうだめだと思ってたから(笑)。おかしな話だけど、最近はそのことばかり考えている。ところで、みんな素晴らしい質問ばかりだ(笑)。僕が唯一考えられる言葉は、“できないこと”かな。つまり、個人的な信念を覆すこと(が“できない”)。たとえば、誰かが僕に何を言い、それはできないと答える場合、それはチャレンジとかの問題でなく、こうでないからそれはできないとか、僕の一貫した信念に対して、僕を壊すものだと言える。アートフォームとしても、まず選択肢があって、ストーリーテリングの核となるところで、より簡単なチョイスがあったとする。でもそれらの問題に対して、僕は曲げることが“できない”。それが“できない”んだ。心のどこか奥底で、妥協しないと言っているのでなく、まあ、妥協は実際よくあることで、何でもうまくできるわけではないけど、周囲の人たちから学んでいっている。でも心の奥底で、曲げるものか、変えるものか、と思っている自分がいる。エネルギーは、それに対する自分の強い信念から来るものだ。それは一貫している。それは例えば、家族とか、自分の信じる体系について。
ひとつ例を挙げよう。例えば、『ヴィレッジ』は、僕がアメリカの社会の向かう方向に大きな不安を感じた結果出たものだ。もし、僕に300億ドルとかの大金があって、ある土地を買い、周りを柵で囲み、警報装置で囲んで、まるで外界が存在しないかのようなふりをすることを考えたことがある。それは僕の家族や、将来の子孫を守るためにやりたいと思った。これからは、もう外の世界は存在しないつもりで生きるんだと。その中に生きて、十分に自分たちを外界から守るだけの資産があれば。外で何が起きているか分からないけど、それが僕らに影響を与えることはない。そして外の世界を知ることもできない、内側の彼らに嘘をつくわけだね。より大きな大義のために。僕はそんな時、両手で引き裂かれる思いだった。とても複雑で道徳的な立場だ。それは、僕が当時感じていた、社会への告発だと思う。それはとてもむずかしいことだ。映画を作っている時も、僕はそれをずっとポピュラーに作る方法を知っていた。そうでしょ?あの場所が爆破されて、ヘリが来て、若者たちは自由になり、親が嘘をついていた彼らも知る。彼らは自らの人生を送り、未来に参加するようになる。みんながヤッター!となり、過ちは自分のせいであり、責任は自分で取るから、未来は素晴らしいものになる、って感じだ。でも僕はそう感じなかった。それはとてもパーソナルで複雑なことだ。そして、あの映画を作り、映画は収益を上げた。でも問題はそこじゃない。つまり、当時は、それが間違っていると思われた。複雑で道徳的な宣言をした時、ニューズウィークが当時、その年の最低映画と評した。彼らが間違っていると思うことを、僕が伝えているからだと。でもそもそも間違いではなかった。僕が心で感じていたままだったのだから。それから僕は抵抗し、戦い、ものすごいエネルギーを費やし、みんなをはね除け、この映画をこう作るんだとみんなに信じ込ませ、みんなで成功させ、みんなで古典を作ろう、今まで作った最高の映画になるし、100%信じていることを伝えた。でも返ってきたリアクションは違った。それでもずっとパワー全開でみんなをはね除けてやるとがんばってきたのに、つい4日ほど前に、この映画のジャンケットのあったニューヨークで、レポーターが口を揃えて、数秒おきに、前に出てきて、「『ヴィレッジ』が一番好きな映画だ」って囁くんだ。「ところで、『ヴィレッジ』が一番好きな映画だ」って(笑)。それから、アメリカのどの都市に行っても、そう言われ続けた。どう感じたと思う?僕はすごく疲れてしまったんだ。ものすごく疲れて、脱力感に襲われた。もうそれ以上、戦わなくていいのかと思って。魂を抜かれるように、疲れ果ててしまった。全く逆の反応さ。どうしてこんなに長いこと、こんなに必死に戦わなければならなかったんだろうって。ようやくその映画が出発点から離れて、映画が好きだと思ってもらうまでになった。でも、それが僕のその時の感覚さ。僕のキャリアの間、ずっとそう思ってきたんだから(笑)。自分の発言を固守するためのエネルギーを。それが(突然)周囲の壁が解き放たれ、やっと自然体で見れるようになったんだ。

Q:日本にいる時に、日本で映画を撮るインスピレーションが湧きますか?
MNS:日本にいると、考えるべきことを考えられる。より集中できる。アートや映画について考えることが楽しくなる。でも、おかしなことに、考えていたのは、(今回も)いろんな国を回らなければいけないんだけど、まあ、どこの国とは言わないけど、そういう(前向きな)気持ちになれない国もある。この取材での質問は、映画や哲学や考え方やテーマについてのものだったけど、そういう質問はひとつも聞かれない時がある。ひとつも!金や収益や人の言ったことやゴシップばかりだ。そんな環境では、まともな状態ではいられるはずがない。

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