『アレクサンドリア』

上原輝樹
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アレハンドロ・アメナーバル監督の新作『アレクサンドリア』は、4世紀ローマ帝国末期の動乱で滅びたとされる伝説の都市アレクサンドリアを舞台に、現代に通じる宗教の派閥争いの恐ろしさを痛烈に批判しながら、実在の女性天文学者ヒュパティア(レイチェル・ワイズ)の信念を貫く崇高な生き様を描いた傑作である。

アレハンドロ・アメナーバルといえば、『テシス 次に私が殺される』(96)、『オープン・ユア・アイズ』(97/ペネロペ・クルス主演)、『アザース』(01/ニコール・キッドマン主演)でスペインを代表する俊英として世界的に知られ、『海を飛ぶ夢』(04/ハビエル・バルデム主演)ではアカデミー外国語映画賞を受賞、もはやスペイン映画を代表する映画監督のひとりと言って良いだろう。個人的には『海を飛ぶ夢』よりも、ヒッチコック〜シャマラン的ミステリー/スリラーのジャンル映画の越境を試みる前3作の方が好みだったが、本作『アレクサンドリア』は、『インディー・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』(08)や『インセプション』(10)といった大作映画のプロダクション・デザインを手掛けてきたガイ・ヘンドリックス・ディアスを美術に迎え、ヨーロッパ映画史上最大級の製作費で描かれた歴史大作である。

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しかし、そんなスケールの大きな製作状況の中で作ったとは思えない、アメナーバル映画ならではの"親密さ"が本作を血が通った映画にしている。それは、ヒュパティアに恋心を寄せる2人の若い男、奴隷のダオス(マックス・ミンゲラ)と生徒のオレステス(オスカー・アイザック)の描写に顕著に現れている。奴隷のダオスはその身分から"主人"であるヒュパティアに恋をすることはあらかじめ禁じられている。ヒュパティアも"奴隷"を勿論そのような対象として見ていないどころか、あらゆる男性を恋の対象とは見ていない。彼女が愛を捧げる対象は"天文学"の世界だけだった。生徒のオレステスがヒュパティアに恋心を告げると、その翌日、彼女は他の生徒の面前で自らの月経が沁みたハンカチをオレステスに手渡し、きっぱりとこれを拒絶する。そんな、ヒュパティアに恋心を募らせてゆく奴隷のダオスは、眠っているヒュパティアの白く細い素足にそっと触れる。このささやかな愛の行為が、当時奴隷の身分にあった若い男が人知れず行うことができた、最大限の直接行動だったのだろう。

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しかし、栄華を極めたローマ帝国は崩壊しつつあり、時代は大きく変わろうとしていた。世界中の文献を収集することを目的として建設され、アルキメデスやエウクレイデスら世界各地から優秀な学者が集まった一大学術機関としても知られる図書館を擁し、古代の神々を崇め、他民族が暮らすアレクサンドリアに、一神教であるユダヤ教と新興のキリスト教が勢力を拡げ始めていた。とりわけ、"奴隷"の身分にあるものとっては、神の下の"平等"を唱えるキリスト教は強く訴えかけ、火の上を歩く、パーフォマンスめいた"奇跡"も妄信的信仰心を煽ることに貢献した。急速に数を増やして行ったキリスト教徒と帝国の支配層はついに衝突し、アレクサンドリアは争乱の場と化して行く。知識と権威の象徴であった図書館は焼き払われ、世界中から集結していた人類の知恵は灰に帰した。多くの者から尊敬の念を受けていたヒュパティアだったが、宗教の派閥対立の中で優位に立とうとするキリスト教指導者から煙たがられ、やがて過酷な運命を迎える。そうした時代の変遷の中で、自らの命すら顧みず"宇宙"の謎の解明に情熱を燃やす彼女の知性の輝きを、アメナーバルは、レイチェル・ワイズの一挙手一投足を丁寧にキャメラに収めることで、思考を積み上げ、インスピレーションを授かる瞬間を待ち受ける、ヒュパティアの思索の時間を繊細に紡ぎ上げて行く。

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本作は、9.11以降、あからさまに世界を覆うムスリム・フォビアに対するアメナーバル監督からの壮大な反論であるといって良いだろう。紛れもなく現代のニューヨークを想起させる、人種の坩堝の様相を呈する古代都市アレクサンドリアで暴徒化したのはキリスト教徒ではなかったか?と。その異議申し立てはもちろんキリスト教徒ばかりを責めるものであるはずもなく、一神教の抱える危うさを強烈に戯画化し、4世紀アレクサンドリアと現代が如何に近い所にあるかを私たちに気付かせる。実際に、アメナーバルは、google earth 的俯瞰映像を用いて、私たちの視点を4世紀に接続しようと試みている。そして、その熾烈な対立を相対化する視点の中心にいる女性科学者の先人ヒュパティアの悲劇的な運命に寄り添い、彼女の感情を、思いを21世紀の私たちに伝えようと試みるのだ。そこで私たちが目撃するのは、人類の輝かしい栄光ではなく、むしろ暗雲立ち込める未来への警鐘であるのかもしれない。それでも自らの志に命を掛けた人間の情熱と知性の営みこそが、人間を人間足らしめているという確信が、悪夢のような震災の真っただ中にある日本においてすら、観るものを勇気づけてくれるに違いない。

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『アレクサンドリア』
原題:AGORA

3月5日(土)より丸の内ピカデリーほか全国順次ロードショー
 
監督:アレハンドロ・アメナーバル
脚本:アレハンドロ・アメナーバル、マテオ・ヒル
製作:フェルナンド・ボバイラ、アルバロ・アウグルティン
製作総指揮:シモン・デ・サンティアゴ、ジェイム・オルティス・デ・アルティネイト
撮影:シャビ・ヒメネス
美術:ガイ・ヘンドリックス・ディアス
衣装:ガブリエラ・ペスクッチ
音楽:ダリオ・マリアネッリ
編集:ナチョ・ルイス・カピヤス
出演:レイチェル・ワイズ、マックス・ミンゲラ、オスカー・アイザック、アシュラフ・バルフム、マイケル・ロンズデール、ルパート・エヴァンス、ホマユン・エルシャディ、サミ・サミール、オシュリ・コーエン

© 2009 MOD Producciones,S.L.ALL Rights Reserve

2009年/スペイン/127分/カラー/シネマスコープ/ドルビーSR/ドルビーデジタル
配給:ギャガ

『アレクサンドリア』
オフィシャルサイト
http://alexandria.gaga.ne.jp/
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