OUTSIDE IN TOKYO
TALK SHOW

TIFF2016 第29回東京国際映画祭:
セイフラー・サマディアン『キアロスタミとの76分15秒』上映後のQ&A

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石坂健治PD:ありがとうございます。それでは皆さまからのご質問を受ける形で進めて参ります。
東京国際映画祭はキアロスタミさんとの縁が深くてですね、最初に上映させて頂いたのは『そして人生はつづく』(92)だったと思いますけれども、私は後になって映画祭に来た人間なので後になって聞いたんですけれども、当時1990年代の初めだったと思いますが、イランの方々が非常にたくさん日本に労働者として来ていた、差別の問題とかも色々起こっていた。そんな中で『そして人生はつづく』が東京国際映画祭で上映されて、拍手喝采で迎えられ、キアロスタミさんの名前が一躍広がったと、イランの方もたくさん観に来られて、たしか渋谷のホールだったと思いますけれども、事務局に何人も駆け込んで来られたそうです。そして日本に来てこんなに自分がイラン人であるということを誇りに思ったことはないっていう風にスタッフに告げていかれたということなんです。やっぱり映画の力っていうのは凄く大きいなと思ったんですよね。
ショーレ・ゴルパリアン:私からも一つ付け足していいですか?『そして人生はつづく』がオーチャード・ホールで上映された時、キアロスタミさんは普段自分の映画を絶対観客と一緒に観ないって言ってたんですけれども、日本は初めてなので日本の皆さんがどうやって自分の映画を観るのか見たいって言って、オーチャード・ホールは観客の皆さんで満席だったので、一番後ろに私と立って暫く観たんですけれども、キアロスタミさんは、私にみんな死んでるんだよって言ったんです、あるいは、寝てるんでしょうと、それで、私は、いやいや日本人は行儀がいいですからちゃんと観てますよって言ったんです。キアロスタミ監督は、その時のことが思い出になってるから、どの国に行っても、世界一良いオーディエンスは日本人だってずっと語ってたんですよ。
石坂健治PD:あれからもう24年くらい経ってますけれども、非常に長いお付き合いを私達もさせてもらったという監督さんでいらっしゃいました。
観客:いっぱいお伺いしたいことはあるのですが、この76分のドキュメンタリー(の素材)は、何時間くらい密着されて撮りためていらっしゃったんですか?あと、キアロスタミ監督の作品は、凄く穏やかな印象がありますけれども、本人が怒ったり、怒りの感情を表す場面を見たことがありますか?(そうした感情を)どういう風に表現されていたと思いますか?
セイフラー・サマディアン:自分はキャメラマンとして37年間仕事をしていますけれども、その中の25年間はキアロスタミさんとずっと一緒に色々なロケで写真に撮りに行ったり、一緒に映画祭に行ったりしていました。とにかく彼がロケハンに行った所には自分がいて、だからそれを考えてみると25年の間、キアロスタミさんの映像を撮っていたので、もの凄く長い長いお付き合いでした。

実はキアロスタミさんが4月に亡くなった時、1ヶ月間くらいお墓参りにも行けなかったし、キアロスタミさんの映像も見れなかったんです、絶望していたと言っても過言ではない。しかし、キアロスタミさんの長男がサンフランシスコに住んでいて、彼から電話がありました。ヴェネチア映画祭で父のメモリアルをやろうとしている、そこで何か上映してくださいって言われたんです。一番父が信用していたのはあなただったし、父はあなたのキャメラの前で自分らしくしていたし、凄く自由にしていた、あなたが撮った映像が最も本人に近いと思うから、なんとかして映像を作ってください、編集をしてください、それをヴェネチア映画祭で上映出来ないと私達だけではなく、イラン映画界の恥になるから、是非ともお願いしますって言われたんです。

もしキアロスタミさんに最も近い身内の方に頼まれていなかったら絶対触れなかったと思いますけど、長男に言われたから断れなかった。ただ、製作期間が1ヶ月しかないって言われて、25年間も撮っている映像があるのに1ヶ月で何が出来るのかって凄く戸惑いました。25日間24時間本当に寝ないで家にも戻らず、全ての映像を見て、全体の中のエピソード1として、一つの最初のエピソードとして作ろうかなと思ったんですけれども、まだ全然作ってないのにヴェネチアのラインナップに載ってしまったんです。だからもう逃げられない感じになってしまった。これからもっとちゃんと作らなきゃいけないと思っていますけれども、まずはご覧になったエピソード1と自分の中で呼んでいるもの、これを作ってベネチアに間に合わせましたが、本当にひどい25日間で、大変な苦労をしました。

この作品を作ることは、とてもリスキーなことでした。自分は何をこれからみんなの前で発表しなきゃいけないのかが分からなかったんです。ただキアロスタミさんの存在は、もの凄く強くて、キアロスタミさんだけを映したら、何か物語を語れるんじゃないかなと思ったんです。ですからこのドキュメンタリーには一切インタビューが入ってない、もの凄く珍しいドキュメンタリーです、自分はフィルム・ポートレイトと呼んでいますが、全く取材もせず、キアロスタミさんは自分のことも語らず、映像を繋いでいくだけで作った。

自分はこの1ヶ月の中で何をどのくらいの長さで編集すれば良いのか分からなかったんですが、思い浮かべたのはキアロスタミさんは76歳で亡くなったということです、76歳と15日間この世に生きていたので、じゃあ76分15秒にしようと思って時間を決めました。 そして素材的にもあるフレームの中で壁を作らなきゃいけないと思ったんですが、そのフレームというのは映像の画質ですね、ですから色々なキャメラで撮っていましたが、今回は、全てミニDVで撮ったものを選ぼうと思ったんです。それと撮影したロケーションもイランのみにしようと。その2つを決めたら何となく1ヶ月で出来るんじゃないかなと思ったんです。ですから海外に一緒に行った、例えば映画祭とか、海外で開いたワークショップとかの映像もありましたが、一切それらは使いませんでした。それを守っていけば映像の質を守ることが出来るんじゃないかなと思ったんです。

ところで、自分はこうしてしゃべってる間に、次に何を言うのか忘れてしまうというのに、ショーレは全部覚えていて言う(通訳する)のは素晴らしいです。ショーレに拍手してください(笑)。
(照れながらそのように通訳するショーレさんに向けて、会場から暖かい拍手が沸き起こる)
キアロスタミさんの性格についてですが、キアロスタミさんは一つ口癖があって、それは、この人は充分だ、というものです。充分だっていうのは、出しゃばらない人とか、ちゃんと空気を読めて、ここで部屋から出て行くとか、ここで入るとか、ここで消えるとか、そういうことを心得た人が凄く好きだったんですよね。撮影の時もそれを求めていたので、充分じゃないような、そういう人達をどんどん消していった。だんだん周りのスタッフが消えていって、最終的には『10話』(02)っていう映画を撮った時は、録音技師もいなかったし、キャメラマンもいなかったし、ただ運転している女優さんしかいなくなって、あとは自分で全部撮ってたんですね。そのことを考えてみれば、多分キアロスタミさんの性格は分かると思います。


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