アモス・ギタイ監督特集 越えて行く映画:第1部・第2部



昨年のフィルメックスでの、パレスチナ史と自らの家族の歴史を織り込んだ美しい傑作『カルメル』が未だ記憶に新しい、イスラエルの映画作家アモス・ギタイ監督の特集上映が行なわれる。"イスラエルの映画作家"というだけで、ステレオタイプな反応をしてしまう人も多いかもしれないが、先日の東京国際映画祭コンペティションでグランプリを獲ったニル・ベルグマン監督作品『僕の心の奥の文法』も、"イスラエル"という十字架を背負いながら"個人"にフォーカスをあてた秀作だったし、ロウ・イエの『スプリング・フィーバー』も"個人"を尊重した文学作品が沢山書かれた1930年代の中国へのオマージュでもあったように、"個人"への視線は、現代の"映画"にとっても、映画とは何ら関係なく、普通に生活する人々にとっても、最も重要な問題のひとつとなっている。21世紀に入り、"イスラエル=パレスチナ問題"がもはや対岸の火事ではなくなった"世界"に住む私たちは、今や、隣国である中国やロシアとの関係にも"不穏さ"の気配を感じる時代に生きている。そうした"不穏な世界"の中で常に映画を作り続けて来たアモス・ギタイの作品には、私たちが日々感じている"不穏さ"の中で、一人一人の個人がどのように考え、振る舞うことができるのか、その可能性を探るヒントが隠されているように思う。
東京フィルメックス映画祭、東京日仏学院、アテネ・フランセ文化センターの3者共催で開催される本特集上映には、初期のドキュメンタリー作品から、(クリストフ・オノレ作品で私たちを魅了した)レア・セドゥ!が主演した最新作まで魅惑的なラインナップが並ぶが、ギタイ監督の多彩な作品群が<亡命三部作><ユートピア崩壊三部作><21世紀におけるエグザイル三部作>などに明快に整理されているプログラム構成が素晴らしい。監督ご本人が登壇するトークショーも多く予定されている。









<以下、リリースより転用>

「アモス・ギタイの演出は、我々と世界のすべてとの関わりを問う。民族、国家、階級、性差などの様々な集団の一員として、そして他者とのかかわりのなかで、なにが我々を個々人として定義づけるのか」。
ジャン=ミシェル・フロドン

イスラエル建国の2年後、1950年、バウハウス出身の建築家の父と左派シオニズム運動家の母のあいだに産まれたアモス・ギタイは、1973年の戦場 (第4次中東戦争/ヨム=キプール戦争)で生と死の境界を体感したのをきっかけに、父の跡を継ぎ学んでいた建築から映画へと越境していきました。
アモス・ギタイは、またドキュメンタリーとフィクションという二つの領域も越えながら、さまざまな矛盾をはらんだ世界の火薬庫、イスラエルの現実を鋭く写し取ってきました。イスラエル/パレスチナの「対立構造を批判する」というきわどい戦略を選択し、その過激さゆえ、一時は祖国を離れるも、93年にイスラエルに戻り、現在はフランスに拠点を移し、国という内に留まらずに精力的に制作活動を続けています。
ギタイ映画はその映像のフォルムにおいても世界の注目を浴びてきました。緻密かつ建築的に構築された構図のなかに即興的な「その一瞬」を捉える独特の長廻しに特徴づけられています。ギタイのその映画文体を、ベルナルド・ベル トルッチは「詩人の手の中で、カメラは素晴らしい武器にもなれば、危険な凶器にもなる」というコクトーの言葉を引用してその芸術性を絶賛しています。またサミュエ ル・フラーは「彼は古代の魔法と現代のコンピュータ化された魔法を一つにする」、フィリップ・ガレルは「彼の映画は崇高だ」と語っています。またエジプト映画を代表する巨匠ユーセフ・シャヒーンは、「ギタイのような勇気のある人物がアラブ世界で評価されていないとすれば、これは呆れた事態だ。彼の挑戦はいつも過激である」と連帯を表明しました。
東京フィルメックス映画祭、アテネ・フランセ文化センターと共催で、初期のドキュメンタリー作品から最新作まで、これまでにない規模で、アモス・ギタイの作品を特集します。
2010.11.22 update
アモス・ギタイ Amos Gitai
1950年10月11日イスラエル北部の港湾都市ハイファ生まれ。
71年、父親と同じ建築家を目指しイスラエル工科大学に入学。建築学を専攻するかたわら、73年より8ミリカメラで建築を題材にした実験的な作品の自主製作を始める。
77年以降、イスラエル国営テレビのために20本ほどのドキュメンタリーを製作。しかし82年『フィールド・ダイアリー』が当局から激しい非難を受け放送禁止になったのをきっかけに亡命。パリに拠点を移す。ヨーロッパを製作基盤に初の劇場用映画『エステル』(85)を故郷ハイファで撮影。その後ディアスポラを扱った『ベルリン・エルサレム』(89)『ゴーレム、さまよえる魂』(92)を発表し、これらの三作品が亡命三部作を構成する。
パリ滞在中に舞台などにも活動の場を広げるが、90年代に入りイスラエルでラビン政権による和平政策が始まったのを契機に、93年にイスラエルへ帰国。ヨム・キプール戦争(第四次中東戦争)従軍時の戦友たちを訪ね、自らの臨死体験を回顧するドキュメンタリー映画『戦争の記憶』(94)を制作。この作品はその後、劇映画の『キプールの 記憶』(00)へとつながる。この時期、現代イスラエル三大都市を舞台にした劇映画の三部作『メモランダム』(95)『ヨムヨム』(97)『カドッシュ』(99)に取りかかる。
これまで『カドッシュ』(99)『キプールの記憶』(00)『ケドマ』(02)が、カンヌ映画祭のコンペ部門に選出されており、『フリー・ゾーン-明日 が見える場所-』(05)ではハンナ・ラスロが同映画祭女優賞を獲得。『それぞれのシネマ』(07)の監督にも選ばれているほか、ロンドン、ニューヨー ク、モスクワ、パリなどで大規模な回顧展も行われている。日本では『キプールの記憶』(DVD邦題『キプール』)が00年に東京フィルメックスでの上映後、翌年、劇場公開された。また、昨年の東京フィルメックスではパレスチナと自身の家族の歴史を織り込んだ『カルメル』(09)が特別招待作品として上映されている。
最新作は、戦後のフランスを舞台にエルザ・トリオレのゴンクール賞を受賞した小説を原作とする『幻の薔薇』 (2010年トロント映画祭、2010年東京フィルメックス映画祭)。
その他の主な作品に『メモランダム』(95)『ヨム・ヨム』(98)『エデン』(01)『アリラ』(03)『プロミスト・ランド』(04)『撤退』(07)『いつか分かるだろう』(08)等がある。
第1部 2010年11月26日(金)・27日(土)・28日(日)第11回東京フィルメックス
会場:有楽町朝日ホール
入場料金(当日券):一般 1,700円/学生・サポーター会員 1,300円(税込)
お問い合わせ先:特定非営利活動法人 東京フィルメックス実行委員会 TEL:03-3560-6393/FAX:03-3586-0201
http://www.filmex.net/

第2部 2010年11月30日(火)~12月12日(日)
会場:東京日仏学院 エスパス・イマージュ
入場料金:東京日仏学院および横浜日仏学院の会員 500円/一般 1,000円
※但し(*)の付いている上映は、入場無料。当日の初回の1時間前から、その日のすべての回のチケットを発売開始します。前売り券の発売は行いませんのでご了承下さい。
お問い合わせ先:東京日仏学院 TEL:03-5206-2500/FAX:03-5206-2501
http://www.institut.jp
上映スケジュール

第1部 2010年11月26日(金)・27日(土)・28日(日):東京フィルメックス
11月26日(金)
12:00
幻の薔薇
(113分)
11月27日(土)
18:40
エステル
(97分)
21:15
ベルリン・エルサレム
(89分)
11月28日(日)
10:00
ゴーレム、さまよえる魂 
(105分)
12:50
幻の薔薇
(113分)
※各回入替制・全席指定

第2部 2010年11月30日(火)~12月12日(日):東京日仏学院
11月30日(火)
11:00
ヨム・ヨム
(99分)
13:30
カドッシュ
(110分)


16:00
石化した庭
(87分) 


18:40
メモランダム
(110分)
上映後、アモス・ギタイと鈴木了二のトークショーあり
12月2日(木)
11:00
エデン
(90分)
13:30
キプール
(100分)
上映後、アモス・ギタイのトークショーあり
16:40
インディペンデンス アモス・ギタイの映画『ケドマ』をめぐって
(90分)*
19:00
ケドマ
(100分)
上映後、アモス・ギタイのトークショーあり
12月3日(金)
11:00
プロミス・ランド
(85分)
14:00
撤退
(115分)


17:00
アモス・ギタイと『アリラ』についての断片
(56分)*

19:00
アリラ
(120分)


12月4日(土)
13:30
ケドマ
(100分)
16:00
キプール
(100分)


18:30
エデン
(90分)


12月5日(日)
11:00
カドッシュ
(110分)

15:20
メモランダム
(110分)

18:00
ヨム・ヨム
(99分)
12月10日(金)
14:30
エステル
(97分)

17:00
プロミス・ランド
(85分)

19:00
撤退
(115分)
12月11日(土)
13:30
アリラ
(120分)

16:30
ベルリン・エルサレム
(89分)
18:40
家からの報せ、故郷からの報せ
(97分)
12月12日(日)
12:30
家からの報せ、故郷からの報せ
(97分)
15:00
石化した庭
(87分)

17:30
ゴーレム、さまよえる魂
(105分)
※(*)の付いている上映は、入場無料。
※プログラムは都合により変更されることがありますのでご了承下さい。
※開場は上映20分前とさせて頂きます。
上映プログラム

第1部:東京フィルメックス

亡命三部作
『エステル』
フランス=イスラエル=イギリス=オーストリア=オランダ/1985年/97分/35ミリ/カラー/日本語字幕付
出演:シモーナ・ベンヤミニ、ムハンマド・バクリ、ジュリアーノ・メール ザーレ・ヴァルタニアン、シュムエル・ウォルフ 

ギタイ初の長編劇映画で、旧約聖書の「エステル記」を、ペルシアの細密画にインスパイアされた壮麗な活人画として映画化。ペルシア王アハシュエロスは、ユダヤ人モルデハイの姪エステルを、その出自を知らずに王妃に迎える。ユダヤ人を虐殺・追放する陰謀を知ったモルデハイは、エステルに自分達の命を救うよう王に懇願することを命じようとするのだが...。この生き残りとレジスタンスを巡る神話的な物語の撮影場所として、ギタイはハイファ近郊の、1950年代にはモロッコ系ユダヤ人とアラブ人が住み、暴動で破壊されたサリーブ谷の廃墟を選ぶことで、イスラエルの現代史との共鳴関係を大胆に演出した。『ベルリン・エルサレム』、『ゴーレム、さまよえる魂』とともに"亡命三部作"を形成し、これら三部作すべての撮影を名匠アンリ・アルカンが担当。本作はカンヌ映画祭批評家週間で上映され、トリノ映画祭でグランプリを受賞した。
『ベルリン・エルサレム』
イスラエル=オランダ=イタリア=フランス=イギリス/1989年/89分/35ミリ/カラー/日本語字幕付
出演:リザ・クロイツァー、リヴカ・ニューマン、マルクス・シュトックハウゼン、ベルナール・アイゼンシッツ、ヴッパタール・ピナ・バウシュ舞踊団 

ドイツ表現主義派の詩人エルゼ・ラスカー=シューラーとロシア出身の革命家マリア・ショハット(劇中ではタニア)。1930年代のベルリンとエルサレムを舞台に綴られる二人の女性の物語。エルゼとマリアは、それぞれエルサレムに向かう。エルサレム、それは神話的であると同時に、現実においては様々な困難が待ち受けている都市。映画は30年代のベルリンのカフェとエルサレムの丘の間を行き来しながら、展開していく。ヴェネチア映画祭コンペティションで上映され、イスタンブール映画祭で審査員特別賞を受賞。
「(まるでトリュフォーの作品のように)人生が断片で構成され、それらの断片は重なり合うことがない」(セルジュ・トゥビアナ)
『ゴーレム、さまよえる魂』
ドイツ=オランダ=イギリス=フランス=イタリア/1991年/105分/35ミリ/カラー/日本語字幕付
出演:ハンナ・シグラ、サミュエル・フラー、オプラ・シェミシュ、ミレイユ・ペリエ、ファビエンヌ・バーブ、ソティギ・クヤテ、ベルナルド・ベルトルッチ、フィリップ・ガレル、ヴッパタール・ピナ・バウシュ舞踊団 

旧約聖書の「ルツ記」を下敷きに、スペイン・ユダヤ神秘主義の秘伝の書カバラに着想を得たゴーレム伝説を亡命者の守護神として再定義、異国の地に移住したユダヤ人の家父長が亡くなった後、その妻や義理の娘たちがとる行動を描く。度重なる不幸に流浪を余儀なくされるナオミと義娘ルツ、そんな二人を優しく見守る亡命者の守護神ゴーレムを、ハンナ・シグラが演じる。サミュエル・ フラーが家父長エリメレクを演じ、ベルナルド・ベルトルッチ、フィリップ・ガレルらも特別出演。亡命の三部作をしめくくる作品であると同時に、『ゴーレムの誕生』『石化した庭』とともにゴーレムの三部作を構成する。
「創造行為を巡る問題が、この映画全般の枠組みを規定し、その枠組みのなかにエグザイルをめぐる問いかけの往復運動が恒久的に継続している。」(アモス・ギタイ)
アモス・ギタイ最新作
『幻の薔薇』
フランス/2010/113分/35ミリ/カラー/日本語字幕付
出演:レア・セドゥ、グレゴワール・ル・プランス、ピエール・アルディッティ、アリエル・ドンバル、ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ 

若く、美しいマルジョリーヌは森のはずれの小屋に住んでいた。ある嵐の夜、友達のセシルが迎えに来て、彼女の家で一緒に暮らすことになる。マルジョリーヌにとって、清潔で居心地のよいセシルの家は、まるで楽園のようだった。セシルの家族と共にパリに引っ越したマルジョリーヌはネイリストとなり、バラ栽培者の息子であるダニエルと二人は結ばれる。ダニエルは、結婚祝いに新しいアパルトマンの部屋を彼女に贈る。それはマルジョリーヌがずっと夢見ていたものだった......。ゴンクール賞受賞の女流作家エルザ・トリオレの同名小説の映画化。戦後のフランスを舞台に、幸福な結婚生活を夢見た女性が直面する現実を重厚なカメラワークと大胆な抽象化の手法で描くギタイの新境地。フランス映画界期待の新進女優レア・セドゥが素晴らしい。
第2部:東京日仏学院

イスラエル現代三大都市三部作
『メモランダム』
フランス=イスラエル=イタリア/1995年/110分/35ミリ/カラー/日本語字幕付
出演:アッシ・ダヤン、アモス・ギタイ、アモス・シュブ メナヘム・ゴラン 

1993年、母国イスラエルに戻ったギタイが、テルアビブ、ハイファ、エルサレムを舞台に取り組みはじめた《都市三部作》の第一作目。ヤァコブ・シャブダイの小説『過去進行形』を基に、テルアビブに住む30~40代の3人の旧友を中心に多数の中年男女の"現在"を描く。レナート・ベルタのカメラが、断片化した人生をさまよう魂の光と影を、見事にフィルムに焼きつけている。過去と現在を彷徨しながら、一見何気ない出来事の業績が、人間たちの機微を見事に映し出すさまよえるロードムービー。
「ギタイの登場人物たちはもはや何も信じていない。彼らは怒りに駆られているわけではないけれど、もはや家族が辿ってきた歴史がまったく分からなくなっており、それを引き継ぐことも拒否している。自身に空虚さにも似た、居心地の悪さを感じている。出会いと別れを繰り返しながら、人生が再び持ち直し、欲望からあらたな欲望が生まれることを期待っているのだ。」(S・トゥビアナ、「カイエ・デュ・シネマ」523号)
『ヨム・ヨム』
イスラエル=フランス/1998年/97分/35ミリ/カラー/英語字幕付
出演:モシェ・イヴギ、ハナ・マロン、ユーセフ・アブ=ワルダ、ジュリアーノ・メール、ケレン・モール 

《都市三部作》の第二作・ハイファ篇。アラブ人の父とユダヤ人の母を持ち、母にはヘブライ語でモシェ、父にはアラビア語でムサと呼ばれる中年男の憂鬱と危機をコミカルに映し出しながら、人間存在の矛盾のなかに共存への可能性の契機を探る。主人公にイスラエル映画界のスター、モシェ・イヴギを配役しつつ、その友人役を実際にアラブ/ユダヤ混血のジュリアーノ・メールが演じる。
「『ヨム・ヨム』では、ハイファでのアラブ人とユダヤ人が平和に共存していたという伝統を用いて、引き裂かれた忠誠心と心的機能停止に陥っている人々の物語をブラック・ユーモアあふれる語り口で語っている。ギタイが素晴らしいのは、この対立があらゆる出会い、街の市場から寝室、あるいはその先にまでどのように侵入していくかを示しているところだ。」(L. Camhi, 「ヴィレッジ・ヴォイス」、2001年2月20日)

『カドッシュ』
イスラエル=フランス/1999年/110分/35ミリ/カラー/日本語字幕付
出演:ヤエル・アベカシス、ヨラム・ハダブ、メイタル・バルダ、ウリ・クラウズナー、ユーセフ・アブ=ワルダ

《都市三部作》の三作目は、エルサレムのユダヤ教超正統派のコミュニティ、メア・シェリームで展開する。戒律の厳しい宗教世界を背景に、子に恵まれず周囲の期待を裏切った姉と、意に添わぬ結婚を強いられた妹の日常の戦いが壮絶に描かれる。後に『アリラ』などに出演するヤエル・アベカシスと、『キプール』『アリラ』『フリー・ゾーン』などの常連俳優となるウリ・クラウズナーがギタイ作品に初出演。またパレスチナ人のユーセフ・アブ=ワルダが超正統派コミュニティの長であるラビを演じているのも注目。
「『カドッシュ』(=「聖なる、神聖不可侵の」を意味する)は、人間を支えると同時にまた抑圧してしまう伝統的な宗教の制約と、信仰が愛より優位に立っていて、個人的な苦痛を表す言葉を持たない男女の苦悩という普遍的なテーマを扱っている。(...)信仰という名の元に男たちによって虐げられた女たちの物語。」(ザ・ウォール・ストリート・ジャーナル 2000年3月17日)
ユートピア崩壊三部作
『キプールの記憶』
イスラエル=フランス=イタリア/2000年/118分/35ミリ/カラー/日本語字幕付
出演:リオン・レヴォ、トメル・ルソ、ヨラム・ハダフ、ウリ・ラン・クラウズナー

ギタイ監督が、1973年に勃発した第4次中東戦争(ヨム・キプール戦争)での実体験をもとに、救急部隊に配属された若者たちを通して戦争の真の姿を浮き彫りにしていく劇映画。贖罪の日(=ヨム・キプール)、イスラエルの街は人影も無く、静寂に包まれていた。ワインローブとルソの若者ふたりの行く道は途中から封鎖され、無理やり進んだ先は、戦争の真っ只中だった。空軍による最前線の負傷兵救助活動に参加するという軍医とともに空軍基地を訪れたふたりはそのまま救急部隊に加わる。救助班は早速最前線に向かうが、そこでは既に多くの同胞たちの無惨な亡骸が転がるばかりであった。
「戦場において本当に感じることとは、ひたすら疲労である。敵への憎しみであるとか勝利を語ることは、私にはデマゴギー的に聞こえる」(アモス・ギタイ、「カイエ・デュ・シネマ」)
『エデン』
イスラエル=フランス=イタリア/2001年/90分/35ミリ/カラー/英語字幕
出演:サマンサ・モートン、トーマス・ジェーン、ダフナ・カストナー、ダニー・ヒューストン、アーサー・ミラー

イギリスの管理化にある第二次大戦中の中東のユダヤ人入植地で、三人の男性に取り囲まれて生きるひとりの若い女性。共産主義の理想を追う、バウハウスの傾倒する建築家であるシオニストの夫、金儲けにしか興味がないニヒリストの兄、家族をナチスに殺された隠遁生活を送る書店主。彼らはいずれも、彼女の求める愛に応えることができない。原作は、主人公の父親としても出演しているアーサー・ミラーの小説「HOMELY GIRL」。
「シオニズム理想主義が最高潮に達した建国前夜の時代の渦中に、その理想を信じてパレスチナにやって来た英語が母語のカップルを配置する。そのルーツは常に、自分たちの生まれ育った国に自閉的に結びついたままだ。だが彼女だけは変わる。一度は男たちに支配された世界のなかで居場所を失いながらも、彼女は最後に、独り、自分の尊厳を見いだすのだ」(藤原敏史)。
『ケドマ』
フランス=イタリア=イスラエル/2002年/100分/デジタル上映/カラー/日本語字幕付
出演:アンドレイ・カシュカール、エレナ・ヤラロヴァ、ユーセフ・アブ・ワルダ、モニ・モシュノフ、メナヘム・ラング、トメル・ルソ、リロン・レヴォ

第二次世界大戦終結から三年、イスラエル独立前夜の48年5月、地中海を渡る移民船ケドマ号に乗ったユダヤ人の一行がイギリス軍統治下のパレスチナに密入国する。いずれも家族を強制収容所などで失い、ナチスの弾圧を逃れてきた者ばかりだった。ユダヤ人民兵の手引きでエルサレムを目指す一行が目にしたイスラエル建国をめぐる二重の悲劇とは...。
レナート・ベルタに代わり、テオ・アンゲロプロス作品で知られるヨルゴス・アルヴァニティスが撮影を担当、ローマ時代から現代に至る様々な廃墟の点在する風景のなかに二つの民族にとっての決定的な歴史の瞬間を映し出す。
21世紀におけるエグザイル三部作
『アリラ』
フランス=イスラエル/2003年/118分/35ミリ/カラー/日本語字幕付
出演:ヤエル・アベカシス、ウリ・クラズナー、ハンナ・ラスロ、ロニット・エルカベッツ、ヨーセフ・カルモン

テルアビブとヤッフォの境界にある建物で、シュヴァルツ老人は身の回りの世話をしてくれる出稼ぎ中国人の女性リンダと平穏な日々を送っていた。しかし少し前から建物内の様子がおかしいのだ。毎日のように、叫びや悲鳴が響いている。それはヘズィが愛人のガビとの密会のために借りた秘密の部屋で、彼女が上げる悦びの声なのか?それとも許可なしに中庭側に住居を広げている新しい住人なのか?同じ建物に住むマリもまた問題を抱えていた。工事の請負業者が中国人の労働者と共に彼女の家の前でキャンプをしているのだ。その請負業者が彼女の前夫だとわかったばかりか、彼らの息子エヤルが軍隊を脱走してしまったのだ...。
「ユーモアと人間味溢れるタッチで、ある共同体のリズムが見事に捉えられている」(デーモン・スミス、「タイム・アウト」)。
『プロミスト・ランド』
フランス=イスラエル/2004年/90分/35ミリ/カラー/英語字幕付
出演:ディアナ・ベスペシミ、ハンナ・シグラ、アンヌ・パリロー、 ロザムンド・パイク ユーセフ・アブ=ワルダ メナヘム・ラング

シナイ半島の砂漠のある夜、身体を暖めるため、ひとつの火に集まる男女の一団。東欧からやってきた女たちと彼女たちを送り出すベドウィン族だ。翌日、売春組織へと売られる女たちを送り出すために、彼らはパレスチナに密入国する。競りにかけられ、人手から人手へ渡っていくディアヌと仲間たち。彼女たちはハイファのとあるナイトクラブに行き着く。
「『アリア』に引き続き、不法滞在の中国の労働者や、フィリピン人の家政婦、スラブ系の娼婦など"漂流を余儀なくされた人々"がひしめいている。ギタイはイスラエルを資本主義のグローバル化時代における大きな売春宿として描写している。映画の中の商品化され、国境や検問で受ける軽蔑を身にまとった身体の隷属の表現は、感情を無くした経済に征服された世界のメタファーとして現れてくる。」(ジャン=リュック・ドゥーアン、「ル・モンド」2005年1月12日)
『撤退』
フランス/2007年/115分/35ミリ/カラー/英語字幕付
出演:ジュリエット・ビノシュ、リロン・レヴォ、ジャンヌ・モロー ユーセフ・アブ=ワルダ ヒアム・アッバス アモス・ギタイ

2005年、フランスのアビニョン、父を亡くしたばかりのアナのもとに、父が養子に迎えたイスラエル人青年ウリが訪ねて来る。遺産の相続手続きをしているうちに、20年前にイスラエルで出産後すぐに手放した娘が成長してガザ地区で暮していること、しかも父がその娘への支援を続けていたことを知らされる。娘と会うことを決意したアナはウリとともにイスラエルに向かう......。ジュリエット・ビノシュ演じるヒロインの娘探しの旅を媒介に、混沌としたイスラエル=パレスチナの現状が見る者にたたきつけられる力作。
「人々は国境の向こう側の他者が、自分たちと全く異なった人間だと思い込んでしまい、憎しみが生まれる。映画はこうした戦争に巻き込まれた人たちの悩みや苦しみを見せることで、人間には色々な選択肢があることを示しています」(アモス・ギタイ)
日本初上映
『石化した庭』
フフランス=ロシア/1993年/87分/デジタル上映/カラー/日本語字幕付
撮影:アンリ・アルカン
脚本:トニーノ・グエッラ、アモス・ギタイ
出演:ハンナ・シグラ、ジェローム・ケーニッグ、サミュエル・フラー、マーシャ・イトキナ

パリで画廊を営むダニエルは、遺産として相続した美術品のコレクションを引き取りに、ソ連邦崩壊直後のロシアに向かう。コレクションの代わりに彼を待っていたのは巨大な手の彫刻があり、どうもゴーレム像の一部であるらしい。ゴーレム像の謎を追って、ダニエルはシベリアに、かつてスターリン政権下にユダヤ自治州が作られる計画のあった地・ビロビジャンに向かうのだが。人造国家としてのソ連邦をゴーレムに見立てた、ゴーレム三部作の最終章で日本初上映。
「ここに描かれる旅はイニシエーションの旅であり、そのなかで主人公は徐々に自分自身が何者であったのかを見出していく。ひとつひとつの段階で、彼は新たな情報を得る。しかし彼は旅路に迷い、コレクションを発見することは出来ないのだが、代わりに自らの実存を発見する」(セルジュ・トゥビアナ)
ドキュメンタリー作品
『家からの報せ、故郷からの報せ』
イスラエル=フランス=ベルギー/2005年/97分/35ミリ/カラー/英語字幕付

ギタイの本格的なデビュー作であり、イスラエル国営放送から放映禁止にされた長編ドキュメンタリー『家』の主題となった、東エルサレムのドルドルヴェドルシャフ通りにある家。1998年にも『エルサレムの家』でこの場を訪ねたギタイが、シャロン政権の分離壁の時代に、再びそこに住む人々とかつて住んでいた人々を訪ねる。1948年以前の所有者だったダジャニ家の人々を訪ね、キャメラは国境を越えてヨルダンへと旅する。歴史/時間と地理/空間を軽々と越境しながら、ひとつの家の物語にイスラエル/パレスチナ両社会のミクロコスモスとしてのひとつの家を捉える三部作の最終章。
参考ドキュメンタリー作品
『インディペンデンス アモス・ギタイの映画『ケドマ』をめぐって』
日本=イスラエル=アメリカ=タイ/2002年/90分/DVD/カラー/日本語字幕付
監督:藤原敏史
音楽:バール・フィリップス
撮影:アピチャッポン・ウィーラセタクン

「これは『メイキング』であるよりは、劇映画である『ケドマ』の主題を、異なった視点から捉えたパラレルなドキュメンタリーだ。現代イスラエル人の エキストラたちと、フランスやギリシャやオランダなどからも集まったスタッフ(日本人の僕自身を含む)が、世界中から来たユダヤ移民とパレスチナのユダ ヤ人とアラブ人によって構成されたイスラエルという状況の起源を通して、国家や歴史を問う契機が、撮影現場に現出していたのだ。」藤原敏史
『アモス・ギタイと『アリラ』についての断片』
フランス=日本=イスラエル/2004年/56分/DVD/カラー/日本語字幕付
監督:藤原敏史

「日本の若い映画作家は、この(ギタイへの)友情に溢れながらも精確で深く突き刺さる視点を持ったドキュメンタリーで、意図的に断片化された構造を提示する」(ジャン=ミッシェル・フロドン、「カイエ・デュ・シネマ」)


アモス・ギタイ監督特集 越えて行く映画:第1部・第2部について、皆様のご意見・ご感想をお待ちしております。
なお、ご投稿頂いたものを掲載するか否かの判断については、
OUTSIDE IN TOKYO 編集部の判断に一任頂きますので、ご了承ください。





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