OUTSIDE IN TOKYO
SASOU TSUTOMU INTERVIEW

溝口健二著作集刊行記念:佐相勉インタヴュー

8. 佐相さんの来歴

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OIT:ところで、佐相さんは、“溝口健二研究者”という肩書きをお持ちだと思うんですが、そもそもどういう風にして溝口の研究者になったのかを教えて頂けますか?
佐相勉:映画を見始めたのが高校ぐらいなんです、それでその頃、今の銀座のプランタンの裏辺りの所に並木座っていうもの凄い汚いちっこい映画館があった。僕は別に日本映画だけを観てたわけじゃなくて、色んな映画を観てたんですけど、並木座ではいわゆる日本の名画、特に1950年代の作品を多くて観てたんだよね。最初にはまったのは黒澤で、よく観てたんですけど、溝口は最初は『雨月物語』でしたね。『雨月物語』がやっぱり一番入りやすいかなと思うんですけど、凄く良くて。『西鶴一代女』は最初はあんまりぴんとこなかった。あんまり高揚感が無いんですよ、ずらずらエピソードがあるだけでね、割とすーっと客観的に描いてる、だからこれの良さが分かるのに大分時間がかかったんですけど。その時は溝口は好きではあったけれども、大勢いる監督の中の一人という感じだった。僕は実は高校の教員やってたんです、日本史の。それで落ちこぼれみたいになって高校の教員辞めてしまって(笑)、それでどうしようかなっていう時に、映画が好きだったんで映画のことをちょっと研究しようなんて思い始めた時に、別に溝口じゃなくてもよかったんですけど、それよりも自分が何かやるっていうことが必要だった。正直な話、今、色々と犯罪を犯す人がいるじゃないですか、秋葉原なんかでやったあんな感じのね、極端に言えばそういう感じに近くなって、要するに自分が社会から見捨てられたみたいな感じになっていて、なんか社会に爪引っ掛けたいという思いがあって、それで映画についてなんか書いてみたいなことを思った、まあ何でもよかったんです、そういう意味で言えば。確かに色んなことをやってたんですけど、その中の一つとして溝口の『血と霊』(23)、今となってはなんで『血と霊』だったのか分かんないんですけど、『血と霊』っていう表現主義映画で、なんか変な映画だっていうんで、これをちょっと調べてみようかなって思ったんだね、多分ね。それで、調べて、書いたんですよね。それを送ったんですけど全然梨の礫で、当たり前の話ですけど。筑摩書房とか、他にも色々。じゃあしょうがないな、自分で出そうかって、自費出版しようなんて思って、自費出版の本屋行って、本当に出版するまでになったんです。それで、ここからがちょっと劇的なんですけど、次の日に自費出版の契約することになった、その晩に筑摩書房の間宮さんっていう編集者がいたんですけど、その人から電話が掛かってきて、この原稿机の中にしまっておいたんだけど、読んでみたら面白いから、蓮實さんに見せたら、出してもいいんじゃないかという話になったと、それならっていうことで自費出版の方は断って、本を筑摩書房から出したんです。それで溝口との関係が出来た。それで2001年からだったかな、今の全作品集を始めて、今9冊目まで出てます、もうすぐ10冊目出ますけど(「溝口健二・全作品解説」近代文芸社刊)。
OIT:先ほど、小津の企画をやり始めたという話もありましたが。
佐相勉:それも溝口絡みで、溝口を掘り下げてくと結局それだけではすまないわけですよね、他の監督とか、他の文化っていうか小説とか全て、色々なものが関わってくる、そういう意味では掘り下げながら広げていくっていう意味では、やり方としては間違えてないなと今は思ってます。色々なことを深くやってる人がいるじゃないですか、羨ましいなと思ってね(笑)、ただそれは自分の中では封印してる、もうそれは自分には出来ない、やっちゃいけないって。だから新しい映画もほとんど観てないんですよ。でもカラックスの『ホーリー・モーターズ』は凄かったです、カラックスってこんな映画作るのって、前と変わってないですか?
OIT:変わったんじゃないですかね、やっぱり年をとって、彼の人生がそのまま入ってますよね、亡くなった奥さんとかお子さんの写真が入っていたり。
佐相勉:やっぱりそういうの入りますよね、この辺は新藤兼人さんのお得意で、要するに女に背中切られたから女が描けるっていう、まあそういうもんじゃないんですけど、でも実生活と無関係ではないですよね。溝口自身がそう言ってますけど、実際の体験が基本であると、だけどだからといってそれが優れた映画になるわけではないと、そこで自分のイマジネーションなり何かが出てくるのが問題なんだって極当たり前のこと言ってるんですけど。小津に関しては、あんまり知らないのでこんな風に言っていいのか分からないですけど、小津の映画って性を感じないんですよね、そんな感じしません?無性みたいな。溝口さんはいっぱい娼婦を買って、しかも最低の娼婦のこと好きだったみたいな、それよく分かんないんですけどね。
OIT:溝口さんのは分かりやすいんじゃないですか?小津の方が分かりにくいんじゃないですか?洗練させてるというか、性的な感覚っていうのはあると思いますけどね、『東京物語』とかにも。
佐相勉:『晩春』は父と娘の要するに愛情ですよね、かなり際どい。
OIT:それは蓮實さんが書いてましたよね、花瓶のショットとの関連で。でもそういう雰囲気は確かにある。だから小津のはちょっと変わってるんじゃないでしょうか。あんまり出しずらいっていうか。
佐相勉:その辺が面白いなと。さっきの戦争体験もそうだけど、そういう実体験みたいなものが作品の中でどういう風に描かれたり、描かれなかったりしてるのかっていうね。そこはやっぱり抜けないですよね、実体験っていうのはね。
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