OUTSIDE IN TOKYO
Nelson Pereira dos Santos INTERVIEW

ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス インタヴュー

2. カトリックの教会では、キリストの身体ですと言ってパンのかけらを与えられる。
 シネマ・ノーヴォとは、そういうものになっている

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OIT:今でもご自分がシネマ・ノーヴォに属しているという感覚はありますか?
NP:ちょっと変わった比喩を使って話させて頂くと、カトリックの教会に行くと、これはキリストの身体ですと言ってパンのかけらを与えられるわけです。シネマ・ノーヴォというのは、そういうものになっているんじゃないかと思います。みんなそれぞれのブラジルの映画作家は、そのひとかけらのシネマ・ノーヴォの身体を受け取って自分のものにしながら、それぞれに自分のやるべきことをやっているのが現代のブラジル映画だと思います。

OIT:そうすると今のご自分というのはどういう所にいらっしゃるのですか?
NP:自分の長い経歴を振り返ってみると、実はシネマ・ノーヴォの前に私は映画を作り始めていましたし、映画史的に別の映画作家としての養成のされ方をして育ってきた映画作家であって、シネマ・ノーヴォが始まった時には既に私は5本目の作品に取りかかっていた時期でしたから、もちろんその中でシネマ・ノーヴォの運動に呼んでもらって一緒に仲間にしてもらって、色んな事を体験できたのは自分にとって非常に貴重な事でした。一方で私自身はその運動の一部というよりは、独立した映画作家として、その前もその後も作品を作り続けてきてました。実は、いまやそろそろ映画を作るのも疲れるし、映画作家としてのキャリアはそろそろ終りにして、物書きに転じようかと思っている所です。文章を書く方が映画を作るのに比べたら疲れないですむので。

OIT:それを聞くのはちょっと残念ですが。映画はシネマ・ノーヴォの前に5作品作っていたという事ですが、映画を作る衝動というのはそもそもどこから生まれて来たのですか?
NP:どこから始まったかというと、戦後の話なのですが、それまでブラジルは15年間の独裁政権下、ずっと集会とかが禁じられていたので、シネクラブ活動というものも出来なかった。それが戦後になってシネクラブというものが再開したんですね。その時、若い学生達がシネクラブに通って映画を観るというのが一つのブームになって、みんなで映画を観に行くことになったわけです。それまでアメリカ映画以外はブラジルではほとんど観ることができなくて『戦艦ポチョムキン』であるとかそういう古典的な傑作というのは本を見て写真を見て、どんな映画なんだろうなと思って見ていたものが、実際見られるようになったわけです。そのことが非常に大きかったわけですね。シネクラブ活動の中で、それまで自分達が観たアメリカ映画ばかり、大きな産業的な映画ばかり観ていたのが、イタリアのネオリアリズム映画に特に強い影響を受けたロベルト・ロッセリーニであるとかピエトロ・ジェルミであるとかルキノ・ヴィスコンティであるとかの作品を観ることで、我々の観てきたアメリカ映画のように、産業的な構造を必要とするお金のかかる映画ではなく、産業的な手段を使わなくとも映画というものは作ることが出来るんだ、それは通りで人を撮るだけでそこに映画が始まるんだということを学んだわけです。イタリアのネオリアリズム映画は非常に強い影響でしたね。そのことから自分の映画を作るということが始まったんだと思います。

OIT:最初に撮られた映画っていうのは本当に資金がなかったのでしょうか?どういう状態だったのですか?
NP:みんなせっせと働いて稼いだお金で少しずつフィルムを買いためて、それはもうスタッフだけでなく出演者もみんなで働いてフィルムを買いためて、それで撮るというやり方をやっていました。その時は、みんな一つの家に住んで食事も一緒にして、文字通り集団制作コレクティブな映画作りというのをやっていたのが私の初期の作品です。

OIT:ある意味、理想的な映画環境ですね。自分の作っている声が、シネマ・ノーヴォに合致するというか、はまると考えたのはどんな時だったんですか?
NP:『リオ40度』という作品は検閲で上映禁止になってしまって、そこで逆に上映禁止になったということで大騒ぎになって、多くの映画作家なんかも応援してくれてその映画を公開するために戦ってくれて、最終的には公開できるまで辿り着いたんですけど、その時にみんなと友達になったのでそこから自然の流れで一緒にやろうということになったんです。

と、ここで突然、ネルソン監督のマネージャーの女性が入ってきて、大使館のパーティーに出席しなければならないから、という理由で90分予定していた取材時間の内、たったの20分でインタヴューは打ち切りに。残りの質問に関してはメールで答えますよ、という話だったのだが、、、
さすがブラジリアン!とでもいうべきか?この時は、あまりの展開に呆気にとられるばかりだったが、今振り返ってみると、かなりのご高齢である巨匠の口から少しだけでもお話を伺えたことに、むしろ感謝すべきなのか?実際は、零細メディアの現実として理不尽な事態を受け止める以外になかったわけだが。
それにしても、、、シネマ・ノーヴォの話から入って、『リオ40度』『乾いた土地』『オグンのお守り』『奇蹟の家』など個別の作品について、そして、カエタノ・ヴェローソやヴィニシウス・ヂ・モライスらのミュージシャンや詩人との交流や現代のブラジル映画について、色々とお話を伺いたいと思っていたので、本当に残念!!

とはいえ、そんな事の次第とは全く無関係に、見応えのある傑作・怪作揃いの「シネマ・ノーヴォ特集」、是非とも足を運んでご自分の目で類い稀なる作品の数々をご覧になって頂きたい。
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