OUTSIDE IN TOKYO
PEDRO COSTA INTERVIEW

『ホース・マネー』(14)は、2015年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で、ロバート&フランシス・フラハティ賞(大賞)を受賞した。その時の公式カタログにはペドロ・コスタ監督のこんな言葉が紹介されている。

『ホース・マネー』の出発点は、ヴェントゥーラが語ってくれた話にある。1974年にポルトガルでカーネーション革命が起きたとき、私たちは同じ場所にいた。幸運にも私は若き少年として革命に飛び込み、そこで音楽、政治、映画、女の子たち、こうしたものすべてを同時に発見し経験することができた。私は幸せだった。路上で声を上げ、学校や工場の占拠に加わった。13歳だったし、そのために私の目は曇っていた。友人のヴェントゥーラが同じ場所で涙にくれ、恐怖に苛まれながら、移民局から身を隠していたことを理解するのに、30年もかかってしまった。長く深い眠りに落ちていったその場所、彼が「牢獄」と呼ぶもののなかで過ごした時間の記憶を、ヴェントゥーラは語ってくれた。これ以上は言えない。すべては映画のなかにある。撮影は荒れ、私たちはよく震えていた。ヴェントゥーラは必死に思い出そうとしているが、これが最良のものとは限らない。だから私たちは、忘れるためにこの映画を作ったのだと思う。本当に忘れるために。それと決別するために。

ペドロ・コスタ監督と、カーポ・ヴェルデからの移民労働者であったヴェントゥーラとの共同作業は、2006年の『コロッサル・ユース』から始まっている。以来、2007年の短編映画『タラファル』での共同作業へと続き、3作目の共同作業『ホース・マネー』がニューヨーク映画祭で上映されたのが、2014年のことである。私たちが、8年前に『コロッサル・ユース』でヴェントューラを見た時、少なくとも、カーネーション革命におけるこの2つの体験については知る由もなかった。そして2016年の今、『ホース・マネー』を見て、監督のこの言葉を目にした時、コスタ監督の映画を重く覆ってきた暗闇の起源に、ついに光が充てられたのだと感じた。ペドロ・コスタの映画を見て来た観客にとって、これはひとつの解放的な体験であると言っても良いはずだ。今、『コロッサル・ユース』を見直せば、2006年に見えたものとは少し違うヴェントゥーラの姿、より感情的なニュアンスを帯びた彼の姿を、私たちは見出すことになるに違いない。

『ホース・マネー』において、時間の流れは錯綜している。映画が、辛い過去を想い出そうとするヴェントゥーラの”意識”が混濁している様をドキュメントし得たが故に、映画自体の時間の流れも錯綜しているのだ。人が生きる”現在”は、1秒1秒全てが”過去”として過ぎ去っていく、あるいは、記憶として蓄積されていく。その”過去”を想い出して、再構築して表現するなどという作業は、誰にとっても困難を極める知的かつ感情的に疲労困憊する作業に違いない。ペドロ・コスタとヴェントゥーラが何年にも亘って果敢に向き合ってきたのは、そのようにして現在とともに生き続ける”逃れられない過去”の時間である。

本作においては、しかし、その”逃れられない過去”の時間との相克の中から、ヴィタリーナという生霊とも亡霊とも幻影ともつかない女性の姿が、黒沢清かアピチャッポン・ウィラーセータクンの映画に出てくる幽霊のように、明瞭な輪郭を伴って登場する。そして、『ホース・マネー』の漆喰の暗闇の中に、人間的な生命力、力強さ、女性ならではの豊穣を齎してくれる。さらには、本来、ギル・スコット=ヘロンとの”音楽映画”として構想された本作に相応しく、カーポ・ヴェルデの素晴らしいバンドが奏でる楽曲<高貴なナイフ>が、過去との決別を切り拓くべく映画に突き立てられている。かのデヴィッド・ジョーンズは、彼が愛用していた”ボウイナイフ”から名を頂戴し、デヴューアルバム「デヴィッド・ボウイ」を発表して自らの運命を切り拓いた。確かに、コスタ監督が言うように、”ナイフ”は、人生を新しく始めるための必需品であるのかもしれない。

1. 苦しみや暴力的なもの、劇的なドラマといったものは、もっと小さい形で見せることが出来る

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OUTSIDE IN TOKYO(以降OIT):監督は、『ホース・マネー』の出発点は、ヴェントゥーラが語ってくれた話(※)にある、と語りました。その話をヴェントゥーラの口から聞いたのはいつ頃のことだったのでしょうか?
ペドロ・コスタ:まだ『コロッサル・ユース』(06)を撮り始める前に、ヴェントゥーラと散歩をしたり、話をしたり、食事をしたりする中で聞いたんだ。

OIT:カーネーション革命にも、そのような異なる2つの体験があったということを、以前は語らずに、『ホース・マネー』(14)が上映されつつある、そのタイミングで語ったことに何か意味があったのでしょうか?
ペドロ・コスタ:僕自身が経験した革命はとても希望に満ちたもので、ヴェントゥーラが経験したものは、あまり明るいものではなかった。そのこと自体に考えさせられるものがあるし、怖さすら感じる。でも僕らは『コロッサル・ユース』を一緒に撮った。それから時間が経ち、機が熟すのを待った。そして『ホース・マネー』でついに、カーネーション革命の記憶について、映画を撮ることが出来たんだ。

OIT:小津安二郎監督は戦争に行った経験がありますが、映画の中で戦争を直接的に描くことはありませんでした。戦争体験は映画の中に”隠されて”いた。あなたの場合も同様に、革命の体験はいわば”隠されて”いますね。
ペドロ・コスタ:そう言っていいだろう、苦しみや暴力的なもの、劇的なドラマといったものは、もっと小さい形で見せることが出来る。つまり、“台所の中の戦争”、“寝室の中の悪夢”といったもので見せることが出来ると思う。


『ホース・マネー』
英題:Horse Money

6月18日(土)より渋谷ユーロスペースにてロードショー、全国順次公開

監督:ペドロ・コスタ
撮影:レオナルド・シモイショ、ペドロ・コスタ
編集:ジュアン・ディアス
録音:オリヴィエ・ブラン、ヴァスコ・ペドロソ
音楽:オイス・トゥパロイス
整音:ウーゴ・レイトン、イヴ・コヒア=ゲーディス ミキシング:ブランコ・ネスコフ
製作:アベル・リベイロ・シャーヴィス
出演:ヴェントゥーラ、ヴィタリナ・ヴァレラ、ティト・フルタド、アントニオ・サントス

2014年/ポルトガル/104分/DCP
配給:シネマトリックス

『ホース・マネー』
オフィシャルサイト
http://www.cinematrix.jp/
HorseMoney/


『あなたの微笑みはどこに隠れたの?』レビュー

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