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Press conference

タル・ベーラ『ニーチェの馬』記者会見:全文掲載

2. 恐れずに飛び込め、よそ見をせずに自分のやりたいことを妥協せずにやってほしい

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Q:風がとても強く吹いていますが、実際の風と人工的な風を混ぜて吹かせたのでしょうか?
タル・ベーラ:すべて人工的な風でした。この作品は本当に作れて良かったと思っていますけれども、非常に低予算でした。本当にどこからも遠いようなロケーションで撮影していたんです。ウインドマシンもですね、非常に古い旧型のものを使っていて、実は村に住んでいらっしゃる農家の方々にご協力頂いて、ウインドマシンを扱って風を作りました。彼らの仕事ぶりは、映画のプロの方々よりもよほど素晴らしかった。
Q:今回の作品はニーチェの逸話からインスピレーションを受けているということですけれども、具体的にインスピレーションを受けた時の様子を伺えたらと思います。あと一点、今回のニーチェの逸話が、最後の作品であるということと何か関係があるのでしょうか?
タル・ベーラ:二つ目の質問に関しては、あまりそういうことは考えませんでしたと申し上げておきましょう。そもそも最初のインスピレーションは、友人であり仲良く共同で脚本を開発してきている小説家のクラスナスホルカイ・ラースローによるものです。日本でも訳書が出るということで皆さんも機会があったら是非手に取って頂きたいですけれども、1985年にラースローと出逢って、今まで共に色々な作品を作ってきました。その年に彼がレクチャーをしていて、そこで自分の小説の一部を読んでいたのですが、このニーチェの逸話でレクチャーを閉じた。その時に彼はあの馬は一体どうなったんだろう、と言ったのです。この疑問が自分達の中に引っかかり、そして何か心を動かすものがあった、馬に何があったのか答えなければいけないと、そういう思いに駆られました。その疑問に答えようとラースローと一緒に試行錯誤してきたのですが、なかなかその答えは出ず33年の月日を要しました。この『ニーチェの馬』が我々の答えです。ニーチェにまつわる逸話というのは多分皆さんもよくご存知だと思いますが、その時の馬はどうなったのか、ということについてはまだどなたもご存知ない、これが我々のそれに対する答えなのです。
Q:この映画は一本の木のイメージから生まれたと書いてありましたけれど、そのせいか私はタルコフスキーの『サクリファイス』を思い出して、とっても二本の映画は似ていると思ったんです。あなたの映画を語るのはすごく難しいのですけれども、もし語るとすれば映画そのものとして語るよりは、例えば他のジャンルで、美術ですとか音楽ですとか文学ですとか、そういうものと絡めて語る方が相応しいような気がするのですが、その辺はいかがでしょうか?
タル・ベーラ:34年間映画を作ってきて映画というものがなんだか自分にはまだ分りません。映画というのはピクチャー、絵ですね、ノイズ、声、人の目、馬の目についてのものであり、何か言葉で伝えられるようなものではないんですね、言葉に落として伝えることが出来ない、そういうものだと思います。言葉、それから絵というものがそれぞれ違う言語でもあり、そのことは日本の方々はすごくよく理解出来ることではないかなと思っています。そしてまたそこに音楽という違う言語があります。映画というのは自分にとってストーリーではありません、ストーリーラインを追っていくことでもありません、なにかやはりピクチャー、絵であり時間でありリズムであり、そして人間の深い所から出て来るもの、人の観点から出て来るものだと思います。幸運なことに文学ではないんですね。私のコラボレーター達、共同脚本家達あるいは作曲家、彼らとの仕事のやり方というのは大変シンプルなものです。アートについて我々は一切話をしません、話すのは人生について、それぞれの人生観、物の見方についてです。それが自分達にとってはとても大切なことなんです、お互いを理解していれば言葉など必要ないのです。
Q:今後はどのようにされていこうとお考えなのか、なにか映画以外の芸術表現をされるのでしょうか?
タル・ベーラ:未来とはどういうことなのか、自分には分らない、、、。一つはっきりしているのは自分は今でもフィルムメーカー、映画作家であるということ。ただカメラに触れるつもりはありません、その中で出来ることは二つあります。まず一つ目なんですが、プロデューサーとして仕事をすること、若手そして経験のある方を含めて、非常に悲しい映画業界の現状の中で映画を作ることの出来る場がない方々を助けていきたいと思っています。プロデューサーというのは、非常に辛い状況にある、あるいは戦う力があまりない弱い立場の、そして真っ当な人間であることの多い映画監督というものに傘をさして映画を作るように守っていく存在だと思うんです。こういった映画監督達は、例えば銀行であったり、その他の色々なそういうくだらないことに対して戦うエネルギーのない方もたくさんいるので、そういう部分で助けていければと思います。つまり”映画業界人”が持っていないイマジネーションを持った映画作家を自分は手伝っていきたいと思っています。そしてもう一つは、教えること、ただ教えるといっても教えることは出来ないと思います。なぜならば映画というのは教えることは出来ないと100%私は信じているからなんです。ただ若い方達とは是非、色々仕事をしたいと思っています。いかに映画という言語が色彩豊かなのかということを知ってほしい、映画監督達が自分達を信じること、勇気を持って自分を表現していってほしい、彼らを通してみた世界を他の人々に伝えてほしい、自分も彼らのことを理解し、彼らに恐れずに飛び込めと、よそ見をせずに自分のやりたいことを妥協せずにやってほしい、ということを伝えていきたい。


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