『エル・トポ』

上原輝樹
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モグラは太陽の光を目指して地中を掘り続け、ようやく地上に出ると太陽の光を浴びて失明する、というもっともらしい嘘八百の警句が画面に現れて、この40年前のカルト・クラシックは開巻する。

ペキンパーの『ワイルドバンチ』(79)のオーディションに落ちたその足で、そのまま本作の主演を務めたかとすら思わせる、黒づくめの衣装を着て馬に乗った貧相な男<エル・トポ(モグラ)>が、出来損ないの『ペイルライダー』(85)のような脈絡を欠いた救出劇で、虐げられた人々を救い出し砂漠の中を歩んでいく。この主人公<エル・トポ>を演じているのが、監督、脚本、音楽、衣装、美術という制作現場の殆ど全てを自ら取り仕切ったアレハンドロ・ホドロフスキーであることは、映画を見る前に知っておいても良い事実だろう。<エル・トポ>は、妻と死に別れ息子(監督の実子)を連れているが、その子供はなぜか素っ裸だ。息子を連れて惨劇のあった村々を歩み、首を吊られた死体が何体もぶら下がる屋内のシーンなどは、つい最近のポスト・カタストロフィ父子物『ザ・ロード』(09)に影響を与えたかのようなシーンも見受けられるが、村での珍妙な救出劇の成行きで拾った女マーラが、素っ裸の息子に替って男のお供をすることになる呆気ない展開には、いささかついて行けない、と感じる観客がいても無理はない。あるいは、映像の異形の美しさの前に、物語の筋はまあどうでも良いという寛大な心持ちになる観客も多いかも知れない。

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それでもいずれ観客には、メキシコにあるモンタレーの砂漠を行くこの男のミッションは、砂漠を支配する4人の銃の達人を倒すことであることが知らされる。一人目の達人は、銃弾が当たっても傷を負わないというヨガの達人。手段を選ばぬ<エル・トポ>とマーラは、ヨガの達人を罠に嵌めてあっさりと殺害する。二人目の達人は、無私の心の持主、銃を撃つ時は自己を消さなければいけないと諭し、圧倒的な力の差で<エル・トポ>を打ち負かす。しかし、卑劣極まりない手段でまたしても<エル・トポ>は達人を殺害する。三人目の達人は一発の銃弾しか持たず、その一発で必ず相手の心臓を仕留めると言う。正面から撃ち合った達人の銃弾は<エル・トポ>の心臓の位置を正確に仕留めたが、そこには金属性の灰皿があり一命と取り留める。<エル・トポ>は、あまりの完璧さは欠点にもなりうると独り言ち達人を血の池に沈める。四人目の達人は、全く闘わないと言う老人。老人は、私の体を見よ、私に勝ったところで何も得るものもあるまいと諭す。<エル・トポ>は、得るものはお前の命だ、と言い老人を撃ち殺してしまうが、そこにあるのは、虚無だった。圧倒的な虚無感に苛まれ叫びながら砂漠を走る<エル・トポ>。

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そして、ホドロフスキーの悪夢的イマジネーションが爆発する。トッド・ブラウニングの『フリークス』(32)やブニュエルの『忘れられた人々』(50)の世界から召喚された両腕や、両足のない男や小人たち。虫にたかられる人の死体。引き裂かれたヤギの肢体。実際にホドロフスキーがその手で殺したという、地面一面に敷き詰められたウサギの亡骸。無数の宗教的メタファー。神の不在を嘆く<エル・トポ>に、いつの間にやら登場し、彼らと谷崎『卍(まんじ)』的三角関係になっていたマーラの女情婦、黒衣の女ガンマンが銃弾の雨を降らせる。善行と悪業の限りを尽くした男はついにこの世を去る。

かと思いきや、<エル・トポ>は全くの別人に生まれ変わっていた。ホドロフスキー自身「古代メキシコの信仰と東洋思想はとても似通っていて、"座禅"は共通するものの一つだ」とかつてインタヴューで語ったが、日本でも知られる熊野の小栗判官の伝説をモチーフにした『蘇りの血』(豊田利晃/09)の餓鬼阿弥(がきあみ)と瓜二つの"座禅"の姿勢から<エル・トポ>が目覚めると、そこは、近親相姦を繰り返した挙句に、地下深い洞窟での生活を余儀なくされている非差別民の人々が居住する集落だった。この地底奥深くある洞窟を出るとそこには文明化された町がある。<エル・トポ>は、この洞窟からトンネルを掘って、町へ出るのだと皆に呼びかける。しかし、眩しく見えたその町では、余興として黒人やインディオの人々が馬のように素肌に烙印を焼かれ、奴隷として虐げられているのだった。その様子を見た<エル・トポ>は、洞窟よりも酷い荒廃振りに、自分の考えに疑いを抱く。そして、そこに思わぬ登場人物、男がかつて捨てた息子が登場、その息子は町で神父になっていたのだった。町の人々、神父になった息子、洞窟で暮らす異形の人々を巻き込んで、物語は冒頭に提示された警句が顕然する形で展開していく。

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神への信仰と背徳が同時に存在する両義性、それ故に両極に引き裂かれる人間の業が、全編を通じて寓話化されている。その対比は、博覧強記的好奇心で掘り起こしてザックリと鷲掴みにした、支配/被支配におけるサドマゾ暴力的な関係性、男/女ジェンダーの両義性、聖/俗の領域を行き来する宗教の闇、生/死を司る神秘といった、映画が挑戦しうる限りの数々の際どいテーマの中に色鮮やかに展開し、予想以上のきめ細かさでフィルムに焼き付けられている。惨劇を繰り返す人類の闇の歴史への鎮魂歌ではなく、けたたましい覚醒の魔の笛が鳴り響く奇想の一作は、確かに万人にお薦めできる傑作とは言い難いが、それ故に不条理な衝撃力に満ちたカルト映画としての圧倒的な存在感はもう後40年は薄まりそうにない。


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『エル・トポ』
原題:EL TOPO

9/25(土)より、ヒューマントラストシネマ渋谷にてロードショー
 
監督・脚本:アレハンドロ・ホドロフスキー
製作:アレン・クライン
撮影:ラファエル・コルキディ
音楽:アレハンドロ・ホドロフスキー 
出演:アレハンドロ・ホドロフスキー、ブロンティス・ホドロフスキー、デヴィッド・シルヴァ、ポーラ・ロモ、マーラ・ロレンツォ、ロバート・ジョン

1970年/アメリカ、メキシコ/123分/カラー/スタンダード
配給:ロングライド

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『エル・トポ』
オフィシャルサイト
http://www.el-topo.jp/
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