OUTSIDE IN TOKYO
SEBASTIEN BETBEDER INTERVIEW

セバスチャン・ベベデール『メニルモンタン 2つの秋と3つの冬』インタヴュー

3. アラン・レネは(私にとって)お手本です、模範だと思います

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OIT:アラン・タネールの映画の引用を入れようと思ったのはどの段階ですか?
セバスチャン・ベベデール:シナリオの段階です。この映画ではかなり引用を行っているのですが、私の考えでは、“引用”は映画の構造に欠かせないものなのです。映画を“引用”することで、人物について語っているんですね。私は、人物は芸術的なテイストによってその人物像が形づけられていくと思っています。バンジャマンがアラン・タネールの『サラマンドル』(71)について語りますけれども、バンジャマンが語らなくちゃいけない、アルマンの言葉ではいけないわけです。バンジャマンが好きな映画、好きなものを引用する、そうすると観客も彼はこういう人なんだという人物像を描くことが出来るわけですね。

OIT:映画の引用には監督の好みが入っていますよね?
セバスチャン・ベベデール:そうですね、もちろんです。でも私よりも登場人物のテイストなんだ、とよく言うんですけど、やっぱり重なる部分は多いです。

OIT:拝見して新鮮な映画だなと思うと同時に、例えばウディ・アレンの映画を意識しているようなところもあるのかなという感じを受けました。
セバスチャン・ベベデール:それは少し考えましたね。対話が終わって人物がカメラを見て、そしてモノローグが入る、そういう構造を作った時に、映画の中で例としてはあんまり思い浮かばなかったのですが、ウディ・アレンは確かにそうでした。『マンハッタン』(79)とか『アニー・ホール』(77)とかで、そういう方法が使われていましたね。彼がもう既にやっていて、成功している。コミカルな感じもあります。確かにウディ・アレンの映画を考えて、ちょっと安心するところがありました。

OIT:やはりコメディというジャンルは映画の実験が出来るジャンルだとお考えですか?
セバスチャン・ベベデール:いい質問ですね、私はますますそう思ってきています。長い間、逆だと思ってたんですけど。笑わせられないんじゃないかっていう恐れがあるから、実験したら駄目なんじゃないかと思っていたんです。ポピュラーなコメディの中には一種のコードみたいなものがある、みんなが解る仕組みみたいなものが。でも、私はそういうのは好きじゃないんです。逆に真面目なことを言って笑わせる遊び方もありますよね。コメディの枠を使って、凄く重要なことを言うことが出来るし、今までやったことがないような実験をすることも出来ます。この映画もそうなんですけど、インテレクチュアルな部分と遊びの部分の両方があるんですね、遊びの部分はとても重要だと思います。私は、映画監督としてアラン・レネをよく参照するんです。

OIT:ついこの間(2014年3月1日)、亡くなってしまいましたね。遺作(『愛して飲んで歌って』14)を拝見しましたけど、本当に唖然としてしまう映画でした。アラン・レネは、色々なスタイルで撮っていましたが、監督もそうしたいと思いますか?
セバスチャン・ベベデール:年に二回映画を撮れれば理想なんですけど。それで、まさに色々な語りのスタイルを試してみたい。アラン・レネは(私にとって)お手本です、模範だと思います。

OIT:画面がスタンダードサイズでした。
セバスチャン・ベベデール:映画史の初期でも使われているこのフォーマットが私は好きなんです。この映画にとっては、かなり最適なフォーマットでした、というのは顔を撮るのにぴったりなんです、眼差しがちょうどスクリーンの真中にくるんです。クローズアップが多い映画ですし、このフォーマットが凄く理想的なんじゃないかなと考えました。顔を撮らないシーンでも、風景とかグループのシーンをこのフォーマットに納めるのは結構面白い試みでした。演出もある程度制約されますし、新しい切り口を考えさせられるフォーマットだと思ったのです。

OIT:この映画では三年間を描いていますけれども、春と夏ではなくて秋と冬にしたのはなぜでしょう?
セバスチャン・ベベデール:私には問題があるんです。夏のシーズンは、私にとっては活動が凄く活発になる、しかし自分のことを考える時間ではない。しかしこの映画は自分を振り返って自分を考える人物の映画なんです。秋とか冬はまさにそういう思考を深めるには最高のシーズンだといつも思っていたのです。

OIT:夏は仕事をする気がないのでしょうか?
セバスチャン・ベベデール:そうです(笑)。仕事もしたくないし、内省もしたくないのです。


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