OUTSIDE IN TOKYO
SASOU TSUTOMU INTERVIEW

溝口健二著作集刊行記念:佐相勉インタヴュー

2. 溝口健二の歴史意識

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OIT:江戸情緒というと、今の僕達は純日本的なものを想像してしまうけれども、溝口が言う“江戸情緒”には中国とか朝鮮などの文化も入っていると書かれています。
佐相勉:そうですね、その文章の中で例えば中国の怪談話が出てきたりする。だいたい日本の文学は、特に江戸時代は中国文学抜きに語れないものがある。だから当然溝口さんが日本とか日本的とか日本文化って言う時には、その背後には必ず中国、あるいはもっとイランとかの西域まで意識している。要するに時代をずっと遡っていくと、例えば雅楽とか、ああいうものは西域の方の影響を含んでるっていう風に言われている。当時日本にあった伎楽面っていうお面なんかは、見るととても東洋人の顔とは思えない、向こうの人みたいな顔をしてるんですよね。だから溝口さんの場合は、日本文化というものをそうした広がりで考えていたのだと思います。
OIT:かなり広いですね。
佐相勉:そうですね、つまり溝口さんは歴史意識が非常に強い人で、日本の歴史を古くから現代まで見てる、遡っていくとやっぱり西の方、つまり中国の唐とかあの頃、シルクロードがあって、さらに西の方へ行くとローマ帝国まで繋がるっていう話になってくる。要するにその辺まで影響が日本へ来てるっていうことは当然考えてたと思うんです。だから日本的とか日本情緒と言っても、絶えず背後に括弧して東洋っていうのが入っている、その東洋は時代としては唐くらいまでで、地域としてはメソポタミア、今で言うイランとかイラクとか、あの辺まで含めて考えたんじゃないか。だいたい東洋っていうと、イスラム圏が東洋でトルコ辺りからこっちが西洋から見た東洋ですよね。溝口さんの場合、東洋、日本文化って言った時に、その辺の文化もひっくるめて古代から影響を受けている、そういう意識があったんじゃないかということを最初の方で書いています。
OIT:ちょっと横道に逸れますけど、同時代の映画作家でそういう意識を持っていた人って思い浮かびますか?
佐相勉:そこまで広い人がいるのかどうか、僕らにしても、この著作集を編んで初めて分かってきたところがあるので、何とも言えない。思いつきレベルで言うと、溝口さんの場合は、歴史的に過去から現代、未来までっていう、時間の幅の広さがあるけれど、小津安二郎の場合は、時間的に言えば円環というか、つまり時間の流れではなくて、同じ物、時間をここでぱかっと切った感じ、変わらないものを描く、“普遍”ですか、そんな感じでしょうか。今回の著作集を読んでいて思ったんですけど、溝口さんの場合は時の流れをもの凄く意識しているので、物事っていうのは時間と共に常に流れている、歴史っていうのは常に変化していく、そういう意識が凄く強い。例えば、トーキーについて書いた文章があって、初期の日本でろくなトーキーも出来ていないような頃から、溝口さんはトーキーっていうのは非常に重要な物なんだと書いている。特にチャップリンとかルネ・クレールとかがトーキーになっちゃうと、サイレント映画の良さがなくなっちゃうと言われている頃から溝口はそう言っています。でも、確かにそうなんですよね、初期のトーキーっていうのは酷くて、サイレント映画の非常に高いレベルから比べると本当に小さいものしかなかったから。でも溝口さんはその頃からそんなのナンセンスだって言ってる、そういうのも流れて変化していく、時代は常に変わってゆく、そういう変化には抵抗がないのですね。
OIT:それで“モダニスト”って言われたりしている。
佐相勉:ああ、撮ると思いますね。カラーになればカラーだし。あと、テレビが出来たら映画は駄目になるなんて未来を予言するようなことを、戦前に言ってます。商業化されていませんが、戦前にもテレビってあったんですよね。というようなことも言ってるから、今だったらデジタルやったと思いますよ。
OIT:今だったらデジタルも撮っちゃうみたいな。
佐相勉:そうなんですよね、古くて新しいっていう。自分は江戸情緒みたいな古いものも好きだし、当時カフェとかダンスホールって一番新しいものだったんだけど、そういう新しいものも好きで、ある意味対立するようなものが自分の中に両方ある、しかし、その両方あるのをあんまりきちっと意識してなかったんだけど、この『紙人形春の囁き』で二つのものを一つにコンデンスすることが出来た、趣味が二つあってそれを上手く調整する方法を掴んだと、そういう文章ですよね。
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