OUTSIDE IN TOKYO
SATOKO YOKOHAMA INTERVIEW

横浜 聡子:オン『ウルトラミラクルラブストーリー』

2. 最後のシーンは、脚本段階から想い描いていた

1  |  2  |  3  



主人公の陽人が恋する相手はどう入れようと思ったんですか?
彼が恋する相手は、まるで普通の人というか、陽人がああいう人なので、真逆の、頭でものを考えようとする女の人として町子というキャラクターが生まれたんです。最初は青森の女を考えたんですけど、全員が青森だと本当に限られた土地のおとぎ話になると思って、東京からやって来た異邦人のような女にしたんです。

観客が自分を投影できるように?
はい、そういう考えもあったと思います。

陽人に自分は投影されていますか?
陽人はまったくされていないと思います(笑)。まったく別の人間です。

でも同時に青森の出身で、おばあちゃんの家で過ごしていた時期もあるんですよね?
それは農業を手伝ったり?
いえ、ぜんぜん。あまり記憶に残らないくらい小さい頃だったので。お盆やお正月は遊びに行っていて、おばあちゃんが農業をやっている姿をは見てましたが、自分がやったことはないですね。

松山さんを起用された経緯は?
青森出身の俳優さんがいいなと思ったんです。言葉は自然に話せた方が活き活きするので。練習してしゃべってもらうより、自分の言葉として自然に出てくる方がいいなと。彼が青森出身ということもありましたけど、あまりイメージがついていない役者さんがいいと思って。松山さんはスターですし、個性の強い役をいっぱいやられているけど、松山さんを思い出した時のイメージがあまり固まっていない、白紙の状態みたいだと思って。それに私が簡単に頭で想像できてしまう陽人より、私がぜんぜん想像できない陽人の方がいいんじゃないかなって。でも松山さんが陽人をやっている姿が具体的に頭で想像できなかったんです。それで逆に松山さんにお願いしたというか、可能性があると思ったんです。

想像できないからお願いしたということ?
そうですね。頭でイメージできてしまうと、もうそれ以上のこと、それ以上の楽しみがなくなっちゃう気がして。むしろ真っ白な状態で作り上げて行く方がいいので。陽人はすごく自由な人間なので、広がるんじゃないかと思ったんです。

そこから松山さんと話してキャラクターを作り上げていったんですか?
最初は撮影前にちょっと話しましたけど、陽人の基本的な動き方とか、性質についてだけです。現場に入ってからはその都度その都度、シーンや場所に反応して自由に動いてもらって、具体的な細かい話はいちいちしませんでしたね。

最初に頭に浮かんだシーンはどこでしたか?キャベツの中に頭が出ているところなど印象的ですが。
いやー、どこですかね。自分がお母さんと田んぼの方を車で走っていて、ヘリコプターで農薬を蒔いているって話を聞いた時に、それまで全然その事実を知らなかったんですけど、広い田んぼをヘリコプターが飛んでいる画が頭に浮かんで、それを映画にしたらおもしろいかも、と思ったのが最初かもしれないです。

大規模な撮影ですよね。そういう撮影は今までされていましたか?
ないです!いろんな人や人数も必要でしたし、田んぼを管理している人も、撮影部さんも、とにかくいっぱい人が動いていて大変でした。打ち合わせはかなり綿密にやりました。

映画を拝見して、分からないところだらけでしたけど、逆にすごく好奇心を掻き立てられました。意識的に分かろうとしていない部分もあるのかなと思いながら、同時にとても感覚的に撮っている印象も受けたんです。
最初にシナリオを書く時は、感覚的に書いている印象はあるんですけど、撮影するにあたっては、感覚だけではだめで。自分なりの意味というか、映画なりの大きなテーマというか、シーンひとつひとつの意味とは言わないまでも、これがやりたいということは、一応、言葉で考えてから現場に臨みました。でも結局、頭で考えて事前に準備したことって現場でやってみるとすごくつまらないことが多いので、撮影のその都度、起こったものをいかに捉えられるか、おもしろいものをいかに見逃さないようにする力というか、そういうことの方が大事だと思うので、感覚的というか、論理的ではない映画になっているのかと思います。

脚本を書いて、構成する段階では自分なりの論理で構成していくわけですもんね。
最初はまったく論理的なことは考えずに書いてから、それを(一度)人に見せて、意味が付加されていく感じがします。だから改めて人からこういう意味だよねと言われて、なるほど、みたいな感じで。今回プロデューサーとシナリオを直していったので、結構、客観的な意見も入っていますし、自分1人では考えられなかった意味とかもありますね。

そういう変更にオープンでいられる方ですか?
うーん、やっぱり理解できない言葉で説明しあっても、どうもうまくいかないというか、互いが100%理解できるというのはむずかしいので、最終的にはやっぱり自分の、言葉ではうまく説明できないけどやりたいんですってところだけで残してるシーンもいっぱいありますね。

例えばどんなシーンですか?
それは最後のシーンだとか。そこは最後まで(拘りました)。意味とか、本当に映画のラストにふさわしいのかとか、いろいろと意見がありましたけど。

そこは脚本を書いていた時点から想い描いていた終わり方ですか?
はい。そこだけは最初からずっとありましたね。

1  |  2  |  3